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09年度総主事通信④

2009.08.06

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今月のコメント

●シリーズ「『ハンセン病療養所』に住んでみる③」(日経・夕 09年7月16日by原田勝広/編集委員)

 日経「こころのページ」に原田記者による邑久光明園の滞在記が(毎週木曜 計13回)連載中です。シリーズ③では、JOCS常任理事の畑野医師が、「バングラの赤ひげ~アジア啓発、奮闘する園長」として登場します。
 「・・・バングラで畑野さんは、チャンドラゴーナにあるクリスチャン・レプロシーセンター(CLC)というハンセン病病院で働くが、ハンセン病専門医がほとんどいない。『当時50万人の患者がいると推定されていたのに治療を受けているのは5%未満。患者はほったらかしだった』
 CLCの新病棟が85年にオープンし、畑野さんは最初の専門医に。治療だけでなく、社会に対する啓発や医師、看護師への教育、患者家族への理解促進などに奮闘した。光明園で勤務し始めたのは94年だが、今も時間を作ってはミャンマーやバングラデシュへ出かけている。
 『手術後も生き延びるとは思えなかった赤ん坊患者がいてね。その子が何年か後、立派な少年になって病院を訪ねて来たんだ。うれしかったよ』・・・」(日経・夕 09年7月16日)

 日本のハンセン病への取り組みが、海を越えたアジアにもつながっています。畑野氏をはじめ、多くの先達そして同労者の、貧しく弱く小さくされた人々の命と向き合う「地の塩」の働きに心から敬意を表します。
 なお、ペシャワール会の中村哲医師も畑野氏と同時期に光明園で研修を受け、JOCSワーカーとして1984年にパキスタンのペシャワール・ミッション病院へ赴きました。

●「閃光の記憶~核廃絶へオバマ氏との一歩」(三宅一生・衣服デザイナー)(NYタイムズ2009.7.14)

 「・・・大統領の演説(09年4月のプラハ演説)は、私も『閃光』を経験した一人として発言すべきであるということ、自身の道義的な責任ということを、かつてなく重く受け止めるきっかけとなりました。
 1945年8月6日、私の故郷の広島に原爆が投下されました。当時、私は7歳。目を閉じれば今も、想像を絶する光景が浮かびます。炸裂した真っ赤な光、直後にわき上がった黒い雲、逃げまどう人々・・・。すべてを覚えています。母はそれから3年もたたないうち、被爆の影響でなくなりました。
 ・・・8月6日の平和祈念式へオバマ大統領をご招待したいという市民たちの声・・・。私もその日が来ることを心から願っています。それは、過去にこだわっているからではありません。そうではなく、未来の核戦争の芽を摘むことが大統領の目標である、と世界中に伝えるには、それが最上の方策だと思うからです。
 ・・・オバマ大統領が、広島の平和大橋(―略―)を渡る時、それは核の脅威のない世界への、現実的でシンボリックな第一歩となることでしょう。そこから踏み出されるすべての歩みが、世界平和への着実な一歩となっていくと信じます。<7月14日付の米紙NYタイムズへの寄稿の原文和訳>」(朝日、09年7月16日(木))

 三宅氏の中には、1945年8月6日は、「閃光の記憶」として鮮烈に生き続けていて、沈黙を破るのに64年の年月が必要でした。オバマ大統領のプラハ演説がなければ、語らぬままの人生であったかもしれません。
 今年の広島・長崎原爆忌に、米国のカトリック神父や元兵士たちが来日すると報じられています。かつてなかったことです。プラハ演説の影響でしょうか。小さな、しかし貴重な平和への一歩に希望を託したいと思います。

●「最後の『被爆の証』対峙―戦いの世は終わらず」(日経 09年8月2日)

 「ナガサキ原爆の被爆者が吸引した『死の灰』は64年を経てなお細胞内で放射線を出し続けていたー。6月、広島市であった『原子爆弾後障害研究会』。長崎大学助教、七條和子らが発表した研究が注目された。
 ・・・爆心地から1キロ以内で被爆し、半年以内に死亡した7人の組織から今なお、核分裂物質特有の放射線が放出されていることを世界で初めて確認したのだ。
 ・・・この研究を着想し、七條らに託したのは今年3月に長崎大『原爆後障害医療研究施設』教授を退官し、同県赤十字血液センター所長に転じた関根一郎だ。
 ・・・『核兵器の使用は長崎が最後であってほしい。人類が二度と手にすることがないであろう(被爆死者の)組織標本を持つ大学として、放射線障害の実相に迫りたい』」(日経 09年8月2日)
 
 あの戦争は終わっていないのです。被爆死者の、生き続ける細胞の、魂の叫びとして。
 人類最大の悲劇の後からも、核開発や核実験、核拡大競争は止むことなく続いてきました。被爆国に住む私達はもう一つのことに目を向けねばなりません。それは絶え間ない兵器開発の脅威とその甚大な被害です。
 例えば劣化ウラン弾は、湾岸戦争(91年)を皮切りに、ボスニア紛争(94-95年)、コソボ紛争(99年)、アフガニスタン(9.11以降)、イラク戦争(03年~)で使われています。劣化ウラン弾の「体内被曝」も深刻な問題です。
 無惨に奪われた無辜の命。また白血病やガン、先天障害など重篤な疾病・障害に苦しむ多くの人々や子ども達。医療面の大問題も看過できません。命の危機は、私達の大問題。他者への共感は平和への出発点です。