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総主事通信09年度⑪

2010.03.10

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今月のコメント

●横浜・寿~「関係性」の貧困

 2月に、ワーカー育成委員会主催のフィールド勉強会を横浜・寿地区で行いました。寿地区は、東京・山谷や大阪・釜ケ崎に次ぐ大きな日雇い労働者の寄せ場です。約250m四方の地域に約100軒の簡易宿泊所(通称・ドヤ)が密集し、人口約6,400人が暮らす過密なコミュニティです。観光地で有名な元町・中華街、瀟洒な山手地区や官公庁・ビジネスエリアが隣接しています。
 寿町の歴史と変遷、現状と諸問題を学ぶと同時に、「無知・無関心」が如何に誤解と偏見を生み出すか、をも痛感しました。また寿地区の特徴である外国籍の方々や移住労働のことなどをカラバオの会(寿・外国人出稼ぎ労働者と連帯をする会)の活動を通して知り、寿町医療班への参加を通して、「寿の現実」を肌で感じることができたことは、得難い経験でした。寒い一日でしたが、住民のオジさんの温かい言葉にホッと心和みました。
 貧困は、途上国のみにあるのではありません。私たちは「関係性の貧困」、即ちつながりや絆を失った貧しさという現代病の状態にあります。寿は、急速な高齢化、生活保護を受ける人々やアルコール・薬物依存症のことや医療・福祉ニーズのある人々の問題を抱えています。ある日突然、子に置き去りにされた高齢の親のこと、寿地区外の路上で暮らす人たちのことなども伺い、心が痛みました。
 寿は、そして山谷も釜ケ崎も社会の縮図であり、投影です。私たちの問題です。「共に生きるとは?」について、その大切さと難しさを鋭くかつ深く考えさせられた体験でした。

●「女性とアジア」(松井やより著:岩波新書 1987)~私たちが問われていること

 「・・・とりわけ女性たちに、貧しさのくびきが一層重く食い込んでいるのを私は各地で見た。バングラデシュでは生んだ子の半分を失う母親たち、ネパールでは貧困と過重労働で男性より早く死んでしまう女たち、マレーシアやスリランカのプランテーションでは家畜小屋のような長屋に閉じ込められた女たち、タイでは観光地に売られて売春宿の火事で焼死した10歳前後の少女たち、マニラのスラムでは子どもたちに食べ物をやれず精神に異常を来たした母親、インドではレイプや持参金殺人の犠牲になる低いカーストの女たち、パキスタンではイスラムの掟によって鞭打ち刑に処せられる庶民の女たち・・・・を、私は知った。彼女たち一人一人の苦痛の一端さえも分かち合うすべもない無力感に打ちのめされることも多かった。
 アジアの何億人という女性たちは、三重の抑圧に苦しんでいるのである。南の第三世界に生まれて、北の先進国の経済的・政治的・軍事的支配を受け、勤労者階級として自国の独裁政権や特権階級に抑圧・搾取され、さらに女性として家父長制の伝統の中で男性による性差別を受けているのだ・・・」(女性とアジアより)

 本書は故松井やより氏(元朝日新聞・記者)が、主に80年代前後にかけてアジア各地で取材した渾身のルポルタージュであり、ライフワークであり、重要な証の一つです。その時代からどれほどの進化や改善があったのでしょう?女性や子どもたちの問題に取り組む国連機関やNGOの報告を見る限り、「否」と言わざるを得ません。女性と子どもを優先課題の一つに掲げるJOCSとして、そのことを常に注視していきたいと思います。

●国際女性デー(3月8日)に寄せて~「破られた“ガラスの天井”」という名の希望

 1904年3月8日に米国ニューヨークで、女性労働者が婦人参政権を求めてデモを行ったことに始まります。これを受け、1910年第2インターナショナルのコペンハーゲン第7大会でドイツの社会主義者クララ・ツェトキンが「女性の政治的自由と平等のために闘う」記念日を提唱し、正式に制定されました。今年はそれから100年目の年です。日本では1923年、社会主義フェミニスト団体・赤瀾会(せきらんかい)が中心となり、東京基督教青年会(YMCA)会館で婦人の政治的・社会的・経済的自由を訴える演説会が開催されたのが最初でした。

 「・・・数百万人の女児が若年結婚を強いられている限り、私たちは差別をなくし、機会の均等を実現するために立ち上がらなければなりません。・・・男児を選別する傾向のため一億人もの女児の命が失われている限り、女児や女性への不当な扱い、差別、そして暴力をなくすため、真の変化を求めて力を結集しなければなりません。・・・
  ・・・今日の国際女性の日に、そして今日だけに限らずこれから続く全ての日々も、女性のための前進はすべての人のための前進である、という展望を持って進んでいきましょう」(UNFPA/T.A.オベイド事務局長)

 平和の実現と女性と子どもたちの命の尊重は、「二つ(別々の)」ではなく、「一つ」の価値であると思います。

 さて、話はガラッと変わりますが、国際女性デーの同日、第82回アカデミー賞はキャスリン・ピグロー監督の戦争映画「ハート・ロッカー」を選びました(6部門で受賞)。「女性監督の映画が監督賞や作品賞のオスカー像を受けたのは初めて。・・・米国映画界の“ガラスの天井”が破られた歴史的な日となった」(朝日 2010.3.9)
 「破られた“ガラスの天井”」という名の希望に夢を託したいと思います。同時に、「女性の」という言葉が前置きなしに称えられる日が来ることを祈っています。でも、率直かつ心から大きな拍手を送りたいと思います。