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	<title>JOCSBlog</title>
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	<description>JOCS　日本キリスト教海外医療協力会　</description>
	<language>ja</language>
	<copyright>Copyright 2012</copyright>
	<pubDate>Thu, 17 May 2012 15:56:37 +0000</pubDate>
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		<item>
		<title>ネパール、アナンダバン病院の奨学生から</title>
		<link>http://www.jocs.or.jp/jocs/modules/wordpress/index.php?p=418</link>
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		<pubDate>Thu, 10 May 2012 19:05:04 +0900</pubDate>
		<author>morita &lt;&#109;mo&#114;i&#116;&#97;&#64;j&#111;&#99;&#115;.&#111;&#114;.&#106;p&gt;</author>
		
	<category>事務局一般</category>		<guid isPermaLink="true">http://www.jocs.or.jp/jocs/modules/wordpress/index.php?p=418</guid>
		<description>	ネパールの奨学生から届いたレポートの一部をご紹介いたします。
	”これは（正看護師になるための勉強をすること）は病院マネージメントにおいて、またネパールの人々のために、とても大切なことです。JOCSの会員の皆さんに感謝の気持ちをささげたいです。JOCSからの奨学金なしでは、このコースを履修することは、とても困難でしたが、奨学金が後押しとなって、必要がある人々のために何かアクションを起こすきっかけとなりました。
Jayanti Kumari Niroulaより”Jayantiさんは、正看護師の資格を取得するために、昨年カトマンズ市内の大学の看護学科に入学しました。2年間の勉強を終えた後は、アナンダバン病院に戻って外科担当の看護師として働く予定です。
	Jayantiさんの所属する、アナンダバン病院は、カトマンズ郊外の山の中腹に位置し、1957年に始まって以来、ネパールで最大のハンセン病治療病院です。ネパールの農村地域においては、人々が迷信に惑わされ、ハンセン病患者に対していまだに根強い差別が残っているといいます。病院では、ハンセン病治療だけでなく、コミュニティベースのリハビリテーションなど、社会復帰のための訓練を行ったり、一般患者を受け入れたり、差別をなくすために尽力しています。
JOCSからは、1981年〜1995年、宮?伸子ワーカーが派遣されていました。
	今後とも、保健医療活動を通して、ひとりでも多くの人が健康な暮らしができるよう、皆様のご協力をよろしくお願いいたします。
	写真はアナンダバン病院の奨学生（Jayantiさんは一番左）
 </description>
		<content:encoded><![CDATA[	<p>ネパールの奨学生から届いたレポートの一部をご紹介いたします。</p>
	<blockquote><p>”これは（正看護師になるための勉強をすること）は病院マネージメントにおいて、またネパールの人々のために、とても大切なことです。JOCSの会員の皆さんに感謝の気持ちをささげたいです。JOCSからの奨学金なしでは、このコースを履修することは、とても困難でしたが、奨学金が後押しとなって、必要がある人々のために何かアクションを起こすきっかけとなりました。<br />
Jayanti Kumari Niroulaより”</blockquote>
Jayantiさんは、正看護師の資格を取得するために、昨年カトマンズ市内の大学の看護学科に入学しました。2年間の勉強を終えた後は、アナンダバン病院に戻って外科担当の看護師として働く予定です。</p>
	<p>Jayantiさんの所属する、アナンダバン病院は、カトマンズ郊外の山の中腹に位置し、1957年に始まって以来、ネパールで最大のハンセン病治療病院です。ネパールの農村地域においては、人々が迷信に惑わされ、ハンセン病患者に対していまだに根強い差別が残っているといいます。病院では、ハンセン病治療だけでなく、コミュニティベースのリハビリテーションなど、社会復帰のための訓練を行ったり、一般患者を受け入れたり、差別をなくすために尽力しています。<br />
JOCSからは、1981年〜1995年、宮?伸子ワーカーが派遣されていました。</p>
	<p>今後とも、保健医療活動を通して、ひとりでも多くの人が健康な暮らしができるよう、皆様のご協力をよろしくお願いいたします。</p>
	<p>写真はアナンダバン病院の奨学生（Jayantiさんは一番左）</p>
	<p><img src="http://www.jocs.or.jp/jocs/modules/wordpress/attach/Niroula.JPG" alt="" />
</p>
]]></content:encoded>
	</item>
		<item>
		<title>スタディツアー　南インド『南インドの病院を訪ねて、地域保健医療を学ぶ旅』</title>
		<link>http://www.jocs.or.jp/jocs/modules/wordpress/index.php?p=417</link>
		<comments>http://www.jocs.or.jp/jocs/modules/wordpress/index.php?p=417#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 18 Apr 2012 15:17:23 +0900</pubDate>
		<author>admin &lt;&#115;&#116;&#97;&#109;p&#64;&#106;&#111;c&#115;&#46;&#111;&#114;.&#106;&#112;&gt;</author>
		
	<category>事務局一般</category>		<guid isPermaLink="true">http://www.jocs.or.jp/jocs/modules/wordpress/index.php?p=417</guid>
		<description>	「自分たちの健康は自分たちの手で！」
50年間外国からの援助を一切受けずに運営されている病院を訪ねます。
大きな学びと感動が、あなたを待っています。
	南インド・オダンチャトラム州にあるクリスチャンフェローシップ病院を訪問します。
この病院は、外国からの援助は一切受けず、自分たちの健康は自分たちの地域で守るという信念のもと、50年以上前に設立されました。
現在は270余のベッド数をもち、この地方の中核病院、総合病院として機能しています。
ツアーでは、同病院のほか、エイズホスピス、地域保健プログラム、看護学校、学校保健プログラムの見学などを行います。
JOCSがこの病院を訪ねるツアーは今回が８回目。
	長年の実績をもつJOCSでなければできないツアーです。ぜひご参加ください！
	● ● ● 募 集 要 項 ● ● ●
	訪問地　：インド　タミルナードゥ州オダンチャトラム　クリスチャンフェローシップ病院
日　　程：2012年7月28日（土）〜8月6日（月）　8泊10日（成田発着）
旅行代金：222,000円（会員価格）
　　　　　232,000円（非会員価格）
（上記の代金に加え燃油特別付加運賃、空港税が別途必要となります）
	申込方法：株式会社マイチケットへ下記のPDFのうち、参加申込書と志望動機書を
　　　　　ダウンロードして記入し、ご送付ください。送付先住所は、書面に掲載さ
　　　　　れております。
　　　　　　　　　
マイチケット送付用PDF一覧
	参加申込書
志望動機書
	JOCSの活動を知らない方、参加を迷っている方を対象とした説明会を実施します。
是非ご利用ください。
詳しい情報は添付PDFをご覧ください。又は東京事務局大久保までお問合せ下さい。
	スタディツアー案内
a href=&quot;http://www.jocs.or.jp/office/pdf/manual.pdf&quot;]参加説明会
	　 公益社団法人　日本キリスト教海外医療協力会（JOCS）
　 担当：大久保　奈緒
  Japan Overseas Christian Medical Cooperative Service
  E-mail: info@jocs.or.jp   URL: http://www.jocs.or.jp
  TEL：03-3208-2416　FAX：03-3232-6922
 </description>
		<content:encoded><![CDATA[	<p>「自分たちの健康は自分たちの手で！」<br />
50年間外国からの援助を一切受けずに運営されている病院を訪ねます。<br />
大きな学びと感動が、あなたを待っています。</p>
	<p><img src="http://www.jocs.or.jp/jocs/modules/wordpress/attach/southindiatour.jpg" alt="" /></p>
	<p>南インド・オダンチャトラム州にあるクリスチャンフェローシップ病院を訪問します。<br />
この病院は、外国からの援助は一切受けず、自分たちの健康は自分たちの地域で守るという信念のもと、50年以上前に設立されました。<br />
現在は270余のベッド数をもち、この地方の中核病院、総合病院として機能しています。<br />
ツアーでは、同病院のほか、エイズホスピス、地域保健プログラム、看護学校、学校保健プログラムの見学などを行います。<br />
JOCSがこの病院を訪ねるツアーは今回が８回目。</p>
	<p>長年の実績をもつJOCSでなければできないツアーです。ぜひご参加ください！</p>
	<p>● ● ● 募 集 要 項 ● ● ●</p>
	<p>訪問地　：インド　タミルナードゥ州オダンチャトラム　クリスチャンフェローシップ病院<br />
日　　程：2012年7月28日（土）〜8月6日（月）　8泊10日（成田発着）<br />
旅行代金：222,000円（会員価格）<br />
　　　　　232,000円（非会員価格）<br />
（上記の代金に加え燃油特別付加運賃、空港税が別途必要となります）</p>
	<p>申込方法：株式会社マイチケットへ下記のPDFのうち、参加申込書と志望動機書を<br />
　　　　　ダウンロードして記入し、ご送付ください。送付先住所は、書面に掲載さ<br />
　　　　　れております。<br />
　　　　　　　　　<br />
マイチケット送付用PDF一覧</p>
	<p><a href="http://www.jocs.or.jp/office/pdf/demande.pdf">参加申込書</a><br />
<a href="http://www.jocs.or.jp/office/pdf/motive.pdf">志望動機書</a></p>
	<p>JOCSの活動を知らない方、参加を迷っている方を対象とした説明会を実施します。<br />
是非ご利用ください。<br />
詳しい情報は添付PDFをご覧ください。又は東京事務局大久保までお問合せ下さい。</p>
	<p><a href="http://www.jocs.or.jp/office/pdf/studytourguide.pdf">スタディツアー案内</a><br />
a href="http://www.jocs.or.jp/office/pdf/manual.pdf"]参加説明会</a></p>
	<p>　 公益社団法人　日本キリスト教海外医療協力会（JOCS）<br />
　 担当：大久保　奈緒<br />
  Japan Overseas Christian Medical Cooperative Service<br />
  E-mail: info@jocs.or.jp   URL: http://www.jocs.or.jp<br />
  TEL：03-3208-2416　FAX：03-3232-6922</p>
]]></content:encoded>
	</item>
		<item>
		<title>切手のご寄付がありました</title>
		<link>http://www.jocs.or.jp/jocs/modules/wordpress/index.php?p=416</link>
		<comments>http://www.jocs.or.jp/jocs/modules/wordpress/index.php?p=416#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 16 Apr 2012 15:43:21 +0900</pubDate>
		<author>admin &lt;&#115;ta&#109;&#112;&#64;&#106;ocs.o&#114;&#46;&#106;&#112;&gt;</author>
		
	<category>事務局切手部</category>		<guid isPermaLink="true">http://www.jocs.or.jp/jocs/modules/wordpress/index.php?p=416</guid>
		<description>	皆様こんにちは。久しぶりの切手ブログです。
	今日は、リコーロジスティクス株式会社の村越さんと牛山さんのお二人が、たくさんの切手を持って、切手部を訪れてくださいました。
リコーロジスティクス株式会社さんには、毎年事務局までお越し頂き、本当にいつもたくさんの切手をご寄付いただきまして、心からの感謝を申し上げます。
お二人と、切手の換金やボランティアさんの作業内容などについてお話をしてから、記念写真を取りました。
	来年も、またお会い出来ることを楽しみに、これからまた１年間頑張ります。
今後もどうぞよろしくお願いいたします。

 </description>
		<content:encoded><![CDATA[	<p>皆様こんにちは。久しぶりの切手ブログです。</p>
	<p>今日は、リコーロジスティクス株式会社の村越さんと牛山さんのお二人が、たくさんの切手を持って、切手部を訪れてくださいました。<br />
リコーロジスティクス株式会社さんには、毎年事務局までお越し頂き、本当にいつもたくさんの切手をご寄付いただきまして、心からの感謝を申し上げます。<br />
お二人と、切手の換金やボランティアさんの作業内容などについてお話をしてから、記念写真を取りました。</p>
	<p><img src="http://www.jocs.or.jp/jocs/modules/wordpress/attach/ricoh.gif" alt="" /></p>
	<p>来年も、またお会い出来ることを楽しみに、これからまた１年間頑張ります。<br />
今後もどうぞよろしくお願いいたします。
</p>
]]></content:encoded>
	</item>
		<item>
		<title>11年度総主事通信　?</title>
		<link>http://www.jocs.or.jp/jocs/modules/wordpress/index.php?p=415</link>
		<comments>http://www.jocs.or.jp/jocs/modules/wordpress/index.php?p=415#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 13 Apr 2012 11:55:04 +0900</pubDate>
		<author>jocsgs &lt;h&#111;&#101;&#64;jocs.&#111;r&#46;&#106;p&gt;</author>
		
	<category>総主事コメント</category>
	<category>総主事通信</category>		<guid isPermaLink="true">http://www.jocs.or.jp/jocs/modules/wordpress/index.php?p=415</guid>
		<description>	今月のコメント
	●“回復する力は、誰にでもある”-アルフォンス・デーケン司祭（東京・生と死を考える会名誉会長）
　昨年の今頃は、世の中の全てがモノクロに映りました。今年は、桜の色の美しさが、目に染みました。
　「・・・桜の季節は毎年必ず巡ってくるけれど、去年と今年の花の間には丸1年の時間が、年輪のように刻まれている」（日経　2012．4．8）。一日一日が、そして一つひとつの言葉が年輪のように刻まれた1年でした。
　
　「海沿いの介護施設を訪ねた。個室に入ると、89歳のおじいちゃんが、窓の近くで海を見ていた。長女（62）が、身の回りの世話を終えて帰ろうとした時、おじいちゃんがふと、聞いた。『ばあちゃんはいつ来るんだ』長女は目を伏せて答えた。『仙台の病院にいるんだから、すぐにこられないって』。おじいちゃんは、安心したように微笑んだ。
　あの日、おばあちゃんは海に面した病院の4階にいた。黒い水は高さ十数メートルの病室にまで押し寄せてきた。遺体が見つかり、知人に頼んで火葬した。避難所暮らしで、親族は葬式もできなかった。・・・帰りの車の中で、長女は私に言った。『いつまでウソをつけばいいんでしょう』。間もなく『3月11日』が来る。現実を受け入れられない人が、この町にはまだたくさんいる」（朝日　2012．2．28「南三陸日記」）。1年が巡っても、変わらぬ現実があります。
	　「・・・大震災の津波で娘と孫を亡くし、家を失った福島の女性が、私の本を読んで訪ねて来られました。ずっと自分の中に引きこもっていたけれど、今は周りの人を励ましています。人間にはすばらしい治癒力がある。スピリチュアリティーはユーモアや愛の能力に似ています・・・」（朝日　2012．3．19）と、死生学者であるアルフォンス・デーケン上智大学名誉教授は語ります。デーケン先生の「回復する力は誰にでもある」、「生きる意味は見つけられる」、「苦しみは選べぬが、対応は選べる」という言葉が、いまだ絶望の淵にある人たちの心に届きますように。
	●鬼　怒鳴門（キーン・ドナルド）氏の覚悟
	　日本文学研究者のドナルド・キーン氏（米コロンビア大学名誉教授：89歳）は今年3月8日、日本国籍を取得しました。漢字名は、「鬼　怒鳴門」です。キーン氏は、「振り返れば私が日本を選んだのではなく、日本に私が選ばれたというのがわが人生の実感。退職後は日本に永住して、日本国籍を申請したい。日本語に浸りながら、本を読み、本を書く暮らしに徹したい。」（asahi.com 2011．4．6）と、語っておられました。
　日本への永住の決意は、東日本大震災に際し、多くの外国人が離日したことが契機となったことは知られるところです。9月、成田に到着後のコメント、「希望があれば乗り越えることができる。終戦直後、私が訪れた東京は煙突しか残っていない街だったが、今は立派な都会になった。東北にも奇跡が起こる」が、印象に残っています。しかし日本国籍取得の記者会見では、震災後の日本の状況に、「率直に言うと、がっかりしています。日本人は力を合わせて東北の人を助けると思っていました。東京は（電気が）明るい。必要のない看板がたくさんある。東京だけではない。忘れているんじゃないか。まだやるべきことは、いっぱいある」と苦言を呈しました。
	　鬼　怒鳴門氏は、「人知をもってすれば天災も抑え込むことができる」という欧米流の科学的確信に疑いを持ち、「私は日本文化に洗脳された人間。自然の持つ力には逆らえないという諦観に心ひかれます。」とも語ります。
　福島の危機は終わっていません。でも、「ストレステスト一次評価は了承、しかし安全を保障するものではない」（？？？）という原子力「安全」委員会、「おおむね適合」（おおむね？）として大飯原発の再稼働を急ぐ政府は、この言葉を何と受け止めるのでしょう？鬼の怒鳴る声が聞こえてきそうです。「今は自分の魂を、日本のために使っている。それは大きな変化ですから」（朝日　2012．4．7）というキーン氏。氏の日本を問う姿勢と日本に「骨を埋める覚悟」に、福島のことに思いを寄せ、私たちが学び応える番です。福島は、日本の「代償」ではない、はずです。
	●「外国人看護師、なお難関」〜閉ざされた島国ニッポン
	　「・・・経済連携協定（ＥＰＡ）に基づきインドネシアとフィリピンから受け入れた看護師候補者47人が国家試験に合格した・・・。受験者は415人で、合格率は11.3％と過去最高だったが、依然として合格の壁は高い。・・・今回、日本人を含む全体の合格率は90.1％で、その差は大きい。・・・今回は2008年に第1陣として来日し、1年の滞在延長が認められたインドネシアの候補者にとって最後の試験だった。」（朝日　2012．3.27）
	　「・・・（ＥＰＡ）に基づき、インドネシアとフィリピンから来日した看護師、介護福祉士候補者は1,300人を超える。政府は受入れ段階で厳しい資格条件を設けたうえに、看護師なら3年以内、介護福祉士は4年以内に国家試験に合格するよう求めている。」（日経　2012．3.30）
厚労省は、合格率向上のため「漢字に振り仮名をつけ、試験時間を延長」する方針、だそうです。その次元の問題でしょうか？日本語習得、施設での研修、国家試験の受験勉強、その他多くの壁に直面した挙句、不合格となり、帰国を余儀なくされた人たちの未来は？ 彼らの人生の最も大切な、3年ないし4年という時間は戻りません。
	　ＪＯＣＳは、ＥＰＡ初年度の2008年、ＡＨＩ（アジア保健研修所）主催の勉強会＠東京に協力しました。ゲスト講師であるフィリピンで地域保健医療に従事する現地ＮＧＯのスタッフから、「途上国では医療過疎地が多い中、何故豊かな日本が我が国の医療従事者を奪おうとするのか？」と問われ、答えに窮したことを覚えています。ＥＰＡによって来日する人たちはいずれも母国では将来有望な人材ばかりです。1,300人もの貴重な人的資源を、医療や福祉ニーズの高い母国から切り離し、そして「9割以上を国家試験不合格者として母国へ返す」という矛盾に、制度上の根本的な問題を感じます。仮にその1,300人が母国に留まっていたなら、救い支えられる命はどれほどでしょう？
　何よりも、外交上の都合（？）で打ち出した「表向きの門戸開放」とは裏腹の、閉ざされた島国ニッポン。「難民受け入れ」政策も同様で、国際化を叫びつつ実態は？？？そこにわが「くに」の真の姿が透けて見えます。
 </description>
		<content:encoded><![CDATA[	<p>今月のコメント</p>
	<p>●“回復する力は、誰にでもある”-アルフォンス・デーケン司祭（東京・生と死を考える会名誉会長）<br />
　昨年の今頃は、世の中の全てがモノクロに映りました。今年は、桜の色の美しさが、目に染みました。<br />
　「・・・桜の季節は毎年必ず巡ってくるけれど、去年と今年の花の間には丸1年の時間が、年輪のように刻まれている」（日経　2012．4．8）。一日一日が、そして一つひとつの言葉が年輪のように刻まれた1年でした。<br />
　<br />
　「海沿いの介護施設を訪ねた。個室に入ると、89歳のおじいちゃんが、窓の近くで海を見ていた。長女（62）が、身の回りの世話を終えて帰ろうとした時、おじいちゃんがふと、聞いた。『ばあちゃんはいつ来るんだ』長女は目を伏せて答えた。『仙台の病院にいるんだから、すぐにこられないって』。おじいちゃんは、安心したように微笑んだ。<br />
　あの日、おばあちゃんは海に面した病院の4階にいた。黒い水は高さ十数メートルの病室にまで押し寄せてきた。遺体が見つかり、知人に頼んで火葬した。避難所暮らしで、親族は葬式もできなかった。・・・帰りの車の中で、長女は私に言った。『いつまでウソをつけばいいんでしょう』。間もなく『3月11日』が来る。現実を受け入れられない人が、この町にはまだたくさんいる」（朝日　2012．2．28「南三陸日記」）。1年が巡っても、変わらぬ現実があります。</p>
	<p>　「・・・大震災の津波で娘と孫を亡くし、家を失った福島の女性が、私の本を読んで訪ねて来られました。ずっと自分の中に引きこもっていたけれど、今は周りの人を励ましています。人間にはすばらしい治癒力がある。スピリチュアリティーはユーモアや愛の能力に似ています・・・」（朝日　2012．3．19）と、死生学者であるアルフォンス・デーケン上智大学名誉教授は語ります。デーケン先生の「回復する力は誰にでもある」、「生きる意味は見つけられる」、「苦しみは選べぬが、対応は選べる」という言葉が、いまだ絶望の淵にある人たちの心に届きますように。</p>
	<p>●鬼　怒鳴門（キーン・ドナルド）氏の覚悟</p>
	<p>　日本文学研究者のドナルド・キーン氏（米コロンビア大学名誉教授：89歳）は今年3月8日、日本国籍を取得しました。漢字名は、「鬼　怒鳴門」です。キーン氏は、「振り返れば私が日本を選んだのではなく、日本に私が選ばれたというのがわが人生の実感。退職後は日本に永住して、日本国籍を申請したい。日本語に浸りながら、本を読み、本を書く暮らしに徹したい。」（asahi.com 2011．4．6）と、語っておられました。<br />
　日本への永住の決意は、東日本大震災に際し、多くの外国人が離日したことが契機となったことは知られるところです。9月、成田に到着後のコメント、「希望があれば乗り越えることができる。終戦直後、私が訪れた東京は煙突しか残っていない街だったが、今は立派な都会になった。東北にも奇跡が起こる」が、印象に残っています。しかし日本国籍取得の記者会見では、震災後の日本の状況に、「率直に言うと、がっかりしています。日本人は力を合わせて東北の人を助けると思っていました。東京は（電気が）明るい。必要のない看板がたくさんある。東京だけではない。忘れているんじゃないか。まだやるべきことは、いっぱいある」と苦言を呈しました。</p>
	<p>　鬼　怒鳴門氏は、「人知をもってすれば天災も抑え込むことができる」という欧米流の科学的確信に疑いを持ち、「私は日本文化に洗脳された人間。自然の持つ力には逆らえないという諦観に心ひかれます。」とも語ります。<br />
　福島の危機は終わっていません。でも、「ストレステスト一次評価は了承、しかし安全を保障するものではない」（？？？）という原子力「安全」委員会、「おおむね適合」（おおむね？）として大飯原発の再稼働を急ぐ政府は、この言葉を何と受け止めるのでしょう？鬼の怒鳴る声が聞こえてきそうです。「今は自分の魂を、日本のために使っている。それは大きな変化ですから」（朝日　2012．4．7）というキーン氏。氏の日本を問う姿勢と日本に「骨を埋める覚悟」に、福島のことに思いを寄せ、私たちが学び応える番です。福島は、日本の「代償」ではない、はずです。</p>
	<p>●「外国人看護師、なお難関」〜閉ざされた島国ニッポン</p>
	<p>　「・・・経済連携協定（ＥＰＡ）に基づきインドネシアとフィリピンから受け入れた看護師候補者47人が国家試験に合格した・・・。受験者は415人で、合格率は11.3％と過去最高だったが、依然として合格の壁は高い。・・・今回、日本人を含む全体の合格率は90.1％で、その差は大きい。・・・今回は2008年に第1陣として来日し、1年の滞在延長が認められたインドネシアの候補者にとって最後の試験だった。」（朝日　2012．3.27）</p>
	<p>　「・・・（ＥＰＡ）に基づき、インドネシアとフィリピンから来日した看護師、介護福祉士候補者は1,300人を超える。政府は受入れ段階で厳しい資格条件を設けたうえに、看護師なら3年以内、介護福祉士は4年以内に国家試験に合格するよう求めている。」（日経　2012．3.30）<br />
厚労省は、合格率向上のため「漢字に振り仮名をつけ、試験時間を延長」する方針、だそうです。その次元の問題でしょうか？日本語習得、施設での研修、国家試験の受験勉強、その他多くの壁に直面した挙句、不合格となり、帰国を余儀なくされた人たちの未来は？ 彼らの人生の最も大切な、3年ないし4年という時間は戻りません。</p>
	<p>　ＪＯＣＳは、ＥＰＡ初年度の2008年、ＡＨＩ（アジア保健研修所）主催の勉強会＠東京に協力しました。ゲスト講師であるフィリピンで地域保健医療に従事する現地ＮＧＯのスタッフから、「途上国では医療過疎地が多い中、何故豊かな日本が我が国の医療従事者を奪おうとするのか？」と問われ、答えに窮したことを覚えています。ＥＰＡによって来日する人たちはいずれも母国では将来有望な人材ばかりです。1,300人もの貴重な人的資源を、医療や福祉ニーズの高い母国から切り離し、そして「9割以上を国家試験不合格者として母国へ返す」という矛盾に、制度上の根本的な問題を感じます。仮にその1,300人が母国に留まっていたなら、救い支えられる命はどれほどでしょう？<br />
　何よりも、外交上の都合（？）で打ち出した「表向きの門戸開放」とは裏腹の、閉ざされた島国ニッポン。「難民受け入れ」政策も同様で、国際化を叫びつつ実態は？？？そこにわが「くに」の真の姿が透けて見えます。</p>
]]></content:encoded>
	</item>
		<item>
		<title>釜石訪問」レポート  ２０１２年３月８日〜１３日</title>
		<link>http://www.jocs.or.jp/jocs/modules/wordpress/index.php?p=414</link>
		<comments>http://www.jocs.or.jp/jocs/modules/wordpress/index.php?p=414#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 10 Apr 2012 17:55:40 +0900</pubDate>
		<author>admin &lt;&#115;tam&#112;&#64;joc&#115;.&#111;&#114;&#46;&#106;&#112;&gt;</author>
		
	<category>東日本大震災</category>		<guid isPermaLink="true">http://www.jocs.or.jp/jocs/modules/wordpress/index.php?p=414</guid>
		<description>	釜石訪問」レポート
２０１２年３月８日〜１３日
	カウンセラー・ＪＯＣＳ派遣　　　白石仁美
	　３月１１日、釜石での１日は、亡くなられた方たちの霊魂が確かに降りて来ていたような、普段とはまるで空気の違う１日でした。その日は（カリタス釜石）ベースは、活動をすべてオフにして、追悼のキャンドルナイトのろうそくを灯すボランティア以外は、「あの日」を思い巡らし、静かに過ごしました。
	　１４:００〜１５:００　　テゼの祈り・英神父の１年を振り返っての黙想
　１５:００〜１６:００　　御ミサ・１年を振り返っての４人の分かち合い
	　私は午前中、教会の木の枝を使い、ろうそくをどっさり使い、亡くなられた方たちの魂に見立て、「テゼの祈り」のために会場設営をしました。
普段１５人くらいの信者さんの教会が８０名くらいの人が集まり、午後２時４６分には、サイレンと黙とうが捧げられ、教会の鐘と、近くの曹洞宗のお寺の鐘も鳴り響きました。
	それらの祈りの時間の中で、私も含めて、皆が魂を揺さぶられ、涙を多く流しました。そこは突然に天に召された多くの霊魂が降りて来て、私たちと共に居るような、そして多くの心を合わせて祈って下さっている方たちも共に居て、それらの魂の交流がそこにあるような不思議な空間でした。
	　釜石駅には、鎮魂の鐘が設営されていて、その鐘には「鎮魂」「復興」「希望」「記憶」のことばが刻まれていますが、夜には、その周りに多くのキャンドルが灯され、多くの方が集い、「あの日」を偲びました。地元の人たちは、正直、泣き崩れる以上の辛さで、「思い出したくない」・・・地元の人でないと分からない激痛の中におられるのが、胸に突き刺さるほどで、釜石の友人と抱き合って泣きました。
	　今回、私は図らずも、大槌町の（カリタス）ベースから（カリタス）米川ベース（宮城県登米市）まで、うちの教会のキャラバンを運ぶ必要があり、大船渡、陸前高田、気仙沼、南三陸をすべてこの目で見ました。町がすべてなくなり、まっ平らな地面に、瓦礫の山があり、重機が動いているだけの、ここが日本か・・と思うような光景が、１ヶ所ではなく何ヶ所もあるのです。
	絶句する思いでした。「忘れてはいけない」と思いました。「わたし」ではなく、「そのひとたち」であったこと、その申し訳ない思い、痛みを、ずっと「忘れないで」、私はこれからも行き続けようと思いました。
	　その他にも沢山の活動をしました。釜石市社会福祉協議会と、カリタスジャパン主催の「明日からのよりよい支援に活かす〜コミュニケーションスキル講座〜」、今回も生活支援相談員さんや社協の職員、各ベースのスタッフや色々な宗派の方たち２０名あまりの参加がありました。
	スタッフ達が長期になり、疲れが出ているので汲みだす必要があるとのことでしたので、左手でその「疲れ」を絵に抽出し、グループワークで癒していくワークを行いました。皆の表情がほぐれ、愉しみだしたところで、「植物にたとえる」グループワークで、自己肯定感をさらに上げ、連帯感を高めました。
	おかしいくらいに、皆がこどものように元気になられたのが、嬉しいことでした。聖霊が豊かに働いて下さったことに、感謝でした。
　遠野でも、ジャパンプラットホーム主催で、上記研修の１回目を行いました。こちらも２５名の参加があり、こちらはアメリカ人、韓国人のスタッフもおり、年齢層も幅広く、また違う豊かさでした。
	　その他には２名の、支援するお立場でご自身も被災された方のカウンセリングを行いました。通常、９０分程度の時間で致しますが、３時間、４時間の汲み出しをし、その重さ、厳しさ、辛さに、わたしもさすがに、死闘に臨んだくらい疲弊しました。・・・が、お役に立つならば、精一杯、その方たちと神様に、私自身を差し出していきたいと思いました。そしてこのように、ＪＯＣＳから派遣して頂いて、継続的に行かせていただける恵みに、心から感謝しています。
	　特に優秀な訳でもない私を神様がお選びになり、このように働かせて下さる恵みと、そこに神様が生きて働いて下さる不思議に、感謝し、祈りのうちに応えていきたいとその恵みを願っています。
　どうか、これを読んで下さった方々が、どうぞ「忘れないで」お祈りと支援をくださいますように、よろしくお願い致します。

 </description>
		<content:encoded><![CDATA[	<p>釜石訪問」レポート<br />
２０１２年３月８日〜１３日</p>
	<p>カウンセラー・ＪＯＣＳ派遣　　　白石仁美</p>
	<p>　３月１１日、釜石での１日は、亡くなられた方たちの霊魂が確かに降りて来ていたような、普段とはまるで空気の違う１日でした。その日は（カリタス釜石）ベースは、活動をすべてオフにして、追悼のキャンドルナイトのろうそくを灯すボランティア以外は、「あの日」を思い巡らし、静かに過ごしました。</p>
	<p>　１４:００〜１５:００　　テゼの祈り・英神父の１年を振り返っての黙想<br />
　１５:００〜１６:００　　御ミサ・１年を振り返っての４人の分かち合い</p>
	<p>　私は午前中、教会の木の枝を使い、ろうそくをどっさり使い、亡くなられた方たちの魂に見立て、「テゼの祈り」のために会場設営をしました。<br />
普段１５人くらいの信者さんの教会が８０名くらいの人が集まり、午後２時４６分には、サイレンと黙とうが捧げられ、教会の鐘と、近くの曹洞宗のお寺の鐘も鳴り響きました。</p>
	<p>それらの祈りの時間の中で、私も含めて、皆が魂を揺さぶられ、涙を多く流しました。そこは突然に天に召された多くの霊魂が降りて来て、私たちと共に居るような、そして多くの心を合わせて祈って下さっている方たちも共に居て、それらの魂の交流がそこにあるような不思議な空間でした。</p>
	<p>　釜石駅には、鎮魂の鐘が設営されていて、その鐘には「鎮魂」「復興」「希望」「記憶」のことばが刻まれていますが、夜には、その周りに多くのキャンドルが灯され、多くの方が集い、「あの日」を偲びました。地元の人たちは、正直、泣き崩れる以上の辛さで、「思い出したくない」・・・地元の人でないと分からない激痛の中におられるのが、胸に突き刺さるほどで、釜石の友人と抱き合って泣きました。</p>
	<p>　今回、私は図らずも、大槌町の（カリタス）ベースから（カリタス）米川ベース（宮城県登米市）まで、うちの教会のキャラバンを運ぶ必要があり、大船渡、陸前高田、気仙沼、南三陸をすべてこの目で見ました。町がすべてなくなり、まっ平らな地面に、瓦礫の山があり、重機が動いているだけの、ここが日本か・・と思うような光景が、１ヶ所ではなく何ヶ所もあるのです。</p>
	<p>絶句する思いでした。「忘れてはいけない」と思いました。「わたし」ではなく、「そのひとたち」であったこと、その申し訳ない思い、痛みを、ずっと「忘れないで」、私はこれからも行き続けようと思いました。</p>
	<p>　その他にも沢山の活動をしました。釜石市社会福祉協議会と、カリタスジャパン主催の「明日からのよりよい支援に活かす〜コミュニケーションスキル講座〜」、今回も生活支援相談員さんや社協の職員、各ベースのスタッフや色々な宗派の方たち２０名あまりの参加がありました。</p>
	<p>スタッフ達が長期になり、疲れが出ているので汲みだす必要があるとのことでしたので、左手でその「疲れ」を絵に抽出し、グループワークで癒していくワークを行いました。皆の表情がほぐれ、愉しみだしたところで、「植物にたとえる」グループワークで、自己肯定感をさらに上げ、連帯感を高めました。</p>
	<p>おかしいくらいに、皆がこどものように元気になられたのが、嬉しいことでした。聖霊が豊かに働いて下さったことに、感謝でした。<br />
　遠野でも、ジャパンプラットホーム主催で、上記研修の１回目を行いました。こちらも２５名の参加があり、こちらはアメリカ人、韓国人のスタッフもおり、年齢層も幅広く、また違う豊かさでした。</p>
	<p>　その他には２名の、支援するお立場でご自身も被災された方のカウンセリングを行いました。通常、９０分程度の時間で致しますが、３時間、４時間の汲み出しをし、その重さ、厳しさ、辛さに、わたしもさすがに、死闘に臨んだくらい疲弊しました。・・・が、お役に立つならば、精一杯、その方たちと神様に、私自身を差し出していきたいと思いました。そしてこのように、ＪＯＣＳから派遣して頂いて、継続的に行かせていただける恵みに、心から感謝しています。</p>
	<p>　特に優秀な訳でもない私を神様がお選びになり、このように働かせて下さる恵みと、そこに神様が生きて働いて下さる不思議に、感謝し、祈りのうちに応えていきたいとその恵みを願っています。<br />
　どうか、これを読んで下さった方々が、どうぞ「忘れないで」お祈りと支援をくださいますように、よろしくお願い致します。
</p>
]]></content:encoded>
	</item>
		<item>
		<title>ネパール奨学生からのメッセージ</title>
		<link>http://www.jocs.or.jp/jocs/modules/wordpress/index.php?p=413</link>
		<comments>http://www.jocs.or.jp/jocs/modules/wordpress/index.php?p=413#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 06 Apr 2012 10:43:56 +0900</pubDate>
		<author>morita &lt;m&#109;o&#114;&#105;&#116;&#97;&#64;&#106;&#111;&#99;&#115;&#46;or.jp&gt;</author>
		
	<category>事務局一般</category>		<guid isPermaLink="true">http://www.jocs.or.jp/jocs/modules/wordpress/index.php?p=413</guid>
		<description>	2011年末に2年間の勉強を終えた、ネパール・タンセン病院の奨学生から、会員のみなさんにお礼のメッセージが届きましたので、一部をご紹介します。
	”JOCS会員の皆さんへ、たくさんの感謝と敬意を込めて。みなさんのおかげで、アシスタントから正式な理学療法士になることができました。習得したスキルと知識を用いて、患者さんの身体機能回復のためにベストを尽くしています。直接的、間接的に、様々な分野でネパールの保健医療を支えてくださっているみなさん、本当にありがとう。”
	　2011年度は、みなさんのご協力によって、6ヵ国、86名の保健医療に携わる人材をJOCS奨学生として支援することができました。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

 </description>
		<content:encoded><![CDATA[	<p>2011年末に2年間の勉強を終えた、ネパール・タンセン病院の奨学生から、会員のみなさんにお礼のメッセージが届きましたので、一部をご紹介します。</p>
	<p>”JOCS会員の皆さんへ、たくさんの感謝と敬意を込めて。みなさんのおかげで、アシスタントから正式な理学療法士になることができました。習得したスキルと知識を用いて、患者さんの身体機能回復のためにベストを尽くしています。直接的、間接的に、様々な分野でネパールの保健医療を支えてくださっているみなさん、本当にありがとう。”</p>
	<p><img src="http://www.jocs.or.jp/jocs/modules/wordpress/attach/From Tansen.jpg" alt="" /></p>
	<p>　2011年度は、みなさんのご協力によって、6ヵ国、86名の保健医療に携わる人材をJOCS奨学生として支援することができました。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
</p>
]]></content:encoded>
	</item>
		<item>
		<title>切手ブログ更新3月29日</title>
		<link>http://www.jocs.or.jp/jocs/modules/wordpress/index.php?p=412</link>
		<comments>http://www.jocs.or.jp/jocs/modules/wordpress/index.php?p=412#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 29 Mar 2012 13:25:04 +0900</pubDate>
		<author>admin &lt;&#115;&#116;&#97;&#109;&#112;&#64;&#106;&#111;cs.o&#114;&#46;&#106;p&gt;</author>
		
	<category>事務局切手部</category>		<guid isPermaLink="true">http://www.jocs.or.jp/jocs/modules/wordpress/index.php?p=412</guid>
		<description>	またもや、ブログのアップデートは御無沙汰してしまいました。
ツイッターの更新やフェースブックの立ち上げなど、新するものが多くなったことと、
ホームページの改造そのものの作業が増えて、ブログを更新するのがままならなくなりました、と言い訳をまずしておきます。
	切手部ですが、おかげさまで3月の年度末、切手のご寄付がたくさん集まりまして、キロボックスをお待ちのお客様個人の方には、ほぼ1週間〜2週間内でお送り出来るまでになりました。
	長い時は確実に1か月かかっていましたので、本当に助かりました。
皆様の多くのご寄付・ご協力に心からの感謝を申し上げます。
	さて、前回のブログでも書きましたが、4月から切手をご寄付下さる団体様に限り、その団体名を、感謝の意を込めてホームページ上に掲載させていただくことにしました。
	来月、4月から始めますが、4月1日より頂きましたご寄付分のお名前をだけを月末にデーター化し、ホームページの専用ページにその団体名と部署名を載せます。
	掲載する基準は、ご寄付の多寡や種類は問いません。
それから、基本的に受領書を不要とされます方は掲載いたしません。
そして、特に掲載不許可のお申し出ある団体様も、受領書の要不要に関わらず掲載いたしません。
	以上ですが、今までのところ、データー化しますと一カ月で500件以上に昇ることが判りましたので、記述するフォントがかなり小さなものになりますこと、あらかじめご了解願いたいと思います。
	それから切手の受領のお葉書ですが、この3月よりコンピューターによる出力とさせていただくことになりました。
	長年にわたり、ボランティアさんのお手を借りて、宛名を手書きにしてお送りして来ましたが、ボランティアさんの人数が減ってきましたこと、仕事の間違いや間違いに対する対処などなど、様々なことを勘案しました。
	長年、こちらからの受領のお葉書を手書きによるものとして、親しまれてきた皆様には、少々違和感があるかもしれませんが、こちらといたしましても、ボランティアさんの負担などを考え、止むなくコンピュータ出力とすることに決定いたしました。
	どうか、ご理解のほどお願い申し上げます。
	新年度も、続けて切手運動を頑張りたいと思います。
どうか、ご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。
 </description>
		<content:encoded><![CDATA[	<p>またもや、ブログのアップデートは御無沙汰してしまいました。<br />
ツイッターの更新やフェースブックの立ち上げなど、新するものが多くなったことと、<br />
ホームページの改造そのものの作業が増えて、ブログを更新するのがままならなくなりました、と言い訳をまずしておきます。</p>
	<p><img src="http://www.jocs.or.jp/jocs/modules/wordpress/attach/kitte001.jpg" alt="" /></p>
	<p>切手部ですが、おかげさまで3月の年度末、切手のご寄付がたくさん集まりまして、キロボックスをお待ちのお客様個人の方には、ほぼ1週間〜2週間内でお送り出来るまでになりました。<br />
<img src="http://www.jocs.or.jp/jocs/modules/wordpress/attach/kitte002.jpg" alt="" /></p>
	<p>長い時は確実に1か月かかっていましたので、本当に助かりました。<br />
皆様の多くのご寄付・ご協力に心からの感謝を申し上げます。</p>
	<p>さて、前回のブログでも書きましたが、4月から切手をご寄付下さる団体様に限り、その団体名を、感謝の意を込めてホームページ上に掲載させていただくことにしました。</p>
	<p>来月、4月から始めますが、4月1日より頂きましたご寄付分のお名前をだけを月末にデーター化し、ホームページの専用ページにその団体名と部署名を載せます。</p>
	<p>掲載する基準は、ご寄付の多寡や種類は問いません。<br />
それから、基本的に受領書を不要とされます方は掲載いたしません。<br />
そして、特に掲載不許可のお申し出ある団体様も、受領書の要不要に関わらず掲載いたしません。</p>
	<p>以上ですが、今までのところ、データー化しますと一カ月で500件以上に昇ることが判りましたので、記述するフォントがかなり小さなものになりますこと、あらかじめご了解願いたいと思います。</p>
	<p>それから切手の受領のお葉書ですが、この3月よりコンピューターによる出力とさせていただくことになりました。</p>
	<p>長年にわたり、ボランティアさんのお手を借りて、宛名を手書きにしてお送りして来ましたが、ボランティアさんの人数が減ってきましたこと、仕事の間違いや間違いに対する対処などなど、様々なことを勘案しました。</p>
	<p>長年、こちらからの受領のお葉書を手書きによるものとして、親しまれてきた皆様には、少々違和感があるかもしれませんが、こちらといたしましても、ボランティアさんの負担などを考え、止むなくコンピュータ出力とすることに決定いたしました。</p>
	<p>どうか、ご理解のほどお願い申し上げます。</p>
	<p>新年度も、続けて切手運動を頑張りたいと思います。<br />
どうか、ご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。</p>
]]></content:encoded>
	</item>
		<item>
		<title>11年度総主事通信　?</title>
		<link>http://www.jocs.or.jp/jocs/modules/wordpress/index.php?p=411</link>
		<comments>http://www.jocs.or.jp/jocs/modules/wordpress/index.php?p=411#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 15 Mar 2012 15:42:26 +0900</pubDate>
		<author>jocsgs &lt;&#104;&#111;e&#64;&#106;&#111;&#99;&#115;.&#111;r.&#106;&#112;&gt;</author>
		
	<category>総主事コメント</category>
	<category>総主事通信</category>		<guid isPermaLink="true">http://www.jocs.or.jp/jocs/modules/wordpress/index.php?p=411</guid>
		<description>	今月のコメント
	●“魂の声”〜記念切符「釜石から復興未来ゆき〜諦めない限り」
	　あの震災以降、折に触れ心打つ言葉を紹介してきました。今回も、3つの言葉を。
３．１１の追悼式、宮城県の遺族代表の奥田江利子さんは、「悲しみを抱いて生きていきます」と語りました。
	　「先生、あのね。両親と姉を亡くした岩手県陸前高田市の熊谷海音（かのん）ちゃん（8）は昨年11月、マラソン大会の途中で家族の声が聞こえた、と小学校の『あのね帳』に書いた。こんな言葉が並ぶ。
　『がんばれかのん』。ママの声です。『うちの分まで』。おねーちゃんの声です。『つなみにまけないおまえがまけるわけがない。おれたちの分までがんばれ』。パパの声がしました。『うち、がんばっているからおうえんおねがいね』。楽しかったけど、ちょっといま一人になったことがくやしいです。
　・・・80歳まで生きたらタイムスリップして、小学校1年の私になるの。そうすれば天国のパパとママが私を見つけて迎えに来てくれるから。海音ちゃんは時折、家族の写真を枕元に置いて眠りにつく。みんなの声を忘れないように、と。・・・」（朝日　2012.3．10）
	　「釜石から復興未来ゆき」という切符が、大震災から1年となる2012年3月11日に釜石駅で販売されました。被災して大半の区間が不通となった三陸鉄道の支援のために地元有志が企画したものです。有効期間は「諦めない限り」と書かれています。復興未来ゆきキップ実行委員会の三塚浩之さん（49）は『乗車のためではなく自分のための切符。実際には乗れないが、復旧というゴールに向けて走る三陸を見ながら、ゴールの見えない私たちが走り始めるきっかけにしたい』と話す。」（朝日　2012.3．10）
	　奥田さんにはご両親と2人の子どもの「代わり」に生まれた孫　梨智ちゃんが、海音ちゃんには「家族の声」が、三塚さんたちにとっては「復興未来ゆき・諦めない限り」の切符が、“魂の声”となって背中を押しています。
	●“No Nukes”コンサート‘79〜「忘却に抗う」（週刊金曜日　2011.12．23）
	　1979年3月28日、私の大学卒業式の後、米国ペンシルバニア州スリーマイル島で原発事故が起こりました（チェルノブイリは1986年）。「レベル5」でした。それは、奇遇にも映画「チャイナ・シンドローム」公開の12日後でもありました。“チャイナ・シンドローム”それは原発の最悪事故を意味します。
　福島第一原発事故は「レベル７」、チェルノブイリと同じです。そして放出された放射能は「57京ベクレル」（原子力安全委員会発表）、「京」は兆の千倍、57,000,000,000,000,000ベクレル、途方もない数値です。
　スリーマイル原発事故の後、米国のミュージシャンたちは一斉に、“No Nukes”という反核コンサート＠NY（同年9月）のために立ち上がりました。正式名称は、“MUSE/Musicians United for Safe Energy”コンサートです。ロック界のスーパースターたちの素晴らしいパフォーマンスの数々、しかし最も印象に残っているのは、ジョン・ホールの“Power”という曲です。心打つ静かな美しいメロディ。しかしメッセージは明確かつシンプルな「原子力ではない自然エネルギーを」でした。私の中では、スリーマイルは32年もの間、ずっと他人事であったにも関わらず、その歌はいつも心の中で響いていました。恥ずかしながら、「命の危機」が身近なものとなって初めて、歌の向こうにある切実な訴えが突き付けられ、心の中の何かが呼び覚まされました。
	　さて、第79回アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞・受賞の「不都合な真実」（2006）のアル・ゴア氏曰く、「迫害を受ける研究者を何人も見てきた。嘲笑され、仕事を奪われ、収入を断たれる研究者、彼らが“不都合な真実”を発見してしまったからだ。そして発表を試みたからだ」と。「原子力村」の巨大な利権共同体の“神話”に排除された研究者たちの“声”、隠蔽された「不都合な真実」と私たちは向き合わねばなりません。それは私自身と向き合う、ことでもあります。「忘却に抗う」と共に、あの“Ｐｏｗｅｒ”（Youtubeでも観られます）を心に刻んで。
	●映画「津波、そして桜」と第84回アカデミー賞短編ドキュメンタリー賞
	　いまだ寒い日々が続くものの、少しずつ春へ、桜の季節へ移ろい始めています。昨年は、桜を見ることすら辛いことでした。桜に目を向けたのはようやく5月の中頃、新花巻から釜石行きの列車からでした。美しい桜が咲き乱れるのどかな田園風景は、釜石に着いた途端、真っ黒な瓦礫の山の情景へと一変しました。
　今年のアカデミー賞では、英国人のルーシー・ウォーカー監督の映画「津波、そして桜」がノミネートされました。東日本大震災の被災者たちが、復興に向けて歩み始めた姿を、日本文化を象徴する桜の花と共に綴った39分の短編です。この監督自身も、かけがえのない母親の闘病と死別体験と桜とが結びつく体験をもつ方です。震災当時、既に完成済みの映画「カウントダウンZERO」の日本での宣伝のために来日していた時、東日本大震災に遭遇し、仲間たち3人と撮り始めたのでした。
	　今回のアカデミー賞短編ドキュメンタリー賞を受賞したのは、「セービング・フェース（顔の救済）」でした。監督はパキスタン人女性のシャルミーン・オベイド・チノイさんです。
	　「作品は米国人監督との共作で、夫や恋人から硫酸を浴びせられてやけどした女性と、治療に当たる男性医師の様子をとらえた。地元NGOによると、パキスタンでは毎年、150人以上の女性が硫酸の被害にあっているという。家庭内暴力の延長や求婚を断られた報復として、女性の顔を大きく傷つけ、屈辱を与えるとともに社会生活ができなくすることが主な理由だ。」（朝日　2012．2.29）
	　映画「津波、そして桜」は受賞を逃しましたが、封印されてきた女性への暴力に光が当たったことは大きな前進です。3月8日は国際女性デーでした。毎日が記念日、毎日が女性の人権が尊重される日でありますように。今年のアカデミー賞短編ドキュメンタリー賞は、二つの映画にとってダブルの価値があるように思えます。
 </description>
		<content:encoded><![CDATA[	<p>今月のコメント</p>
	<p>●“魂の声”〜記念切符「釜石から復興未来ゆき〜諦めない限り」</p>
	<p>　あの震災以降、折に触れ心打つ言葉を紹介してきました。今回も、3つの言葉を。<br />
３．１１の追悼式、宮城県の遺族代表の奥田江利子さんは、「悲しみを抱いて生きていきます」と語りました。</p>
	<p>　「先生、あのね。両親と姉を亡くした岩手県陸前高田市の熊谷海音（かのん）ちゃん（8）は昨年11月、マラソン大会の途中で家族の声が聞こえた、と小学校の『あのね帳』に書いた。こんな言葉が並ぶ。<br />
　『がんばれかのん』。ママの声です。『うちの分まで』。おねーちゃんの声です。『つなみにまけないおまえがまけるわけがない。おれたちの分までがんばれ』。パパの声がしました。『うち、がんばっているからおうえんおねがいね』。楽しかったけど、ちょっといま一人になったことがくやしいです。<br />
　・・・80歳まで生きたらタイムスリップして、小学校1年の私になるの。そうすれば天国のパパとママが私を見つけて迎えに来てくれるから。海音ちゃんは時折、家族の写真を枕元に置いて眠りにつく。みんなの声を忘れないように、と。・・・」（朝日　2012.3．10）</p>
	<p>　「釜石から復興未来ゆき」という切符が、大震災から1年となる2012年3月11日に釜石駅で販売されました。被災して大半の区間が不通となった三陸鉄道の支援のために地元有志が企画したものです。有効期間は「諦めない限り」と書かれています。復興未来ゆきキップ実行委員会の三塚浩之さん（49）は『乗車のためではなく自分のための切符。実際には乗れないが、復旧というゴールに向けて走る三陸を見ながら、ゴールの見えない私たちが走り始めるきっかけにしたい』と話す。」（朝日　2012.3．10）</p>
	<p>　奥田さんにはご両親と2人の子どもの「代わり」に生まれた孫　梨智ちゃんが、海音ちゃんには「家族の声」が、三塚さんたちにとっては「復興未来ゆき・諦めない限り」の切符が、“魂の声”となって背中を押しています。</p>
	<p>●“No Nukes”コンサート‘79〜「忘却に抗う」（週刊金曜日　2011.12．23）</p>
	<p>　1979年3月28日、私の大学卒業式の後、米国ペンシルバニア州スリーマイル島で原発事故が起こりました（チェルノブイリは1986年）。「レベル5」でした。それは、奇遇にも映画「チャイナ・シンドローム」公開の12日後でもありました。“チャイナ・シンドローム”それは原発の最悪事故を意味します。<br />
　福島第一原発事故は「レベル７」、チェルノブイリと同じです。そして放出された放射能は「57京ベクレル」（原子力安全委員会発表）、「京」は兆の千倍、57,000,000,000,000,000ベクレル、途方もない数値です。<br />
　スリーマイル原発事故の後、米国のミュージシャンたちは一斉に、“No Nukes”という反核コンサート＠NY（同年9月）のために立ち上がりました。正式名称は、“MUSE/Musicians United for Safe Energy”コンサートです。ロック界のスーパースターたちの素晴らしいパフォーマンスの数々、しかし最も印象に残っているのは、ジョン・ホールの“Power”という曲です。心打つ静かな美しいメロディ。しかしメッセージは明確かつシンプルな「原子力ではない自然エネルギーを」でした。私の中では、スリーマイルは32年もの間、ずっと他人事であったにも関わらず、その歌はいつも心の中で響いていました。恥ずかしながら、「命の危機」が身近なものとなって初めて、歌の向こうにある切実な訴えが突き付けられ、心の中の何かが呼び覚まされました。</p>
	<p>　さて、第79回アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞・受賞の「不都合な真実」（2006）のアル・ゴア氏曰く、「迫害を受ける研究者を何人も見てきた。嘲笑され、仕事を奪われ、収入を断たれる研究者、彼らが“不都合な真実”を発見してしまったからだ。そして発表を試みたからだ」と。「原子力村」の巨大な利権共同体の“神話”に排除された研究者たちの“声”、隠蔽された「不都合な真実」と私たちは向き合わねばなりません。それは私自身と向き合う、ことでもあります。「忘却に抗う」と共に、あの“Ｐｏｗｅｒ”（Youtubeでも観られます）を心に刻んで。</p>
	<p>●映画「津波、そして桜」と第84回アカデミー賞短編ドキュメンタリー賞</p>
	<p>　いまだ寒い日々が続くものの、少しずつ春へ、桜の季節へ移ろい始めています。昨年は、桜を見ることすら辛いことでした。桜に目を向けたのはようやく5月の中頃、新花巻から釜石行きの列車からでした。美しい桜が咲き乱れるのどかな田園風景は、釜石に着いた途端、真っ黒な瓦礫の山の情景へと一変しました。<br />
　今年のアカデミー賞では、英国人のルーシー・ウォーカー監督の映画「津波、そして桜」がノミネートされました。東日本大震災の被災者たちが、復興に向けて歩み始めた姿を、日本文化を象徴する桜の花と共に綴った39分の短編です。この監督自身も、かけがえのない母親の闘病と死別体験と桜とが結びつく体験をもつ方です。震災当時、既に完成済みの映画「カウントダウンZERO」の日本での宣伝のために来日していた時、東日本大震災に遭遇し、仲間たち3人と撮り始めたのでした。</p>
	<p>　今回のアカデミー賞短編ドキュメンタリー賞を受賞したのは、「セービング・フェース（顔の救済）」でした。監督はパキスタン人女性のシャルミーン・オベイド・チノイさんです。</p>
	<p>　「作品は米国人監督との共作で、夫や恋人から硫酸を浴びせられてやけどした女性と、治療に当たる男性医師の様子をとらえた。地元NGOによると、パキスタンでは毎年、150人以上の女性が硫酸の被害にあっているという。家庭内暴力の延長や求婚を断られた報復として、女性の顔を大きく傷つけ、屈辱を与えるとともに社会生活ができなくすることが主な理由だ。」（朝日　2012．2.29）</p>
	<p>　映画「津波、そして桜」は受賞を逃しましたが、封印されてきた女性への暴力に光が当たったことは大きな前進です。3月8日は国際女性デーでした。毎日が記念日、毎日が女性の人権が尊重される日でありますように。今年のアカデミー賞短編ドキュメンタリー賞は、二つの映画にとってダブルの価値があるように思えます。</p>
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	</item>
		<item>
		<title>３．１１から1年、揺れ続け、今想うこと</title>
		<link>http://www.jocs.or.jp/jocs/modules/wordpress/index.php?p=410</link>
		<comments>http://www.jocs.or.jp/jocs/modules/wordpress/index.php?p=410#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 15 Mar 2012 15:36:20 +0900</pubDate>
		<author>jocsgs &lt;hoe&#64;&#106;o&#99;s&#46;&#111;&#114;.&#106;&#112;&gt;</author>
		
	<category>総主事コメント</category>
	<category>総主事通信</category>		<guid isPermaLink="true">http://www.jocs.or.jp/jocs/modules/wordpress/index.php?p=410</guid>
		<description>	「３．１１から1年、揺れ続け、今想うこと。」
	　昨年の総主事通信?の配信日は「3月11日」でした。発信時刻は午後12時7分。2時間39分後に、東日本大震災が発生しました。阪神大震災の、怪獣にシェイクされたような凄まじい揺れも忘れられませんが、３．１１の大地の底から怒りが噴出したような地震も忘れられません。時は主の復活の日（イースター）に向かう受難節の出来事です。大きく揺れ続けたこの1年、文字通りＭ５以上の余震は600回を越えました。昨晩も、です。
	　「死者15,854人、行方不明者3,155人(3/14現在)、避難者344,290人（3/8現在）」。この統計は、1年を過ぎた今、「毎日」ではなく、「週1回」の発表に切り替わりました。
	　3月11日には、各地で鎮魂と祈りの集いがもたれました。反原発・脱原発の集会も、日本のみならず、世界各地に広がりました。スローガンは一つ、「フクシマを忘れるな」と。3月11日は、12日になり、13日になります。そして4月になり5月になります。私たちはその日（の記憶）に留まり、その日（の記憶）から離れていく現実のはざまで、これからも揺れ続けていきます。
	　私たちは、被災地の方々に「明るさや希望や絆を求めてきた（自らの喪失を埋めるが如く）」ように思えてなりません。一体誰のための希望？絆？でしょうか。被災地の痛みを、と言いながら、約2,247万トンの瓦礫の受入が進まぬ事実は、沖縄の米軍基地の問題にも重なります。瓦礫は阪神大震災の1.6倍、全国の年間一般廃棄物総量の2分の1に相当します。福島の原発事故は、水俣などの公害の問題にもつながります。私たちが看過し無関心であったことの厳しい事実を突き付けられた1年でした。応える言葉はまだ、見つかりません。
	　「復活」への道のりが遥か遠くに思える現実、でもなお「復活」を信じる自分とのはざまで揺れ続けています。
 </description>
		<content:encoded><![CDATA[	<p>「３．１１から1年、揺れ続け、今想うこと。」</p>
	<p>　昨年の総主事通信?の配信日は「3月11日」でした。発信時刻は午後12時7分。2時間39分後に、東日本大震災が発生しました。阪神大震災の、怪獣にシェイクされたような凄まじい揺れも忘れられませんが、３．１１の大地の底から怒りが噴出したような地震も忘れられません。時は主の復活の日（イースター）に向かう受難節の出来事です。大きく揺れ続けたこの1年、文字通りＭ５以上の余震は600回を越えました。昨晩も、です。</p>
	<p>　「死者15,854人、行方不明者3,155人(3/14現在)、避難者344,290人（3/8現在）」。この統計は、1年を過ぎた今、「毎日」ではなく、「週1回」の発表に切り替わりました。</p>
	<p>　3月11日には、各地で鎮魂と祈りの集いがもたれました。反原発・脱原発の集会も、日本のみならず、世界各地に広がりました。スローガンは一つ、「フクシマを忘れるな」と。3月11日は、12日になり、13日になります。そして4月になり5月になります。私たちはその日（の記憶）に留まり、その日（の記憶）から離れていく現実のはざまで、これからも揺れ続けていきます。</p>
	<p>　私たちは、被災地の方々に「明るさや希望や絆を求めてきた（自らの喪失を埋めるが如く）」ように思えてなりません。一体誰のための希望？絆？でしょうか。被災地の痛みを、と言いながら、約2,247万トンの瓦礫の受入が進まぬ事実は、沖縄の米軍基地の問題にも重なります。瓦礫は阪神大震災の1.6倍、全国の年間一般廃棄物総量の2分の1に相当します。福島の原発事故は、水俣などの公害の問題にもつながります。私たちが看過し無関心であったことの厳しい事実を突き付けられた1年でした。応える言葉はまだ、見つかりません。</p>
	<p>　「復活」への道のりが遥か遠くに思える現実、でもなお「復活」を信じる自分とのはざまで揺れ続けています。</p>
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	</item>
		<item>
		<title>東日本大震災・第3回看護チーム（2012年1月23日〜28日） 　山本貞子さんのレポートから（抜粋）</title>
		<link>http://www.jocs.or.jp/jocs/modules/wordpress/index.php?p=409</link>
		<comments>http://www.jocs.or.jp/jocs/modules/wordpress/index.php?p=409#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 02 Mar 2012 15:10:40 +0900</pubDate>
		<author>admin &lt;&#115;&#116;&#97;&#109;&#112;&#64;&#106;&#111;&#99;&#115;&#46;or&#46;&#106;p&gt;</author>
		
	<category>東日本大震災</category>		<guid isPermaLink="true">http://www.jocs.or.jp/jocs/modules/wordpress/index.php?p=409</guid>
		<description>	東日本大震災・第3回看護チーム（2012年1月23日〜28日）
　山本貞子さんのレポートから（抜粋）
	JOCSは、東本大震災の被災地である岩手県釜石で、昨年4月初旬から5月末までの約2か月間、避難所での巡回診療を続けていました。
	その後地元の医療体制の回復状況を見ながら、8月以降（避難所から仮設住宅への移行期）は、看護師チーム（全国各地から協力くださっています）の訪問ケアにシフトし、今も続けています。
	看護チームの主な活動は、約2か月に1回のペース（毎回約1週間）で、釜石地区の仮設住宅や孤立集落（箱崎白浜地区）の仮設及び在宅の被災者の方々を対象とする訪問ケアです。
この活動は釜石市地域保健課や医師会の了解を得て行っているものです。
	地元の協力団体はカリタス釜石ベース（カトリック釜石教会）です。看護チームは上記の活動に加えて、釜石ベースが行っている「ふぃりあ」（教会）・「移動ふぃりあ」（2か所の仮設）という心のケア活動にも協力しています。
	以下は、看護チームのリーダーである山本貞子看護師による第3回看護チームのレポート（抜粋）から活動の様子と被災者の方々の声をお伝えしたいと思います。
	「・・・（カリタス釜石ベースに対し）地元社協からの要望は増える一方のようだ。社協からカリタスはとても信頼されている。それは震災直後から継続して活動されている伊瀬さん（コーディネーター）宇根さん（心のケアチームのリーダー）の存在があってのことだと思う。
	今回、『移動ふぃりあ』（仮設住宅での傾聴ケア活動）が毎週4回から14回に増えていた。毎日2か所、釜石ベースを入れれば3か所になる。これ以上は増やすことができないギリギリの回数だと思う。
	・・・看護師チーム全員が参加することができた『支援者の心のケア』に関する現地講演会（主催：ジャパン・プラットフォーム、会場：カトリック釜石教会）は面白くわかりやすかった。気持ちが一杯一杯にならないために、支援者はどうすればいいか。傾聴で心がけることを、体験型講義でわかりやすく学べた。・・・
	・・・仮設訪問の前に電話を入れたが、Ｉ氏と連絡が取れない。
行ってみたがやはり留守。Ｉ．Ｊ．さんとは再会出来た。1時間半ほど色々お話を伺う。そろそろ腰を上げようとすると、震災で壊れた一眼レフのカメラを出してこられる。畳屋のＨさんのことを心配されているので、今回こそ会ってみようと思う。
	午後畳工場を探した。残念ながらＨさんと会うことはできなかったが、近所の人から「Ｈさんは午前中仕事に来ていた。」と聞く、一安心する。
平田の仮設に住むＩ．Ｋ．さんは留守だった。盛岡に行かれたのかもしれない、と聞く。救急隊から、飲酒での病院行きは搬送を断られているそうだ。これからどうするつもりなんだろう、と考えてしまう。
	・・・午後はＳ．Ｓ．さん（84歳）を訪ねた。Ｓ．Ｓ．さんは海に近かったお宅で津波で奥様を亡くされた。40年間消防本部団長で矍鑠とされており、（自治会長の）Ｋさんを陰で支えている方である。「アメリカにいる2人の息子さんから一緒に住もうと誘われているが、白浜のことが気になり行きたくない。白浜の人がこれを機会に仲良くなってくれるのが夢だ。」と言われる。
	「山の方に広い土地を持っている。市が売ってくれと言っても売らない。寄付ならする。」と。かっこいい老人である。Ｓ．Ｓ．さん宅でＫさんを待っていたがなかなか戻られなかった。神社の仕事の後で飲み会だったようだ。最後に会えたが、Ｋさんは帰りがけに[寂しい。]と洩らされた。
	 鵜住居の仮設のＫ．Ｓ．さんは「（次回、看護チームの訪問ケアの）予定が早めに分かれば、談話室を借りてみんなを集めておく。」と言ってくれている。
仮設を回って感じたことは、皆さん一生懸命生きている。不安が一杯だがなるべく考えないようにして頑張っておられた。震災の話を聞いたり、一緒に笑ったり、今回も皆さんにエネルギーを頂く訪問だった。」
	　「よそ者ではできないこと」もありますが、「よそ者だからできること」があります。
一人ひとりを丁寧に訪ね聴く、看護チームの活動が、孤立する命を繋いでいるのだと思います。時折であっても、「傍らに居続ける」ことで。
JOCSは、2012年度も看護チームの派遣（約2か月に1回）を継続し、被災者の方々に寄り添い続けたいと思います。
 </description>
		<content:encoded><![CDATA[	<p>東日本大震災・第3回看護チーム（2012年1月23日〜28日）<br />
　山本貞子さんのレポートから（抜粋）</p>
	<p>JOCSは、東本大震災の被災地である岩手県釜石で、昨年4月初旬から5月末までの約2か月間、避難所での巡回診療を続けていました。</p>
	<p>その後地元の医療体制の回復状況を見ながら、8月以降（避難所から仮設住宅への移行期）は、看護師チーム（全国各地から協力くださっています）の訪問ケアにシフトし、今も続けています。</p>
	<p>看護チームの主な活動は、約2か月に1回のペース（毎回約1週間）で、釜石地区の仮設住宅や孤立集落（箱崎白浜地区）の仮設及び在宅の被災者の方々を対象とする訪問ケアです。<br />
この活動は釜石市地域保健課や医師会の了解を得て行っているものです。</p>
	<p>地元の協力団体はカリタス釜石ベース（カトリック釜石教会）です。看護チームは上記の活動に加えて、釜石ベースが行っている「ふぃりあ」（教会）・「移動ふぃりあ」（2か所の仮設）という心のケア活動にも協力しています。</p>
	<p>以下は、看護チームのリーダーである山本貞子看護師による第3回看護チームのレポート（抜粋）から活動の様子と被災者の方々の声をお伝えしたいと思います。</p>
	<p>「・・・（カリタス釜石ベースに対し）地元社協からの要望は増える一方のようだ。社協からカリタスはとても信頼されている。それは震災直後から継続して活動されている伊瀬さん（コーディネーター）宇根さん（心のケアチームのリーダー）の存在があってのことだと思う。</p>
	<p>今回、『移動ふぃりあ』（仮設住宅での傾聴ケア活動）が毎週4回から14回に増えていた。毎日2か所、釜石ベースを入れれば3か所になる。これ以上は増やすことができないギリギリの回数だと思う。</p>
	<p>・・・看護師チーム全員が参加することができた『支援者の心のケア』に関する現地講演会（主催：ジャパン・プラットフォーム、会場：カトリック釜石教会）は面白くわかりやすかった。気持ちが一杯一杯にならないために、支援者はどうすればいいか。傾聴で心がけることを、体験型講義でわかりやすく学べた。・・・</p>
	<p>・・・仮設訪問の前に電話を入れたが、Ｉ氏と連絡が取れない。<br />
行ってみたがやはり留守。Ｉ．Ｊ．さんとは再会出来た。1時間半ほど色々お話を伺う。そろそろ腰を上げようとすると、震災で壊れた一眼レフのカメラを出してこられる。畳屋のＨさんのことを心配されているので、今回こそ会ってみようと思う。</p>
	<p>午後畳工場を探した。残念ながらＨさんと会うことはできなかったが、近所の人から「Ｈさんは午前中仕事に来ていた。」と聞く、一安心する。<br />
平田の仮設に住むＩ．Ｋ．さんは留守だった。盛岡に行かれたのかもしれない、と聞く。救急隊から、飲酒での病院行きは搬送を断られているそうだ。これからどうするつもりなんだろう、と考えてしまう。</p>
	<p>・・・午後はＳ．Ｓ．さん（84歳）を訪ねた。Ｓ．Ｓ．さんは海に近かったお宅で津波で奥様を亡くされた。40年間消防本部団長で矍鑠とされており、（自治会長の）Ｋさんを陰で支えている方である。「アメリカにいる2人の息子さんから一緒に住もうと誘われているが、白浜のことが気になり行きたくない。白浜の人がこれを機会に仲良くなってくれるのが夢だ。」と言われる。</p>
	<p>「山の方に広い土地を持っている。市が売ってくれと言っても売らない。寄付ならする。」と。かっこいい老人である。Ｓ．Ｓ．さん宅でＫさんを待っていたがなかなか戻られなかった。神社の仕事の後で飲み会だったようだ。最後に会えたが、Ｋさんは帰りがけに[寂しい。]と洩らされた。</p>
	<p> 鵜住居の仮設のＫ．Ｓ．さんは「（次回、看護チームの訪問ケアの）予定が早めに分かれば、談話室を借りてみんなを集めておく。」と言ってくれている。<br />
仮設を回って感じたことは、皆さん一生懸命生きている。不安が一杯だがなるべく考えないようにして頑張っておられた。震災の話を聞いたり、一緒に笑ったり、今回も皆さんにエネルギーを頂く訪問だった。」</p>
	<p>　「よそ者ではできないこと」もありますが、「よそ者だからできること」があります。<br />
一人ひとりを丁寧に訪ね聴く、看護チームの活動が、孤立する命を繋いでいるのだと思います。時折であっても、「傍らに居続ける」ことで。<br />
JOCSは、2012年度も看護チームの派遣（約2か月に1回）を継続し、被災者の方々に寄り添い続けたいと思います。</p>
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