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2013年3月11日 釜石訪問

2013.03.18

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忘れえぬ写真・・・ その日、カリタス釜石ベースでは追悼のために釜石の町で元写真館を営んでおられ、震災や津波の直後の写真を撮り続けておられるカメラマンの方をお招きして、スライドを拝見しながらお話しを伺わせて頂いた。そのうち、二枚の写真を私は忘れることができない。  一枚は、町の小さな通りでふたりの人がサンダル履きで、足元から3mくらいのところまで波がひたひたと迫って来ているのを、逃げる様子もなく日常のままに見ている様子の写真。10mくらい離れたところまで、5mくらいの高さの瓦礫を含んだ津波は迫って来ている。 けれど、これまで見たこともない光景に、ただ、おふたりは何が起こったか理解を超える出来事に、呆然と見ておられ、逃げる気配は感じられない。このおふたりは、亡くなられたという。 それまで営んでおられた日常を、突然に、根こそぎ奪われてしまった人々、地域。  もう一枚は、2mくらい後ろまで瓦礫を含んだ波が足元に迫って来ていて、若い女性がやや笑いながらジョギングでもしているように、走っている写真。 「これは私の娘です。」とカメラマンの方は云われた。娘さんの後ろをついて走っておられたお母様が、次に振り向いたときには、姿が見えなかったそうだ。それで、「笑っている」ように見える表情は、人間は自分の理解を超える出来事に遭遇した時、「笑う」のだそうで、娘さんも、理性の吹っ飛んだ状態で、笑っているような表情で走り続けられたという。 幸い、お母様は波に呑まれながらも助かられたそうで、ほんとうによかった。が、波に呑まれるということは、壊れた家や車や様々なものに巻き込まれながら流されるということで、助かられた方たちは、あちこちから血は噴き出し、骨折し、肉は削がれて骨が見えていた方もいたというお話も伺った。  その後、震災後のことを黙想し、振り返りの時を持ちグループに分かれて分かち合った。大学生のお嬢さんが、「生々しい映像に吐き気がしてきたが、報道される“復興”の映像ではなく、生涯残るここの人たちの恐ろしい体験、傷ついた心を忘れないように、自分に何が出来るか考えたい。」と語ってくれた。 その後、追悼の御ミサが行われたが、一年目の時は、突然亡くなられた霊魂がそこに降りてきているかのような不思議な空間で、皆、涙が溢れて止まらなく、重苦しいようなこの世を超えたような時空間だった。それに比べて、今年は大分軽くなり、取り去られた霊魂が落ち着くところに落ち着かれたかという印象を持った。 その後、釜石市のご遺族のための追悼式に出席した。亡くなられた方1,000名余り、おひとりおひとりの名が記されてあった。式事態は儀式的にも感じたが、そこに連なる圧倒的な数のご遺族の方の怒りを含んだような表情が胸に焼き付いた。 まったく理不尽に奪われた人たちの悲しみを超えたやり場のない思いが、沈黙の中で会場を埋め尽くしているかのようだった。宗教色は全く排除されていて、ある意味無機的であり、このような時にこそ、祈りが欲しいと心から切望した。 3月11日が記念日になるのではなく、忘れず寄り添い続けてほしいと心から思う。JOCSが、2年経過を境に撤退する団体が多い中で引き続き、福島、仙台、釜石を支援し、人を派遣し続けて下さることを心から感謝したい。 JOCS派遣カウンセラー  白石仁美