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JOCS「東日本大震災 被災者支援」(釜石地区)の様子

2011.04.26

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宮尾陽一医師(タンザニア短期ワーカー)のレポート(4/16-22)の抜粋から

宮尾陽一ワーカー(外科医)は、4月14日に約1か月間のタンザニアでの医療奉仕から帰国され、15日の夜行バスで東京から釜石へ向かい、22日まで約1週間、釜石での医療活動に従事されました。その様子を日報の抜粋をレポートにまとめさせていただきました。以下、ご一読ください。

4月16日 (第1日目)
今朝、7:30頃に釜石駅前に到着しました。
午前9時からのミーティングで1日の予定を立て、まず釜石災害対策本部・釜石医師会・県立釜石病院へあいさつ回りを行い、その後4か所の避難所(以下の通り)を訪れました。

<釜石の避難所>

釜石市民体育館:249人、中妻体育館:160人、釜石中学校:109人、双葉小学校:50人
 
釜石市民体育館に滞在している看護師のAさん(日本キリスト者医科連盟から派遣)と合流して全体の巡回診療を行いました。これに神戸から来ておられる精神科医師、メンタルケア担当者、鍼灸師で僧侶、秋田からきた保健師2名、神戸のボランティア2名も加わりました。
実際に治療を必要とした患者さんは、猫に噛まれた女の子の手当て、咽頭炎、急性上気道炎、皮膚疾患の患者さんなど数名でした。多くは、声をかけて挨拶をするだけでしたが、「声をかけてもらうだけでうれしい・・・」と(お世辞かもしれないけど)言ってもらえ、ほとんどの方が歓迎的でした。

4月17日(第2日目)
昨日、楢戸医師(JOCSネパール短期ワーカー)と合流しました。またY看護師(ネパールでも奉仕活動)が帰ってこられました。A看護師が本日の夜行バスで帰路につかれるとのご予定です。

昨日私は、カトリック釜石教会を訪ね、地元の神父さん、信者さんたちとごあいさつし、またそこを基地に地元の社協と協力して活動しているカリタスジャパンの皆さんとご挨拶してきました。

地元の方たちは、今度また来るだろうといわれている地震に対する不安が強く、小さなリュックに全財産を持ち歩いている、という方もいました。また生き延びた人たちが罪悪感に苛まれていたり、不条理な心理状態に追い詰められたりしています。長い目で見た精神的ケアが避難所にいる方だけでなく、すべての地元の人たちに必要だろうと思わされました。

本日、4か所ある避難所のうち、小学校を利用している避難所が、学校の授業再開のために、他の施設へ移転します。移転先が現在地から離れているため、私たちの管轄に入るかどうかまだ決まっていないとのことでした。

4月18日(第3日目)
今朝のバスで、衣笠病院(横須賀)の看護師2名が到着され、一緒に活動に入りました。カバーする避難所は3か所に減り、やや時間をかけて回れるようになりました。

避難所の入所者は1か月を超える避難所生活にストレスが高じてきていて、血圧を測ると多くの人がかなりの高血圧を呈しています。避難所の生活環境は、かなりストレスフルと思われます。持病のあった人たちが、容体が悪化して入院するケースがあります。
今日は、肝硬変のあった方が、吐血して入院となりました。私たちが担当している避難所の後方病院は、県立釜石病院になります。

4月19日(第4日目)
今日は、雪混じりの冷たい雨になりました。雨の中でも、瓦礫の撤収作業が至るところで続けられています。「地震前はこんなにたくさんの人や車を見なかった」と地元の人は言います。避難所の人々にいくらか顔を覚えられ、冗談を言い合ったり、笑わせたりしながら診療をしています。

今日は、釜石周辺の他の被災地の医療状況を見て回りました。大船渡と陸前高田です。陸前高田は街の3/4が被災したところで、市役所や県立病院も無くなり 仮の建物で対応していました。

4月20日(第5日目)
今朝、楢戸医師は大阪へ出かけられました。また衣笠病院からの看護師が、夜のバスで帰路に着かれました。明日から、宮尾、Yさん(看護師)、Kさん(看護師)の3人体制になります。

今日、釜石災害対策本部で行われる医療ボランティアの報告会に参加してきました。今後の活動継続可能性を探るためです。

4月21日(第6日目)
1日があっという間に過ぎます。色んなボランティアが集まっていて、一人の患者さんの問題解決にも、それらの組織や地元自治体、地元の医療機関との関係を調整するのが大変です。でも、それも含めて、色々と勉強になりました。

釜石市の住民の痛手は大変です。もちろん他の街も同じでしょうが・・・。今日の診療で、家を流された避難所の方に聞いた話では、海の幸に恵まれた釜石の漁師は、普段ならば、今の季節は養殖わかめの出荷、その後は5月から8月までうにの出荷、その後はアワビ、カキと一年中何らかの海産物が採れるそうです。

しかし今度の津波で、そうした養殖の設備が全滅し、防波堤が破壊されて、しけの時に養殖設備を保護していたものが無くなり、海岸の形状は変化し、海の底には家屋の廃材や瓦礫が溜まり、船は失われ、復興は容易ではありません。またそうした漁業の担い手が、高齢化していたので、「70にもなって、もいちどやり直す気力はなかなかねーべさー」・「何百万もかかるしなー」ということでした。

三陸産の海産物はよみがえれないのでしょうか。これまで豊かな海の幸を提供していた、自然が、ひとの命も生きるすべも奪ってしまったのは何かの象徴なのでしょうか。
ここ数日、避難所入所者の頭痛、吐き気、不眠、高血圧などの症状が増えているように感じます。ストレスが限界に近付いていると指摘する向きもあります。

 そろそろ仮設住宅の一部が入居受付を始めました。入居の条件や順番、入居後の健康管理など問題は目白押しなのに、関われることは僅かしかありません。たくさんの課題とジレンマを残したまま、明日の夜にはここを去らなければなりません。

避難所のお年寄りたちに、「帰らねで ここさ ずっと いてけれー」と行ってもらえるのが何よりの慰めです。

4月22日(第7日目)
 いつものように8時にお寺を出発し、県立釜石病院を訪れて院長に前日の様子を報告し、次に医師会館へ回って職員のみなさんに挨拶をして、診療開始前の医師会長に患者さんの申し送りをしました。
この日は前日に症例検討をした精神疾患のある患者さんの紹介状を災害派遣チームの精神科医から預かっており、それを手渡して地元の医療へつなぐ役割を果たしました。

 その後、市民体育館に常駐している看護スタッフと、釜石市障害福祉課の担当保健師、この日交代した和歌山県から派遣の心のケアチームを含めて昨日の患者さんの事例検討をおこないました。

和歌山県チームの精神科医に指示を仰ぎ、実際にケアを担当するのはJOCS&JCMA(日本キリスト者医科連盟)から派遣している看護師です。
長期的な治療やケアが必要な方を地元の医療やケアにつないでゆく時期になってきましたが、もともとメンタルケアの受け入れ先の少ない地域なので、今後の精神疾患の治療や心のケアをどうやっていくかは、これからの大きな課題です。

仮設住宅の一部が完成し、昨日から入居説明会が始まっています。完成した住宅を見てきましたが、プレハブの狭い住居で、公共のスペースを設けてありません。

そのため、現在は避難所で言葉をかけあったり周りと話ができて解消されているストレスが、仮設住宅では発散できない可能性があり、自閉症やアルコール依存などが心配されます。

夕方から3か所の避難所を回り、異常を訴える方たちの診療をおこないました。相変わらず咳の出る方が多いのは、布団を敷きつめた体育館の空気が悪いせいでしょう。

周りに気兼ねして咳をするのでちょっとした咳でも気になるようでした。しかし、中には、自分で気管支ぜんそくと思いこんでおられる75歳の男性がいて、診察したところ心不全による咳と呼吸困難とわかり病院へ紹介したような事例もあります。

午後8時、マッサージを担当した高野山真言宗の僧侶Kさんを交えてミーティングをおこない、今日の反省と今後の方針検討をおこないました。その後、夜行バスの発着所まで送ってもらい、東京への帰路に着きました。この1週間、各教会のみならず真言宗の寺院や僧侶の方と共同作業ができたことは大きな収穫でした。

不動寺の住職には全国の真言宗の寺をいつでも使ってください」と言っていただきました。また地元医師会とのつながりもがっちりでした。いずれも楢戸先生はじめここでの活動を先行されたみなさんのおかげでした。

今後は、被害に遭った方たちばかりでなく被害をまぬかれた市民も含めて、長期的で継続的な心のケアが必要になります。それこそJOCSの出番ではないかと思いました。