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総主事出張レポート(5月、6月、8月、9月)

2006.11.10

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2006年4月からJOCSの総主事に就任しました大江 浩です。それぞれの活動の現場を訪れた学びや気づきなどをレポートとしてご紹介したいと思います。まずは、5月のバングラデシュからです。6月以降は、右下のネクストページをクリックしていただきご一読下さい。

<5月:初めてのバングラデシュ(20060602)>

首都ダッカ。
混沌と喧騒、飛び交う大声、湧き出るようなリキシャと三輪タクシー、ごみ・埃・排気ガス、はだし、度々の停電、むせるような暑さ、高湿度。車線や信号などおかまいなしに交錯する車と人・頻発する交通事故、、、。

男・男・男、どこを見ても男たち―時折見るブルカ姿の女性たち。モスリム社会での抑圧を思わせる町の風景。家(うち)では、女性が仕切るという。ただ一日、路上に佇む男、凝視する目・目・目。たむろして終日会話をする若者たち、空を眺め続ける人。物乞いをする子供、闇夜に漆黒のごとく居る老人。

英国植民地からインド、インドから東パキスタン、東パキスタンからバングラデシュ(1971年独立)。9ヶ月間に300万人の犠牲によって勝ち取った独立。戦いの歴史。
あふれる自然と緑、豊かな土地。悠久のガンジス川、バングラデシュ。ご飯(米)以外は、「ご飯」ではない暮らし。時折の集中豪雨。自然災害のデパートのような国、洪水・サイクロン-日常茶飯事のバングラ。でも、いざ離れているといとおしい、という。不思議な愛着がある、という。
気候と同じく「ウエットな人間関係」、とか。皆係わり合い、せめぎ合い、支えあって生きている。日本では失われつつある人間関係。

DiDi(お姉さん)、 DaDa(お兄さん)、サラーマレイコム(こんにちは=平和がありますように)、ナマシカ(コンニチワ)、ドンナバッド(ありがとう)、人と人とをつなぐベンガルの言葉。

屈託のない子供たちの笑顔、眉間にしわを寄せ険しい顔の大人たち。賄賂横行する政府の荒廃。選挙を控え表面化する政党間-BNP(バングラデシュ民族主義党)Vsアワミ連盟の対立。
臨界点に達し、一触即発で発火する怒り。巻き込まれつつも危うく逃れた暴動と燃え盛る憎しみ。搾取され、構造的な暴力と不正義の呪縛にあるPoorest of the poor。
機能不全に陥っている政府と草の根の人々とともに生き、外部パートナーとともに働くNGO。世界の最貧国の一つとされるバングラデシュ、その中の最貧層といわれる虐げられた人々。女性・子供。祈り、そして逞しくその日を生きる人々。

ハンセン病。聖書の時代からある病(やまい)。少数者・差別・孤独・無関心・隠遁。バングラデシュでも「低く」され、「小さく」され、外科手術ができる医師はごくわずか、という現実。
クルナのハンセン病院・チャンドラゴーナのハンセン病院を訪れた。元患者がひっそり住むアシュラム(修養生活)という居住地域。一人ひとりの患者に合わせ、無心に靴を作る熟練職人の元患者。停電の暗闇にも丈約1mの巨大ろうそくで手術を続ける医師・看護師。患者・家族と日々向き合う医療従事者たち。ミッションを帯びて献身的にしかも黙々と人に仕える働き人。
日本に暮らして49年。ついぞ日本の多摩全生園にも長島愛生園にも邑久光明園にも訪れたことなく、患者と直接会ったこともなかった私。

「貧・病・争」と隣り合わせの毎日。明日(未来)を描けぬ厳しい現実と、しかし微かな希望の光を見出すためにそれぞれの神に依り頼む篤い信仰。
午前4時過ぎ、愁いを帯びた哀しい旋律のコーランの響き。
ファーザー・シスターとのミサと神秘的な時間。
ろうそくの明かりで記すこのメモ。
あまりにもリアルな、バングラデシュ初体験。アジアの「今」を垣間見た。
で、私は何をする?どうする?

大江 浩(JOCS 日本キリスト教海外医療協力会)