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JOCSとは

会長挨拶

畑野研太郎

JOCSのホームページにようこそおいでくださいました。世界の貧しく困難な中で生活しておられる方と私たちの働きに注意を傾けてくださいましたこと、感謝申し上げます。

日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)は、1960年に活動を開始した日本で最初の海外協力団体です。その時代の日本は、戦争の傷跡が街中に残っていたことを、小学生であった私も覚えています。私たちは日本が豊かになったから海外協力を始めたのではありません。それでは、JOCSを創設した先輩たちは、なぜJOCSの活動を始めたのでしょうか。第一に、日本がおこなった戦争による惨禍への贖罪の気持ちからでした。当時、軍医や兵隊として中国や東南アジアに召集された多くの方々がおられました。戦争が現地の人々に与えた苦しみに対する申しわけない思いに突き動かされたのです。戦争を始めたこと、戦争を止められなかったことを、自らの罪と認めて、迷惑をかけた人々のために働きたいと、心から思う行為としてJOCSは始められました。第二に、日本は1956年に国連への加盟が認められ、一部の国を除き世界の国々と国交を回復しました。しかし、実際にはまだ世界の中で信頼されていないばかりか憎悪の対象ですらありました。日本人が、まだ国際的には友人と認められない時代が続いていたにもかかわらず、1958年、アジアの方々から共に生きる仲間に加わるようにとの呼びかけがなされました。「東アジアキリスト教医療従事者会議」の企画委員として、故・日野原重明氏が準備会議に招待され、次いで開催された会議に代表を送り、「4人の途上国の医療従事者を日本に招き研修の機会を提供する」という提案をしました。当時のアジアは、医師数が人口十万人に1人と言われていた時代でした。この活動がJOCS発足の具体的なきっかけとなりました。発足にはこのように、「アジアの人々からの許しと呼びかけ」があったのです。

こうして始まったJOCSの小さな歩みですが、日本における海外医療協力のパイオニアとして歩んできました。短く歩みをご紹介すると、最初の10年間は求めに応じて医療従事者を現地病院に派遣する働きが主でした。その中からも、コミュニティ・ヘルス(地域保健)の重要性に気づき、活動を病院外へと拡げるワーカーが生まれてきました。20年がたち、私たちの働きは「コミュニティ・ヘルスの視点に立っておこなう」ということが確認されました。30年・40年と、その時代にもっとも放置されている分野を求めて、村の栄養改善や、結核やハンセン病が中心となった時代もありました。その分野に光があたり、国際的な対策が進められるようになりますと、私たちはさらに必要とされている分野を求めて進むよう心がけてきました。現在は、私たちの活動の焦点を「女性と子ども、障がい者、少数民族、HIV感染者、医療に恵まれない人々」に置いています。この間、私たちの手段・方法も多様化しました。ワーカー派遣、奨学金支援、協力プロジェクトです。これらの働きについては、このHPの記事をご覧ください。

JOCSの歩みは、アジアの人々からの呼びかけに答えることで始まりました。それは、神様からの呼びかけでもあります。神様は最も小さくされた人々と共におられると信じます。その声に耳をすませ、呼びかけに答え、召命に従って歩みたいのです。JOCSは、働きを通じて「平和を実現するもの」であり続けたいと願っています。

皆様のお祈り・ご支援をよろしくお願いいたします。

日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)会長
畑野研太郎