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総主事通信09年度⑫

2010.04.02

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今月のコメント

●タンザニア清水範子ワーカー 「活動は大河の一滴・・・救える命がある」
 3月26日の毎日新聞の「ひと」欄に、「タンザニアの地方で活動する助産師」として清水範子ワーカーのことが紹介されました。元気溌剌の笑顔の写真と共に。

 「妊婦がマラリアやエイズウィルス(HIV)感染の治療をせぬまま出産し、亡くなっていく赤ちゃんたちがいる。子宮破裂や弛緩発作で分娩時に亡くなる産婦たちもいる。
 呼吸不全の赤ちゃんを前に、手動で酸素を送るアンビューバッグの手を止めたら命が尽きる現場があった。号泣し、嘔吐しているとまた次の産婦が来る。『死をみとりにきたのか』と自問した。
 ・・・『活動は大河の一滴。小さな、限界ある活動』と自覚している。でも、母親たちに『ナオコにまた子どもを取り上げてほしいわ』と声を掛けられ、成長した子どもたちを見るたびに奮起する。『救える命がある。体が動く限り、続けたい。』」(毎日 2010.3.26)

 色々な困難な場面に遭遇しながらも、その地の人々と喜怒哀楽を共にしながら生きる清水ワーカーの活動ぶりが目に浮かびます。「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣く」(ローマ人12.15)がそこにあり、タンザニアのタボラにある「みんなで生きる」がそこにあります。

●朝日新聞・夕刊「人・脈・記」~「釜ケ崎有情」シリーズ

 同シリーズで、「偽らぬ自分を見つけた」(3/12)では本田哲郎神父が、そして「ここが私のネパールです」(3/15)では入佐明美さんのことが載りました。お二人ともJOCS中高生・釜ケ崎プログラムで大変お世話になりました。

 「・・・89年、(カトリック・フランシスコ会日本)管区長の任期を終え、本田の足は釜ケ崎に向かう。そして、神の教えを伝えなければ、と思っていた人たちから、耐える力や、人の痛みに共感するやさしさを、逆に教えられてきた、と本田は思う・・・」(朝日夕刊 2010.3.12) 
 宗教界のエリートであった本田神父は、釜ケ崎と出会って、「新しい生き方」が始まりました。

 「・・・(貸したお金の)返済を終えた69歳の男性が訪ねてきて、私に言ったんです。ねえちゃんが、ワシのことを金を返す人間や、信じてくれたんが一番うれしかった、と。入佐は釜ケ崎にとどまった。私のネパールはここにある、と思うから・・・」(同上 2010.3.15) 
 看護師であった入佐さんも、「ネパールの赤ひげ」故・岩村昇医師の「病気を直すことは、生活を直すこと」という言葉に導かれ、釜ケ崎で「新しい生き方」が始まった一人です。

 しっかり根を張って生きる人たちの献身的な働きは、説得力に満ちています。人の痛みに深く寄り添って生きる。そうした方々に共通するのは「シンプル」です。無駄を省き、余計を捨て去り、真に大切なものとは何か?本当のこととは何か?のみを追求する。自らの信仰・信念に立ち、真直ぐ見つめ揺るぎなく生きる、その姿に打たれます。

●「静かな勇気」(天声人語 1983.3.12)

 「『勇気とは、かならずしも誰が見ても勇敢な行為として見ることができる外面にあらわれたものとして発揮されるのではない。勇気とはもっと日常目に見えないところで、ひとの生き方を内からしっかりと支えるものなのである』と、評論家の村上一郎さんが若者に説いている。
 はらわたをよじるようなざせつ感の中でも、みだりに悩ましげな表情もせず、淡々として事に処してゆく。顔を高く上げ、青空を見つめる。それがほんとうの勇気というものではないか、と村上さんはいう。・・・失敗を上手に、時にぶざまに乗り越えることで、人は『けなげさ』や『静かな勇気』を身につけるのだろうか」(朝日 1983.3.12)

 サクラ咲いた人・散った人、それぞれの人生の節目として悲喜こもごもの春を迎えられたことでしょう。途上国には「春のない」国が多くありますが、やはり日本の美しい四季の恵みとしてこの桜の季節があります。
天声人語にあるように、いくつもの壁にぶつかって失敗や挫折を経験し、躓きから教訓を得て、立ち上がってまた歩む(「言うは易し」ではありますが、、、)。私達はそれぞれ一人ぼっちではなく、「誰かと共に生きている、誰かのために生きている」と気づけば、暗闇に一筋の光を見出し、道が示されるように思えます。
“静かな勇気”という言葉に共感を覚えます。神様が静かな勇気を与えてくれているともいえるでしょうか。日々何気ないことに小さな幸せと生きる意味を見出し、感謝と共に分かち合う。それも静かな勇気かもしれません。