HOME>ニュース>09年度総主事通信⑦

ニュース

09年度総主事通信⑦

2009.11.05

シェア ツイート

今月のコメント

●世界子供白書2009 「Maternal and Newborn Health (妊産婦と新生児の保健)」

 2009年11月20日で、子どもの権利条約が生まれて20年になります。今、同条約を締結しているのは世界193カ国。ちなみに米国は締結していない数少ない国の一つです。

 「毎日、約1,500人の女性が、妊娠・出産に関連する合併症で命を落としている。1990年以来、世界の年間妊産婦死亡推定数は50万を超えており、過去19年間の累計で約1,000万人の妊産婦が死亡している。
 ・・・後発開発途上国の女性が、生涯で妊娠・出産に関する周産期の合併症で命を落とす確立は、先進工業国の女性に比べ、300倍以上も高いのである。
 ・・・子どもが一番命を落としやすいのは出生後間もない時期である。・・・死亡リスクが一番高いのが、出生以後1日以内。新生児死亡の25~45%がこの時期に起きている。・・・子どもの死亡率と同じように、母親と新生児の死亡は、アフリカ大陸とアジア大陸に集中している。妊産婦死亡の95%、新生児死亡の約90%は、この二つの大陸に集中しているのである。」(世界子供白書2009より)

 アジア・アフリカで活動をするJOCSにとって看過できないデータであり、そこに私達を求める声があります。青木ワーカーと清水ワーカーの活動を通して、「声なき声」の存在、女性と子どもの命の重さを痛感します。

●「主の備えられた道を~ウガンダ医療宣教の記録」
  イアン・クラーク著・飯田真知子訳(いのちのことば社)

 「荒れ果てた、あのあばら家の屋根に上った時、込み上げて来る感情を必死で抑えようとした。私は、我が家から数千マイル離れた、ウガンダの荒野にいた。内乱がようやく治まった頃のことだ。すさまじい惨禍を見渡しながら、この場所が自分の運命と深くかかわってくるのをひしひしと感じた。
 ・・・『神様、ここですか。私たちが遣わされる場所は』と自分の心に問い掛けていた。
 その場所は、アフリカのキリング・フィールドと呼ばれるルウェロ三角地帯の真ん中に位置している。ここで4年間、何千人もの民間人が殺された。・・・驚いたことに、首都カンパラの市民はここでこのような殺戮があったことさえ知らなかった。1986年に内乱が終わった時、初めて真相が明らかにされた。・・・(政府軍と反乱軍が)互いに無意味な虐殺を繰り返し、公表では25万人が死んだということだ。」(第1章「神様、ここに私を?」より)

 北アイルランド出身のDr. Ian Clarke(当時、35歳の開業医)が家族と共に派遣されたウガンダ奮闘記(2001年)です。JOCS元ワーカーの北川惠以子氏も翻訳された医学用語のチェックに協力をされました。今回のウガンダ出張の際に、ルウェロ(カンパラから車で約2時間)にあるDr. Clarkeと北川元ワーカーが奉職されたKiwoko病院(地域医療のために建てられた病院で、半数がエイズに苦しむ患者さんたちです)を訪れる機会がありました。神様からの“Calling”(召命)によって遣わされた医療宣教の足跡を辿る感慨深い旅でした。

●「百見は一体験に如かず」(大江ルポ・「初めてのウガンダ」から抜粋)
  ※奨学生モニタリングのための出張

 「美しいビクトリア湖畔のエンテベ空港に着いた。赤道直下の国ウガンダへ。・・・エンテベ空港の隣には国連基地がある。ここからアフリカ各地の紛争や災害による難民キャンプへ国連軍が飛んでいくのだろうか。
 日本との時差は6時間。欧米との時差を考えると、近い。けれど心理的にはアフリカは本当に遠い。そのアフリカからは日本は遠く、ヨーロッパは近い。歴史的にも。ウガンダは1962年に英国から独立し、10月9日で建国48年目を迎えた。タンザニアを訪れた時も感じたが、アフリカはアジアと別世界だ。ヨーロッパの宗主国の影が色濃く残っており、それは植民地下の支配と搾取、そして開拓と宣教の光と影が歴史を織り成す。丁度、日本とアジア諸国の関係に重なる。
 西ウガンダ・コンゴ国境へ向かう幹線道路。人々は悠々と歩いている。そうだ。『道は歩くためのものなのだ』と改めて考えた。通り過ぎるのではなく、歩む道。水汲みや物運びの子どもたちや女性に遭った。子どもたちは長い道のりで学校へ通う。水汲みに1日・往復4時間以上の時間、もちろんそれ以外にも農作業や家の手伝いにも。『生きるために費やされる多くの時間』、厳しい生活の現実がそこにある。歩くこと・働くことは、『生きること』なのだ。東ウガンダ・ケニア国境近くへも行った。生まれて初めてナイル川を渡った。ウガンダの東西を縦貫(4日間で約1,000km)。『百聞は一見に如かず』、いや『百見は一体験に如かず』だった。」