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08年度総主事通信⑩

2009.02.05

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今月のコメント

●「奉天三十年」 クリスティー著・矢内原忠雄訳(岩波新書)

 日本キリスト者医科連盟の会報「医学と福音」09年1月号に、JOCSの小島会長が「私的クリスティー研究」第1回連載を寄稿しておられます。「奉天三十年」(文語体)は、岩波新書第1号(1938年)で、最近復刻版が出されました。

 「著者デュカルド・クリスティーは、スコットランド人で医者である。彼は1883年伝道医師(メディカル・ミッショナリー)として奉天に来たり、1922年老齢のため故帰臥するまで40年の長きにわたり、満州人のために医療及び伝道の生涯をささげた人である。」(「奉天三十年」:訳者序)  ★奉天は、現在の瀋陽。

 描かれた時代と背景は、19世紀末から20世紀初頭で、日清戦争・拳匪(義和団)事変・日露戦争・民国(辛亥)革命など世界的大事件の舞台となった満州でした。医療と伝道への献身もさることながら、戦争の目撃者として生き、また異国の地にある先駆者として壮絶な闘いを続けた日々が見事に描かれています。激動する時代の渦中にありながら、「目前で起こっているような」錯覚を覚えるほどの臨場感がそこにあります。編纂はクリスティー夫人が行い(ロンドンで発行)ましたが、基となるものはクリスティーが書き綴ったものでした。その鮮やかな記憶力と克明な記録力は驚嘆に値します。

 年代的にはクリスティー(1855-1936)は、「密林の聖者」と呼ばれたアルベルト・シュバイツアー(1875-1965)の先輩にあたります。30歳の時に医療と伝道に生きることを志し、アフリカのランバレネ(ガボン)にて生涯を原住民に捧げたシュバイツアー。偉大なる先達の働きも歴史的な評価は様々かもしれません。しかし医療と伝道のわざは後世に語り継がれ、多大なる影響を与えたことは事実です。イエスに従ったその足跡を今一度学びたいと思います。

●「ラマラコンサート(2005年8月21日)」 
    ダニエル・バレンボイム指揮・West-Eastern Divan Orchestra

 2007年度日本キリスト者医科連盟総会(担当:京都部会)のハイライトの一つは、このDVD映像でした。ユダヤ系の音楽家バレンボイムとパレスチナ系の学者であり音楽家でもあるエドワード・サイード(故人)によって、音楽を通して平和を実現するために創設されたWest-Eastern Divan Orchestra。パレスチナ自治区ラマラで行われたコンサートライブとそれに至るドキュメンタリーは観るものの心を強く打ちます。オーケストラの名前は、ゲーテの「西東詩集」に由来し、イスラエル・パレスチナ・レバノン・エジプトなどの若手音楽家が参加しました。

 バレンボイム曰く、「このDVDは中東における音楽的、人的関係の発展における一つの歴史的記念碑となる出来事の記録である」

 「Knowledge is the Beginning(知ること、それが創まり)」と題したドキュメンタリーは、関係者の証言、苦悩・葛藤、時に緊迫した場面や超えがたい壁、対話による平和などが描かれ、場面の一つひとつ・言葉の一つひとつが重くリアリティに満ちたものでした。「分裂」の象徴であるイスラエルとパレスチナ。しかし若者達の音楽への純粋なる情熱と豊かな才能が分裂を乗り越え、最後は鬼気迫るコンサートを実現します。イスラエルの若者の何人かはラマラ行きを断念せざるを得ませんでしたが、それぞれの静かなる勇気、受難の後の歓喜は深く心を打ちました。

 しかし、今、また殺戮と破壊が行われています。けれど「決してあきらめず、希望を失わず」、でいきましょう。

●チェ・ゲバラ―一人の医師として、義憤に燃えた若き魂として。

 39歳の若さで生涯を閉じた伝説のチェ・ゲバラ。昨年が没後40年、今年が生誕80年・キューバ革命50周年ということで、映画「28歳の革命」「39歳別れの手紙」の2部作が反響を呼んでいます。

 数年前、パレスチナYMCAのユースボランティアと共に観光地を訪れた際、チェ・ゲバラのTシャツを着ている日本の若者と出会いました。「パレスチナの若者にとっての英雄」を身に着けている日本の若者に親近感を持った彼は、日本の若者が「Tシャツの顔」であるゲバラが誰か分からず、単なるファッションに過ぎないことを知り、愕然としていたことを思い起こします。激動する社会や世界は、日本では遥か彼方か、異次元のことかもしれません。

 以前、映画「モーターサイクル・ダイアリーズ」(2004年)を観たことがあります。23歳の医学生エルネスト(ゲバラ)が親友アルベルトと共に南米大陸10,000キロを走破する青春の旅日記です。彼は、好奇心旺盛で冒険心にあふれ、人々の苦しみに痛み・憤り、行動する医学生でした。人々を魅了してやまない一人の若者の魂がありました。

 「目の前の圧制と貧困を見過ごせず、私を捨て、身体を張った一本気。銃への信奉は論外でも、その生き様は時空を超えて心を揺さぶる」(日経新聞 2008.12.20)

 「かつて、本気で世界を変えようとした男がいた」-これは今回の映画の宣伝コピーです。

 「一人の小さな人間が何かをなしうる」という可能性と未来を信じたいと思います。世界を変えることはできなくとも、しかし、目の前の苦しむ人を「放っては置けない」という強い思い。即ち「善きサマリア人」の行為が国境を越え、時代を超えて、人々の心を動かしていくのでしょう。私達は、「一人ひとりの命の尊さを大切にする」という地道な働きを通してもたらされる内的な変革と平和へ至る道を、これからも大切にしていきたいと思います。