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12年度総主事通信 ⑪<No.71>

2013.03.26

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今月のコメント

●“人を育てる 未来をつくる 日野原重明 101歳”―JOCSチャリティ講演会(3月23日)

 日野原先生は、JOCSの原点である日中戦争での第1回中国難民救済施療班(1938年)当時から、実に75年間、JCMAとJOCSとの歴史的な関係にある「生涯現役医師」(JOCS設立からの53年継続会員)です。
 講演会のテーマは、JOCSの途上国の医療スタッフへの奨学金支援でした。日野原先生を含む4名が参加した東アジア・キリスト教医療従事者会議@香港(1958年)が契機となって、アジア4カ国の医療者の研修受け入れが聖路加国際病院などで行われました。JOCS誕生前夜のこと、医療者の研修支援はワーカー派遣に先立ちます。「人を育て、人を送り、人と向き合い、人を支える」―これはJOCSの歴史を貫く大切な価値です。

 日野原先生は、1時間、舞台に立ち・動き、パワーポイントとユーモアを駆使して自らの人生・信仰・使命について熱弁されました。
 内容は、父日野原善輔牧師のこと/お母様の病気を治療した医師に触発され、医者を目指したこと/結核と肋膜炎の闘病生活体験/キリスト教信仰と自身が受けた教育や出会いのこと/JOCSとの繋がりやJOCSの働きのこと/死を覚悟した「よど号ハイジャック事件(1970年)」からの解放後、58歳で「第2の人生」を目指したこと/「いのちの授業」のこと/「自らの運命をデザインする」など、誠に多彩でした。
 最後には、「平和の失われた世界に平和をもたらすため、憲法9条を守り、武器を持たない国に」と、締めくくられました。日野原先生は、100歳でfacebookを開始!。超人的な(?)意欲とチャレンジ精神に脱帽です。

 さて、講演会資料から1人のインドネシアの元奨学生の言葉をご紹介します。Dr. .ヨンベルトは、助産師でしたが、長尾真理元ワーカーの励ましによりJOCS奨学金を得て、32歳の時に大学の医学部に進みました。

 「(大学医学部を)卒業した年の2003月、ポソ地区において、覆面をした武装集団によって、多くのキリスト教徒が殺されました。ちょうど宗教紛争のただ中でした。爆弾で負傷した患者さんで病院があふれ、3日間家に帰れなかったこともありました。辛かった時も、医学部に行くために背中を押してくれた当時のJOCSワーカー、長尾真理さんと一緒に働いていた時代のことを思い出して、頑張ることができました」(中部スラウェシ教会 地域保健部門代表 シナルカシ病院/医師 ヨンベルト・ラロブ)

 講演会資料には他にも、ネパール/「山岳地域でリハビリ訓練を支える」、インド/「病院初の医療機器の専門家として」、タンザニア/「小さな村の診療所に貢献したい」、ウガンダ/「内戦で傷ついた故郷のため、僕は医者になる」・「HIV/AIDSとともに生きる人々のために」といった海外の奨学生のコメントが紹介されています。奨学生の職種・専門は様々です。貧困地域の保健医療に乏しい最前線の現場で、人々の命を支えています。
 講演の後は、JOCS50周年DVD「カシ・ナマ・ジュパン」の上映会でした(同DVDは、ITVA日本ビデオコンテストで、銀賞を受賞)。Dr. ヨンベルトたち、インドネシアの元奨学生の物語です。彼らの日常は、筋書きのないドラマです。彼らの献身的な働き、救われた幼い命を神に感謝する姿は、人々に深い感銘を与えました。
  
●3.11に想う~「そのあと」(谷川俊太郎、朝日「今月の詩」/2013年3月)

 「そのあとがある/大切なひとを失ったあと/もうそのあとはないと思ったあと/すべて終わったと知ったあとにも/終わらないそのあとがある/そのあとは一筋に/霧の中へ消えている/そのあとは限りなく/青くひろがっている/そのあとがある/世界に、そして/ひとりひとりの心に」(詩:谷川俊太郎、朝日2013.3.4)

 私たちは、「そのとき」と共に「そのあと」を生きています。3.11の「あと」、9.11の「あと」、1.17の「あと」、自分にとって特別な日の「あと」・・・という風に。その「とき」はそこに留まり、その「あと」は永遠に続きます。

 「・・・(連載「今月の詩」は)5年間60か月のうち1回だけ休載しました。2011年4月、東日本大震災の翌月のことでした。・・・震災後初掲載となった5月の詩『言葉』は反響を呼びました。『何もかも失って/言葉まで失ったが/言葉は壊れなかった/流されなかった/ひとりひとりの心の底で』と始まります」(朝日 2013.3.4)

●「花は 咲く」(作詞:岩井俊二、作曲:菅野よう子)~NHK東日本大震災プロジェクトwebsiteより

 「・・・震災の直後、僕は被災地の家族や友人の消息を求めて、twitterに書き込みを続けていました。・・・そんなtwitterの中に『片想いの人を探してほしい』という女の子の声がありました。『片想いであるが故に自分を探していることが知られたくない』という可愛い注文付きでした。こんな最中にも恋があったりするのかと、それが何とも微笑ましく、思えばかの地は僕自身が初恋なるものを育んだ聖地であり、そんな聖地に今もしっかり若者たちが恋を育んだりしているもんだなあと思ったら、まだ震災から1週間ぐらいのことではありましたが、瓦礫だらけになったこの場所にもちゃんと花が咲いてるじゃないかと思えました」(岩井俊二さん)

 「・・・チャリティである意味や、聴く人を傷つけない心遣いさえ一度忘れ、滝に打たれこそしませんでしたが、1週間ほどかけて音楽家としての下心や技巧を落としてゆきました。・・・100年経って、何のために、あるいはどんなきっかけで出来た曲か忘れられて、詠み人知らずで残る曲になるといいなあと願って」(菅野よう子さん)

 歌の詩は、「わたしは何を残しただろう」と3回繰り返します。これは「死者の視点」です。当初は、繰り返し4回の予定だったそうですが、最終的には、4回目のフレーズが「いつか恋する君のために」になりました。死者が「私」に、ではなく「生者の未来」へ語りかけます。「死者の歌」は、生者の魂に呼びかけています。

 私事ですが、先日娘の高校卒業式と息子の中学卒業式に出席しました。3.11、卒業式を迎えた学校の情景が重なり、涙が止まりませんでした。「花が咲く」はずだった、「明日がある」はずだった人々の命を想って。

 「・・・こうした生者と死者の『語り』が『花は咲く』にはおおらかに歌いあげられている。それが涙をさそうのだ。だがそれは悲しみの涙ではない。死者と共に未来へ向かう優しい希望の涙のようなのだ。そこにこの歌の不思議な魅力がある」(宗教人類学者 山形孝夫氏、朝日2013.3.12)。

 「逆風の中で花を咲かせるには、自分自身との厳しい闘いが必要です。どうしても咲けない日には、根を下へ下へとおろし、張るのです。次に咲く花は嬉しいこと、楽しいことだけを肥やしにした花とは違う、美しい花となることでしょう」(シスター渡辺和子、朝日2013.2.23)。花のために根をおろす生き方に学びたいと思います。