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HOME>ニュース>釜石訪問レポート(2012年10月~2013年1月)
2013.01.16
某仮設住宅の「お茶っ子サロン」で、全盲の78歳の男性のお話しを終日伺った。 彼は、貧しさゆえの栄養障害が元で失明なさった、途中障害の方である。 彼は大きな声で、実に朗らかにご家族のこと、趣味の競馬のこと、震災の時のことなどを ものすごいエネルギーで話し続けられる。こちらが途中で、「喉が渇かれるでしょう?」 と促して、お茶を飲んだり、おやつを食べたりしながら、たくましく、前向きに生き抜いてこられた明るさを始終周りに振りまきながら、笑顔で話し続けられる。 シスターが、杖を突かれたその方のもう片方の腕をとって、仮設からお茶っ子まで送り迎えをされる。 「震災当日」、いつものように競馬場に居たのを、奥様が迎えに来られ助かられた。 実にご夫婦の仲もいいのだ。 奥様は71歳で介護ヘルパーのお仕事をなさっており、6:00~16:00までの勤務と、12:00~22:00までの勤務だそうで、「見えない」ご主人のために、食事とワンカップ(お酒)をテーブルに用意して出かけられるという。 他者に介助されつつも人生を愉しんで、愛されているその方と出会い、また、震災以前のこの地域の貧しさと出会い、与えられた境遇の中で、「いのちを輝かせて、精一杯生きる」ってこういうことかと、心を揺さぶられる。 昨年の2月から毎月カウンセリングをしているAさん。初めは、他者への不満を語るのみだった。 震災さえなければ、そこそこに満足しておられたという。 震災後も、避難所では、「英雄」的な存在だったらしいが、その後、段々具合が悪くなっていかれた。 周りが理解してくれないことへの怒り、自分の症状がはかばかしく軽快していかないことへのやりきれなさ・・・ 震災さえなければ上手くいっていたのに・・・行き詰まりと重苦しさを訴えられ、なかなか立ち上がりは見えにくかった。しかし今回、そうこうしながらも着実に、震災後2年近く日々を過ごされ、お仕事もなさり、踏ん張ってこられたことを確認できた。 「夜明けは近い」そんな希望をその方に垣間見た。その方の人から評価されるようなところではなく、その方のあえぐような弱さの中で、神様は生きて働いておられるのを見せて頂いた。 現在釜石に仮設住宅は66ヶ所在り、5800人の方が住んでおられ、36%が65歳以上の方で、独居の方が多い。これまでで孤独死が13名(内、男性が9名)ということで、地元採用の支援連絡員さんが1日に3回各戸を巡回している。 25年夏には、平田(へいた)に復興住宅が完成するが、仮設住宅でやっと出来つつあるコミュニティが、またばらばらになることの懸念やお家賃が5万円くらいであることの経済的な負担を考えると、どこまでいっても気は休まらない。 けれど仮設のある御婦人は、ボランティアに来た人に必ず、可愛い蛙の手作りのキーホルダーを御土産に下さる。無事に「帰る」ようにと、またここに「帰って来てくれる」ようにとの願いを込めて、だそうだ。 神様から頂いたいのちを深く生きるとは、「福音を生きる」とはこういうことじゃないかと、ただ頭が下がる。都会から来た若いボランティアや私の小さな生き方を揺さぶり、被災された方々の中にイエスさまを見させて頂く。 私たちの活動は(希望者は)、朝7時に聖堂で祈りから始まる。朝夕のミーティングは、祈りで始まり祈りで終わる。土曜の夜に夕の祈りをし、「月命日(11日)」に追悼の祈りをする。 内的な信仰こそが、外的なすべての活動の力の源となるためだ。祈りがあふれて活動になるのでなければ、人の弱さと限界と不秩序がわたしたちをたちまち襲う。釜石ベースのスタッフの日々のご尽力の積み重ねによって、このようにシステム化され整えられていったことに敬服し、頭が下がる。 またJOCSから派遣して頂き、多くのお祈りに支えられ、祈りの内にささやかな働きを通して、多くの豊かな出会いと体験を頂いていることを心から感謝申し上げる。 JOCS派遣カウンセラー 白石仁美
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