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第2回JOCS看護チームの釜石での支援活動に参加して

2011.12.02

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第2回JOCS看護チームの釜石での支援活動に参加して JOCS総主事 大江浩 1.活動期間:11月21日(月)~26日(土) ※ 今後の予定(第3回:2012年1月第4週、第4回:同3月第4週) 2.看護チームメンバー:山本貞子さん(リーダー)、柴田恵子さん(サブリーダー)を含め延べ10名 3.活動内容:  ※受け入れ先:カリタス釜石(カトリック釜石教会) ①仮設及び在宅の被災者の方々の訪問ケア ②カリタス釜石の「ふぃりあ」または「移動ふぃりあ」への協力 ※「ふぃりあ」=心のケアサロンスペースでの傾聴活動 ※「移動ふぃりあ」=仮設へ出向いての傾聴活動 4.白浜地区の訪問活動に参加して(11月23日): ①JOCS看護チームは、「ふぃりあ」「移動ふぃりあ」に参加するメンバーと白浜地区の在宅被災者の方々を訪問するメンバーに分かれ、大江は白浜地区のグループに同行した。 ②白浜地区到着後、現地集会所で行われた社団法人日本バプテスト宣教団/東北ケアチーム主催の集いに参加させて頂いた。奇遇にもリーダーはかつて横須賀の長沢バプテスト教会におられた大上高弘牧師で、元ネパールワーカーの宮崎伸子さんをよくご存じだった。 ③白浜地区の皆さんは、前回同様JOCS看護チームを温かく歓迎してくださった。避難所時代に築かれた看護チームとの絆の太さが伺える。出会う人たちがあちこちで声をかけてくださり、 2つに分かれた看護チームはそれぞれに、1家庭平均約1時間かけてお話を伺ったり、血圧や体温を測ったりした。皆さんのお元気な様子にこちらも元気を頂いた。 ④白浜地区は約百数十軒・約300人の人たちが住む小さな集落である。そのうち39人がこのたびの津波の犠牲となり、17人ほどが行方不明のままである。例年3月中旬は昆布漁の季節で、その準備のため3.11当日は多くの関係者が漁港で作業をしていた。 その時に襲った大津波の犠牲となり10人に1-2人の人たちが亡くなるか行方不明となった。皆さんの屈託のない笑顔の内面にある傷跡の深さを想う。 ⑤被災者の方々は口々に震災当日のことや直後の様子を語って下さり、生々しい様子や凄まじさは今聞いても心痛む。リアス式海岸の入り江に位置する白浜は海と山に囲まれており、ある方は「山の向こうから黒い巨大な津波がやってきた」と語った。 その恐怖は想像を絶する。白浜の人たちは震災後孤立し、近隣の大槌地区の大規模火災のせいもあって、ヘリコプターの移送により助かった人たちである。 ⑥ご主人の前では話せないが「外ならば」と言って、立ったまま涙ながらに50分ほど話をされる方もいた。 その方の娘さんのご遺体はなかなか見つからなかったが、最終的にDNA鑑定で見つかったという。 ⑦自治会長さんは、仮設に入居したのちの8月下旬(初盆の後)、お連れ合いを自死で喪われ、NHK特集「東日本大震災 助かった命が、なぜ」(11/13)にも出ておられた方だ。内閣府によると「震災関連自殺は、4か月で38人に上る」とのこと。 自治会長さんのお父様は津波で亡くなった。今は高齢のお母様と二人暮らしである。地元の世話役として多忙にしておられるが、チーム一同とても気遣っている。 ⑧私たちが訪問したのは、これからの長く厳しい冬の戸口に立った季節だった。釜石の中心地まで車で40分近くかかり、買い物や病院・診療所などは今も不便だが、積雪・凍結の時期(特に2月から3月にかけて)になれば「陸の孤島」と化してしまう。孤立化の度合いが深まるこれからが益々心配である。