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HOME>ニュース>「釜石訪問」2013年6月・7月
2013.07.19
釜石の夏は、暑い日もありましたが、長袖着用で首にマフラーを巻いた日もあり、東京の暑さとの温度差を感じました。温度差といえば、被災地をわずかでも離れれば、ごく普通の生活が盛岡でも営まれており、「人ごと」になり、風化していくことの悲しみを感じます。
また、2年4カ月経過し、支援の長期化に伴うスタッフの疲れには、個々に必要な休養をとることが急務であると感じます。幸い釜石ベースでは、そのあたりのスタッフ間同士のあたたかい心遣いが育っており、厳しい状況の中でもスタッフの成熟をうれしく感じさせて頂きました。また、新しいインドネシア人の司祭が、人への理解とセンスのある方で希望を感じます。神様は、必ず見捨ててはおかれないことを感じます。
さて、私の仕事は、そのスタッフたちのお話しを聞かせて頂くことが多くなりました。せっかく行っているのですから、訪問が有機的に最もふさわしくお役に立ちますように、いつも祈りのうちに、イエス様と共に歩ませて頂きたいと願っています。 継続的に関わるということは、支援者と被災された方との「距離感」「出来ることと、出来ないこと」の識別が必要になってきます。必要な時には、仕切り直しをせねばなりません。
少し距離を置くと、ボランティア自身、「自分の判断はこれでよかったのだろうか・・・。」と悩まれるようなことも出てきます。しかしそれは的確な判断で、模索しながら「適切な距離」を取りつつ、支援し続ける関係が健全な関係で、そこを踏まえておられることを伺わせて頂き、日々ご苦労なさりながら真摯に取り組んでおられるお姿に頭が下がりました。
また、ある方は、皆が時間を気にして、ご自分の気のすむまでゆっくり話を聞いてくれないことがいつも不満でした。関わっておられるボランティアが、その方に「悲しかったねえ。」と言葉をかけ、お気持に寄り添いずっとお話しを聴かせて頂いたとのことでした。そのやり取りは、傷ついておられるその方にとって「宝」のような体験であったろうと思われます。
震災以前の傷や厳しい状況が、このような時に噴出します。そこに寄り添い続けるボランティアの人たちのお働きに、胸が熱くなりました。スタッフやボランティアたちは試行錯誤しながら、「どうしたら助けになるだろうか」と精一杯頑張っています。ささやかな月に四日間の訪問ですが、イエスさまをお乗せするロバのように、その下支えを出来れば有り難く思うばかりです。
そして、自分の思いではなく、神様は私に何をお望みかを、祭壇の前に座り、祈る日々です。 一方、「ふぃりあ」(釜石ベースのお茶っ子サロン)では、月一回の「卓球大会」は恒例となり、それを楽しみに、練習のためにも人が集まり、狭い仮設での運動不足解消と人との出会いに好評を博しています。ラケットを握り、試合ともなると、みな人が変わり・・それもまた、皆の笑いを誘い、ネタになり、「卓球大会」がいい取り組みに成っています。
今、「ふぃりあ」は、体を動かす「卓球」「ゴルフ」、クリエイティブな「手芸」「クラフト」、男性陣の一喜一憂する姿がほほえましい「将棋」、ギターを弾いて歌う「歌声喫茶」、子供たちのための「場所前交流館」(学童のような取り組み)などが恒例で、そこに色々なイベントが入ってきます。この間は、ピー子さんが来られ、キーボードとバイオリンと素晴らしいシャンソンとトークのひとときに地元の人たちが楽しい時を過ごされました。
また今回は、北海道から高校生が先生に引率されてボランティアに来てくれていました。彼らの素直さ、屈託のなさ、ひたむきに役に立とうとドライカレーの野菜を刻み、炒め、お掃除をし、また活動のそれぞれの場では健気に働きました。「また来ます。みんなに伝えます」と帰って行った彼らが、この体験が彼ら自身の人生に刻まれ結実していくことを願い、嬉しく、希望を感じさせて頂きました。
「ずっと仮設にいると辛いけど、ここに来ると楽しい。」「釜石を忘れないで。」「また来て。」と言われます。時には、自分の限界に直面し、私自身が揺さぶられることもあります。お祈りなくしては、この活動は出来ません。 この活動を支えて下さるJOCSと、みなさまがお祈りでお支え下さっていることに心から感謝しています。
JOCS派遣カウンセラー 白石仁美
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