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JOCS/東日本大震災 釜石への派遣報告(11月~12月)

2011.12.22

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2011年11月10日~13日・12月11日~13日{釜石訪問} 白石仁美(カウンセラー) 帰りの駅の待合室で、怒鳴っている女の人がいた。見えない「誰か」に向かって。 今回の震災や津波で、取り返しがつかない傷を心に受けたのだろうか。待合室の皆が、言いようのない表情で黙していた。 私も声をかけることが出来ないままに、その人はどこかに行ってしまわれた。被災の「傷の深さ」は、このように突然現れる。 ボランテイアとして関わらせて頂く時、お相手は感謝したり、気遣って下さる。現実の生々しい痛みを、忘れないように、慣れてしまわないように、祈る。  私は、今回で釜石訪問は6回目になる。仮設では、集会所「お茶っ子サロン」に集まるおばちゃん達のパワーはすごい。今は、松ぼっくりで小さなクリスマスツリーを創りながら、快活に笑い、おしゃべりをして、ボランティアにお漬物や蒸しパンの差し入れをして下さる。その底力に、こちらが励まされる。 現実は、皆が「家を失くした人たち」なのだ。 初めは「うつ」で、涙が止まらなかったSさんも、今は常連で、手芸に励んでおられる。  「パチンコ依存」で生活保護を受けておられるお爺ちゃんが、今は「お茶っ子サロン」が居場所となり、 なんだかんだとおばちゃん達にかまわれて、まんざらでもなさそうだ。 釜石ベースの「フィリア」に電動車椅子で訪ねて下さるTさん。杖をつき、足元はおぼつかないが、口は達者で、わたしたちを笑わせてくれる。 Tさんは、お財布から「おやじさんへ」と書かれた名刺を出された。 入院中に、神戸からわざわざ震災のお見舞いに訪ねて下さった旧知の友人と会えなかったことを、 何度も何度も「神戸行きたいけどなあ。遠いからなあ。」と仰った。わたしたちは、どうにもならない人生を、ただ聞かせて頂く。 30代の男性。不満と怒りをしゃべり続けるので、いささかボランティアも対応に苦労していたが、段々に変わってこられた。 何と、クリスマスツリーの飾り付けの時、積極的にアイデアを出し、彼は背が高いのだが、高いところの飾り付けを手伝って下さった!! 彼のお陰で、天使が糸で、天井から吊り下げられたのだ。怒りに満ちていた彼の中の「天使」が、舞っているように見えた。 聞くところによると、地元の進学校出身という。 近所の独り暮らしのYさんから、暖房器具などの支援物資を、体育館から自宅まで運ぶのに車がないので手伝ってほしいと頼まれる。 仮設には、一斉にストーブ等が配られたが、なまじ家が残ると、支援の情報も自分で収集せねばならず、調達も自力になるので大変だそうだ。 車いすになられた御主人を2年看病し、7年前に看取られたという。ストーブやジャンバー、おみかんなどを車で運び、本当に心から喜ばれた。 「水がここまで上がってね。」と下から40cmくらいのところを指して言われた。戸棚もテレビも全部駄目になって、と家はがらんとしていた。 けれど、きれいにお掃除がしてあって、一生懸命生活しておられることに心打たれた。毎月わずか数日間の働きだが、色々な方との出会いがある。  また今回は、ベースのボランテイアに「傾聴」のロールプレイングとレクチャーをさせて頂いた。 「被災された方」のロール(役割)を、自分がすることによって、少しでもその気持ちが感じられ、 また、「気持ちをくむ」対応と「障害となる対応」の実際も、ロールプレイングを通して、よく実感して頂けた。 今後このような研修を、ボランテイアやスタッフに展開していくことを検討していくことになった。 ささやかでも自分の専門分野でも、重層的にお役に立てれば幸いである。 神様が与えて下さった「釜石」との出会いは、 道中の美しい自然も含めて、私への美しい贈り物である。 54歳の私が、重いリュックを背負って、ギターを持って、夜行バスで行く時に、もともとそういうタイプでもなく 「私は何をやってるんだろう。」と不思議な気がするが、「つらい人」に寄り添うのは、わたしの仕事であり私のやりたいことなのだ。 神様が招いて下さる道は、間違いがない。 また、今回は徳久俊彦氏が訪問して下さり、謙遜にていねいに、ひとつひとつを体験して下さったご姿勢に敬意を申し上げたい。