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08年度総主事通信⑤

2008.09.01

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今月のコメント

●「Ora et Labora(祈れ働け)」(トラピスト修道院・トラピスチヌ修道院)

 7月20日、函館キリスト教会での細井ワーカー派遣祝福式の後、トラピスト(1896年)及びトラピスチヌス(1898年)両修道院へ訪れる機会がありました。1千年近い歴史を刻む同修道会(正式名称:厳律シトー修道会、1098年にフランスにて創立)には、中世の時代からの厳粛な空気が流れていました。
 同修道院に掲げてあった言葉は、「祈り働け」。極寒の地にて、祈り働いた一人ひとりの修道僧。それは想像を絶する過酷な日々であったことでしょう。聖職者の墓石には、それぞれに聖句が刻まれていました。その精神は今も生き続けています。もちろん私たちの活動はそれに比類するものでは全くありませんが、祈り働くことの意味を改めて深く考えされられた次第です。

●「ラルシュのこころ 小さい者とともに、神に生かされる日々」―ジャン・バニエ(一麦出版社)

 「ラルシュは、神に招かれ、造られた家族です。家族というからには、一つの精神、一つの展望、一緒にいる『わけ』があり、一つの求道性があります(求道性とは、深みから人を動かす力、生きる力)。・・・小さい人、苦しむ人、見捨てられた人たちは、神がおられるしるしだと、ガンジーは言っています。」(「ラルシュのこころ」より)
 「弱い人は、強い人が必要ですが、しかし強い人もまた弱い人を必要としていることがラルシュにおいて分かってきました。・・・知的ハンディを持つ人のもろさと苦しみに触れ、その時、彼らが私を信頼してくれると、私の中にもやさしさの新しい泉が湧き起こるのを感じました。」(同書より)
 「ラルシュのコミュニティは、様々な弱さ、貧しさが持つ逆説を示しています。多くの人が投げ捨て、端に追いやってしまっていることが、恵みと一致と解放と平和の道になるというものです・・・なぜなら貧しい人の中にこそ、神の力が働くからです。」(訳者:佐藤仁彦氏の言葉) 

 植松功さんは6月下旬から約2ヶ月間バングラデシュ・マイメンシンのテゼ共同体に滞在し、ラルシュの活動や山内ワーカーや岩本ワーカーのリトリートなどにご奉仕くださいました。ラルシュのコミュニティの世界。そこには価値の逆転(既存の考え方の転換)と本質が求められているように思えます。

●「悩む力 べてるの家の人々」(斉藤道雄著:みすず書房)

 「<だれも排除しない>と<利益をあげる>を両立させたべてるの家。それを支えたのはつながりとことばだ。」(中村桂子:同書 帯から)

 浦河べてるの家との出会いは、価値観を360度(180度の2倍!)変えられた、良い意味で衝撃的なものでした。その歴史は前身(回復者クラブどんぐりの会)から数えて今年で30年。様々な苦労を重ねて現在に至っていることは想像に難くありません。その出発点は、浦河教会の旧会堂で牧師婦人と5人のメンバーが日高昆布の袋詰め下請け作業を始めたことからでした。「べてる」は、旧約聖書からの命名です。
 「それは、それまでに見たどの作業所やグループともちがう異色の存在だった。精神医療の世界で異色だっただけではない。この社会で、あるいはこの地上に生きる人びとのなかで、よくもこのような人間集団が存在しえたものだとの驚愕の念を覚えずにはいられないような生き方暮らし方というものがそこにはあった。」(同書)

 向谷地さん曰く、べてるの家の人々は
 「今日も、明日も、あさっても順調に問題だらけ」、「“にもかかわらず”生き続けようとする人たち」です。

 過疎化が進み、22,000人いた人口がいまや14,000人近くに減る一方、べてるの家の人口は3倍4倍に増え、年間延べで2,000人以上の見学者がある、というべてるの家。「一人・一起業」の伝統を守り、今や年商約3億円という地元随一の成長産業でもあります。「妄想」は「構想」であるという逆転の発想が根底にあります。べてるの家だけではなく浦河というコミュニティ全体の共存共栄&共生を、との考え方は「目から鱗」でした。
 ネパールの細井さおりワーカーは、派遣前にこの浦河べてるの家に研修を受ける機会に恵まれました。JOCSにとっても、大変幸いな出会いです。これは導きとしか表現しようがありません。