HOME>ニュース>2012年6月・「釜石訪問」レポート

ニュース

2012年6月・「釜石訪問」レポート

2012.06.20

シェア ツイート

3・11の後、7月から毎月JOCSからの派遣で「釜石」に行かせて頂くようになって、1年になる。 私が行かせて頂いている「カトリック釜石ベース」は、元々信者が18名くらいの小さな教会だ。 町の人達はご近所にある立派な、曹洞宗のお寺の檀家さんがほとんどで、お隣の人すらも、教会に来られることはまずなかったという。 それが、地面が揺れて、扉が開いた・・・という感じで、3・11以来、多くの人が教会を訪れるようになった。 その時には教会も被災し、駐車場には津波で流れてきた車や遺体が溢れていたというが、いち早くそれらを撤去し、幸い「教会」という立場上、支援物資が引きも切らず送られてき、すぐに炊き出しを始め、物資の提供をし続けた。 そこに、人が集まり、宗派を超えて助け合う関係が、元々神様が作られた「神の国」が、そこにあったという。 そして、今に至るまで、カトリック、聖公会、日本キリスト教団、曹洞宗、立正佼成会、支援に入っている色々なNGO、NPO等がともに、会議で思いを共有しながら、「助け」になるために協議し、連帯し、働いてきた。が、実際には、私たちの方が、地元の人から励まされ、心を揺さぶられること、育てて頂いていることの方が多いように思う。 一方、支援が長引く中で、支援者のスタッフが疲れてき、関係もあちこちで、仕切り直しの時期が来ているのが、現状の課題である。 6月11日の月命日の「テゼの祈り」(写真参照)・・・1年を過ぎてもう、午後2時46分に黙祷を捧げるサイレンは鳴らない。 けれど、私たちは、変わらず、被災の時の写真を祭壇に飾り、ロウソクを灯し、その時間をはさんで、追悼の祈りをお捧げする。 ひとりになっても、その日を忘れないように「お祈りしよう」。 それが、せめてもの、ささやかな供養だと思い、「忘れないこと」それが、小さな使命のように思える。 今回は、ふたりの支援者のカウンセリングを、2時間、3時間と行った。立場上、内省する訓練が出来ておられるようで、実際、直面化への抵抗もままあり、それが難航の壁となっているともいえる。 大事なお立場なので、祈りの内に、お元気になって頂けるよう、お苦しみを共に歩ませて頂く。その他にも、職業柄、ベースで今回、スタッフ5人のお話しを非公式で行った。 ある方は夜の10時~11時過ぎまで。ある方は、夜8時~10時まで。 色んな時間に、他の方に知られないように、色んな場所で・・・。 どの人も「自分が大変」で、「自分のことを解って欲しい」。ささやかでも、お役に立てば幸いと思う。 先月に引き続き、ほぼ地域のほとんどを流された鵜住居地区の方々が入っておられる仮設を訪問した。 70歳の男性が、1時間余り、私たちに話して下さったこと。彼は3階建の自宅の屋上に奥さんと避難し、助かったそうだ。 眼下に、知り合いの娘さんが流されるのを見、「屋根につかまれ!」と叫んだら、「もう、駄目です。」と言って流されていったと言う。 また、「防災センター」に100人くらいが避難したけれど、2階建ての建物ほとんど、津波の波をかぶり、殆どの方が亡くなられたと言う。 波の引いた後、生き残った方は、足の裏にその方たちを踏んだ感触を忘れられず、夜も眠れなかったという。 この男性は、鵜住居に残った自宅を残し、これから80歳まで、撮った写真を展示し、訪れる人に「その日のことを伝えていく」それが、自分の役割ではないかと、毎日考えていて忙しいと言う。へこたれず、被害に呑みこまれず、雄々しく前を向いて、人のために生きようとする、真摯なお元気なお姿に、私たちの方が励まされた。 民生委員の60代の女性。同じ地区の民生委員さんが3人流され、このような状況で、仕事は増え、障がいを持った息子さんと仮設でふたり暮らしで、先月お訪ねした時はメニエル病が思わしくなく、点滴を受けたりなさっていた。 が、今月は、お顔の表情が明るくなり、お元気になられ、「この仕事をすることが私の務めと思うようになった」と仰る。 なにが、彼女の中で動いたのか分からないが、私には神様が彼女を御手の内に、たいせつに包んで下さっているように思う。 天神仮設の89歳のお爺ちゃん。かつて、わたしが毎月お訪ねし、お得意の「イカとっくり」をわざわざ作って、私に下さった方だ。 とはいえ、他の仮設に行くことも多く、ずっとお訪ね出来ないでいて、本当にお久しぶりだった。 ボランティアも多くいらっしゃる中で、覚えておられるかしら・・・と、恐る恐るお訪ねすると、ちょうどご兄弟が北海道から訪ねていらしたところだった。 妹さんは、「電話で話はしていたけれど、実際にやっと会えた。」と泣かれた。 そして、腰が90度に曲がったそのお爺ちゃん、私を懐かしみ、真っ直ぐに腰を伸ばすと、何とわたしと同じくらいの背の高さで、妹さんよりわたしに話しかけてくる。 何カ月もご無沙汰していた、一ボランティアの私を、こんなに大事に思ってくれるなんて・・・。 わたしは、このレポートを書きながら、ひとつひとつに、胸が熱くなる。情があるのだ。 そして、今回は「プレイバックシアター」の人がいらしていて、「お茶っ子サロン」で被災された方の話を聞き、その場で即興劇にし、見せて下さった。 それを契機に、「私も・・・」「私も・・・」と、口々にその時のことを話し始められた。 そのようにして、カタルシスの浄化になっていくことが目的と言う。 心理劇学会の繋がりで、私もささやかなメンバーとして手伝った。  毎月、色んなドラマと出会いがある。「復興」にはほど遠く、日々、ただ地道に生活する地元の人たちから、私たちは教えられる・・・本当に大事なことを。 そして、釜石ベースでは、毎朝ミサに与り、一日が祈りで終わり、浄められるような生活である。 このささやかな巡礼で、私こそが育てて頂いている。  引き続き、読んで下さった方にお願いします。「忘れないで下さい。」そして、お祈りと具体的な支援をよろしくお願いします。是非、現地に足を運んで頂ければ幸いです。 カウンセラー 白石仁美(JOCS派遣) JOCSと神様に感謝をこめて