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11年度総主事通信 ⑥

2011.10.17

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今月のコメント

●ノーベル平和賞2011~女性がつくる平和

 今年のノーベル平和賞は、エレン・サーリーブ氏(リベリア大統領/72歳)、リーマ・ボウイー氏(リベリアの平和運動家/39歳)、タワックル・カルマン氏(イエメンの人権活動家 /32歳)という3人の女性が選ばれました。2人の30代女性の一人、ボウイーさんは、「キリスト教徒とイスラム教徒の女性団体を組織し、民族や宗教の違いを超えた女性の交流を促し、女性の民主選挙参加の道を開いた」と。もう一人のカルマンさんは、2005年に設立された団体「束縛なき女性ジャーナリス」のリーダーで、「『アラブの春』では首都で学生デモを組織し、一時逮捕されたこともある」(日経 2011.10.8)と。
 ノーベル賞委員会は「女性の安全のため、平和構築に女性が参加する権利のために、非暴力で闘った」、「女性が同じ機会を得られなければ民主主義も恒久平和も達成できない」と評価しました。しかしいつか「女性ゆえ/若さゆえ」に注目されるのではなく、それが「普通」となる日が来るよう祈っています。

 2010年1月の総主事通信で、「ノーベル平和賞に『1,000人の女性を』プロジェクト」に触れました。「2005年のノーベル平和賞に1,000人の女性を」はスイス議会とヨーロッパ議会の議員達が2003年に提唱したもの。「もうひとつのノーベル平和賞~平和を紡ぐ1,000人の女性たち」日本語版では、世界150カ国1,000人のPeace Womenが紹介されています。今回の3人は3/1,000です。「『女性』が平和的だということよりも、平和に向かう女性達が、いかに様々かということを伝えている-この多様さこそが、この本の真骨頂だ」(日本語版後書き)

 「銃を持たずに闘い、天の半分を支える女性たち・・・放射能汚染に敏感なのも女性だ。その怒りや憤りが社会を動かすかもしれない」(朝日 2011.10.8)これは、私たちの“未来への希望の兆し”です。

●“Every Call Tells a Story”~鳴りやまぬ「悲しみのコール」

 9月に米国SFで「災害と心のケア」のための研修を受ける機会がありました。訪問した団体の一つにSF自殺予防センター(全米初1962年に設立され50年近い歴史)があります。24時間365日の電話相談は、薬物専用・聴覚障碍者専用・HIV専用・スペイン語専用やオンラインチャットや電子メールでの相談まで多様です。今この瞬間も「眠らぬライン」が鳴りやまぬ「悲しみのコール」を待ち受けています。
 同センターの入り口には、“Every Minute Counts・・・”、“Every Calls Tells a Story”と書かれていました。前者は、「1分1分を大切に(それが生死の分かれ目)・・・」、後者は「一つひとつのコールがその人の人生を物語る」という意味でしょうか。

 さて、日本の被災地では?
 NPO法人「自殺対策支援センター・ライフリンク」の代表である清水康之さんは、10団体の協力を得て、5月1日から「死別・離別の悲しみ相談ダイヤル」を開設しました。

 「電話がつながった瞬間、『どうしたらいいかわからない』と、わっと泣き崩れる遺族が大勢いる。『助かってよかった』という心境にはとうていなれず、『自分も一緒に死ねればよかった』としか思えない遺族が『生きる理由』を見つけることはきわめて難しい。・・・ライフリンクでは手紙による相談を開始したほか、全国の団体に呼びかけて、電話相談の日にちを増やることや、遺族が集える『分かち合いの会』の立ち上げを検討している」(Big Issue日本版 2011.10.1)

 これからの長く寒い冬は心の底からの孤立感を深めます。
 電話だけではなく、手紙や分かち合いも。つながる手段は様々です。祈りでつながることもできます。

●「ガリラヤのイエシュー」(山浦玄嗣 著/イー・ピックス出版)~復活のイエス@気仙

 先日、山浦玄嗣氏の講演会に参加しました。山浦氏はNHK特集で注目された「ケセン語訳聖書」の訳者であり、大船渡在住のカトリック信徒の医師です。笑いとユーモアにあふれ、とても深く心にしみるお話でした。その日、上梓された新著「ガリラヤのイェシュー」(日本語訳新約聖書4福音書)は、芝居の脚本か民話の如く、とても面白い読み物となっています。
 氏曰く、「ガリラヤ地方のナザレは、片田舎の鄙びた村で、日本でいえば東北地方の気仙である」と。新著は、地元ケセン語に加え、仙台・盛岡・津軽・鶴岡・名古屋・京都・大阪・山口・長崎など各方言に公用語(幕末期の日本語)や関東やくざ言葉で語られ、「日本語訳」(前書きでは「セケン語」)と表記された労作です。日本の聖書における革新的な試みと言えるでしょう。

 山浦氏の本業は大船渡の開業医です。目前に迫りくる大津波の恐怖の只中、外に逃げ遅れ(それが幸いし)お連れ合いと共に自宅の2階で助かったと。またケセン語訳聖書に続き、このたびの第2弾も出版した小さな地元の印刷会社社長である熊谷氏は、会社も流され、大津波に命からがら逃れることができたものの、「無一文」に。会社ばかりではなく、製本段階にあった「ガリラヤ・・・」のデータとパソコンも消失という危機にも見舞われました。しかし幸いにも山浦氏の手元に残っていた手書き原稿で再出発へ。

 山浦氏・熊谷氏それぞれの「九死に一生を得た」体験と絶望を経て、不死鳥のように蘇った新著「ガリラヤのイェシュー」。お二人の不屈の精神に心打たれるとともに、気仙に「復活のイエス」を見る思いでした。