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11年度総主事通信 ①

2011.05.19

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今月のコメント~今月も「震災」一色です。ご容赦ください。

被災地の光景―生きた証

 5月初旬の1週間ほどの被災地の旅。インドネシア大津波の後のスリランカ、破壊し尽くされたアフガニスタン・カブールの無惨な光景と重なり、戻った後も、心も体も鉛の如くずっしり重いままです。
 新花巻からの列車の窓から見えたみちのく地方はまだ桜が残る日本の原風景でした。そして釜石へ。かつて「鉄とラグビーの町」として栄えた釜石は瓦礫で覆われていました。道路に乗り上げた2万トンの船、原形をとどめない車と建物、空襲後のような町並み。乾いた泥土や漂う異臭。虚像ではなく、紛れ間もない実像。そのリアリティに言葉を失いました。飛び交うカモメたちはどのような思いで眺めていたのでしょう?
 
 JOCSは、新生釜石教会前の赤テントの「街角保健室」に協力しています。行き交う人たちが立ち寄り、お茶を飲みながらお話とケアも、という“まちのほっとステーション”です。
あるご婦人は、「家は基礎から跡形もなく洗い流された。そして夫も。けれど先日(夫は)見つかった」と。それを聞いていた同じく被災者の若者が「見つかっただけ良かった。うちはまだ親類が2人行方不明のままです」と。さりげなく交わされる、悲痛な会話。私たちはただ聴くばかりでした。
 そのご婦人は、今は盛岡の娘さんの家に身を寄せ、久しぶりに釜石に戻られたとのこと。釜石市文化会館(地震で大きなダメージを受けた建物です)で、瓦礫撤去で見つかった写真・アルバム・証書や位牌などの展示があるとのことで、「何か一つでも見つかれば」と釜石に来られたのでした。「何か一つでも」、それはかけがえのない、生きた証なのでした。

“瓦礫(おもいで)”―命の深さ・広さ・尊さ

 瓦礫撤去で見つかった残留品・遺品の展示では、品々が町ごとに並べてありました。一つひとつに暮らしのぬくもりがありました。一つひとつが何かを語りかけているようでした。「生きたかった」と。
 受付のノートには、「写真1枚・位牌一つ・生徒手帳1冊・確定申告書類」、などと記帳されていました。生徒手帳1冊・・・、「あるはずだった」明日、続くはずだった日々。一瞬にして断ち切られてしまいました。
 
 「『瓦礫の撤去』が、心の中で『思い出の消去』と変換される。そうした被災者は大勢おられよう。背比べのキズのついた柱。家族が集まったこたつ。蛍雪の日々を刻んだ机もあろう。ありとあらゆるものが、今ひとからげに瓦礫と称される。・・・岩手、宮城、福島の瓦礫は計2500万トンになる。・・・失意の総量を改めて思う。想像力を持ち続けたい。」(朝日 2011.5.12)

 釜石で出会った僧侶は、瓦礫と化した仏壇の「魂を抜き」、解体する作業をしていました。犠牲者の検死に立ちあう医師のお話も伺いました。名前が特定できず、「番号」となった遺体の確認。過酷な現場です。亡くなられた方々の火葬の前に弔いの式を執り行う宗教者のことも聞きました。様々な形の被災者支援があること、命の深さと広さと尊さを学んだのでした。

想定外と想定内

 「想定外」~原発事故に際し、某電力会社が頻繁に使った言葉です。原発事故直後から海外のメディアは“クライシス”を報じ、自国民を退避させる国もありました。時間がだいぶ経って、「実は・・・」と次々と明かされる事実。私たちは、海外のみならず様々な媒体、何より「人つながり」で原発の恐怖という、封印されていた<不都合な真実>を知る伝手がありました。国内報道は、既成事実の「上書き」の印象でした。
けれど、とどのつまり「想定外」、という言葉に押し込まれ、責任はどこかへ逃げたままです。

 「☆原子力村用語辞典/安全=危険が発覚しないこと、科学的合理性=学者が理解できる範囲、核燃料サイクル=原発を永続させる呪文、想定=限界強度に収まること・・・」(朝日 2011.5.17 /素粒子)

 結果、“エクソダス”(集団脱出)を余儀なくされた民・・・。愛する故郷を逃れ、移民となった人たち・・・。

 一方、「想定内」というTV番組がありました。東京ディズニーランド特集(フジTV/Mr. サンデー)です。

 ・TDLの従業員は9割がアルバイト。しかし年180回も園のどこかで防災訓練があり、非常時は指示待ちではなくスタッフ個人の判断で行動してよい。
 ・震度6強・10万人が入園している時の、最悪の事態を想定し、対応する。
 ・30分後に「地震対策統合本部」が設置され、7万人の命を守った。
 ・帰宅困難者2万人を非常通路でディズニーシーへ誘導し、「大豆ひじき」を提供(約5万人が3-4日過ごせる食料を備蓄)し、刻一刻と変化する交通情報を貼りだし続けた。

 私はTDLの広報担当者でも、民放TVの宣伝マンでもないのですが、その番組からTDLでは「何が最優先されるべきか」という哲学が隅々にまで行き渡り、笑顔を絶やさず実践されたことに驚きました。
 想定「外」で信用を失い、想定「内」で信頼を得る。分かれ目は「普段の行い」と「現場(人)への信頼」でした。それは教訓であり、命綱でもあります。