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08年度総主事通信④

2008.08.01

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今月のコメント

●ネパールでの新たな働き―囚われた人々とその子どもたち・家族と向き合う

 「当時ネパールにいる80人の医者のなかで、結核をあつかえる人はひとりもおりませんでした。結核の背景に貧困があります。医学以前の問題です。そのとりこのされた問題ととりくむのに、病院で待っていただけではだめだということに気づきました。手おくれの患者さんばかりですから、とりのこされた無医村まで、出かけて行ってみました。さて、こうして巡回診療がはじまるのです。」(岩波ブックレットNo.71「ネパールの『赤ひげ』は語る」 岩村昇)
 ドクター岩村が開拓したネパールでの地域保健医療活動は今、楢戸ワーカーに引き継がれています。
 これから細井ワーカーが向き合っていくのは、受刑者とその子どもたちです。
 ヒンズー教が国教とされたネパールで、キリスト教徒であるが故に刑務所へというケースがあったと聞きます。あるいは政治犯として、冤罪という形で罪びととされた人々がいるとも伺いました。当事者もさることながら、その罪なき子どもたちも差別にさらされ、苦難の日々を送ってきたことは想像に難くありません。
 JOCSの働きが、社会のニーズに応えて少しずつ多様化しつつあります。しかしその元となるのは、「アジアの呼び声」であり、イエス・キリストの声です。細井ワーカーの働きにより、また新しい「サンガイ・ジュネ・コラギ(みんなで生きる)」へのチャレンジが始まろうとしています。

●シリーズ「横浜・寿に住んでみる」(日経新聞 夕刊(毎木曜) こころのページ)から

 7月3日より、日経新聞の夕刊に横浜・寿町(日本で三つ目に大きな寄せ場)のことがシリーズ掲載されています。JOCSの中高生プログラムは、3年(2005-2007年度)続けて、日雇い労働者の町・大阪釜ケ崎を訪れてコミュニティの問題を肌で知る、というフィールド体験でした。
 寿には日本社会の縮図(未来図?)があります。高齢化もさることながら、移住労働者や外国籍の人々の問題、生活困難者の福祉、孤立・孤独、加えて結核などの保健医療のニーズも存在します。多種多様な人間の問題と構造的な社会問題が複雑に絡み合っています。社会からもそして家族からも見放され、排除されながらも、人は人として生きています。しかし「かつて」の寿はどんどん変容しつつあることも事実です。ウォッチし続けると「今」の日本の格差の広がりなど様々なことに気づかされます。
 7月17日の記事では、ドクター岩村にあこがれネパール行きを考えた三森妃佐子さん(日本キリスト教団神奈川教区・寿地区センター主事)が紹介されました。三森さんは寿で22年間、釜ケ崎では入佐明美さんが29年間。ネパールではなく日本の現実と向き合い、それぞれの地に留まって「共に生き」ておられます。貧困は、途上国だけの問題ではありません。身近にある「関係性の貧困」に目を向け、声なき声を聴きたいと思います。

●「平和か戦争か 南原繁の学問と思想」(南原 繁研究会編 to be 出版)

 「1948年の卒業式では、アルベルト・シュバイツアーの例を引き、『永い間わが国民的圧制と搾取を続けてきた朝鮮と満州と、なお戦争によりわれわれの同胞が多くの蛮行と汚わいを撒き散らした東亜の諸国・・・の国民と人との間に、わが国民の犯した罪過を償い、その名誉を回復するのは誰か』と呼びかけ、卒業生が官庁や企業に進むだけでなく、民族や国家を超えた個人の責任と役割を果たすべきことを訴えました。」
             (同書 平和をめぐって―南原繁とその後:坂本義和 より) 
 「南原は、多くの学徒を戦場に送ったことを、一生の痛恨事として心を痛めました。」(同書)とも記されています。そのはらわたの底にある痛恨が、南原をして平和の働きへの献身へ、と駆り立てたのでしょう。

  ★石川信克理事(南原繁研究会)も「南原繁没後30周年記念シンポジウム(2004年)」の   発題で「JOCSの源流 南原繁」として上の言葉を紹介されています。私は鴨下重彦   元JOCS監事(同研究会代表)の導きにより新渡戸・南原賞や同研究会書籍などを
   通して、この源流について貴重な学びを与えられました。

 戦後初の東大総長となった南原の言葉に衝き動かされ、召命感に燃えたキリスト者の医療従事者及び医学生たちは立ち上がりました。その証人のお一人が佐藤 智医師です。まさにパイオニアが切り拓いた世界です。南原の恩師は、新渡戸稲造・内村鑑三という偉大なる先駆者でありキリスト者でした。そして新渡戸・内村の系譜は、北海道開拓の歴史と札幌農学校・クラーク博士に遡ることができます。歴史がそこにあります。