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2013年度JOCS総主事通信 ⑥/No. 78

2013.11.08

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今月のコメント

  • 故田村久弥ワーカー(インドネシア派遣 )~生涯現役(医師歴72年)

 

 本通信の前号(10月1日配信)の「今月のコメント」でご紹介したJOCSインドネシア派遣ワーカー 田村久弥先生(産婦人科医:97歳)が、奇しくも同日10月1日に帰天されました。

 「人口30万人のモジョケルト地区(ジャワ島東部)で、開腹手術のできるのは自分(田村医師)ただ一人だった」(「モジョケルト日記-インドネシア医療奉仕の軌跡」)。田村先生を海外での医療奉仕へと駆り立てたのは、ビルマ(ミャンマーでの)インパール作戦戦時中の軍医体験であったことは既にご紹介済みです。田村先生は迫撃砲で重傷を負い、陸軍病院で治療を受けた後、再び戦場へ。時に軍の宣撫工作に利用されたとの回想を伺ったことがあります。その体験は、忸怩たる思いであったことと思います。

 田村先生は、ワーカーの任務後もカンボジアやラオスなどで難民支援活動に従事され、90歳を超えてもなおインドネシアを訪れておられました。また1941年の聖路加病院の勤務医に始まり、2013年8月に新生病院を退職されるまで、現役医師として72年。うち半世紀に及ぶ海外での医療奉仕に命を捧げた一キリスト教医療者。ある時、任地で、お連れ合いのご病気治療のため手術が必要となり、友人が日本に戻って手術をと勧めた際に、お二人は「地元住民が通う病院での手術を」と貫かれたそうです。田村先生ご夫妻共々、草の根の人々と生きること=平和への歩みである、と生涯証し続けたのでした。

 

  • リーマ・ボウイーさん(2011年度ノーベル平和賞受賞)~「平和~“祈りよ 力となれ”」

 

 リーマ・ボウイーさん。リベリア共和国の「平和のための女性リベリア大衆行動」を組織した女性平和運動家で、2011年度のノーベル平和賞受賞者です。その平和運動は、魚市場で祈り歌う女性たちの運動として始まり、宗教を超えた非暴力の抵抗運動として広まりました。その運動は、2003年第二次リベリア内戦の終結をもたらし、女性大統領エレン・サーリーフの誕生に繋がりました(同大統領は、ボウイーさんと共に、2011年度ノーベル平和賞を受賞)。

 「戦争の話は、どれもがよく似ている。・・・そして兵士は常に男だ。・・・自慢話をし、武器をふりかざす。それが政府軍の兵士でも反政府勢力の兵士でも、英雄で悪党でも。

 ・・・海外の記者がやってきては悪夢を記録した。・・・だが、もう一度報道を見て欲しい。今度はその背景をよく見てもらいたい。なぜなら、そこには女たちがいるからだ。逃げまどい、涙を流し、子供たちの墓の前にひざまずく女たち。女はいつも背景の一部で、苦しみは記事の付け足しでしかない。

 ・・・この本で語られるのは、これまでのような戦争の話ではない。ほかに誰にも立ち上がろうとしなかったとき、白い服を着て立ちあがった大勢の女たちの話だ。・・・これはアフリカの女の話であり、めったに語られることのない話だ。だから、あなたも聞いたことがないだろう。ぜひ私の話を聞いてほしい」(リーマ・ボウイー自伝 「祈りよ 力となれ」 英冶出版)

 私たちは、もっと世界を知りたいと思います。武器を片手に争いに明け暮れる男の、ではなく、平和をあきらめない女性たちの声から。ノーベル平和賞の受賞がなければ、ボウイーさんたちの活動は知る由もない事実でした。「祈りよ 力となれ」、これは私たちへの大きな励ましです。

 

 「<それほどに戦(いくさ)がしたい男らよ 子を産んでみよ 死ねと言えるか>。そんな歌と反戦平和運動への献身を残して、沖縄の中村文子さんが亡くなったのは6月末のことだ。存命なら来月に100歳を迎えるはずだった・・・」(朝日 2013.8.5)。身近な日本にも、ボウイーさんたちの大先輩がいます。

 

  • “ことば”の持つ力~筑紫哲也さん、石牟礼道子さん

 

 「今、あの人がいたら何と言うだろう?」と常に思い浮かべる人、それが筑紫哲也さんです。筑紫さんが亡くなって、この11月7日で5年。私は、筑紫さんの“多事争論”のファンでした。

 筑紫さんは多事争論のルーツを、「福沢諭吉が『文明論之概略』のなかで述べていることですが、国家的難事に立ち向かうには、みんなが一致結束、足並みを揃えるべきだという風潮が強い時に、福沢は全く逆に、多くの人が多くの事柄について争って論じることが、誤った選択に突進しないための歯止めだと説いたのです・・・」(「朝日ジャーナル」創刊25周年臨時増刊号、1984)と語っています。約30年前の言葉が、時代を超えて、今を見事に見抜いています。「多事争論」とは、民主主義とリベラリズムの原点でしょう。

 「深く考えない、ということは、『ことば』が力を失っていくことだ。『ことば』が力を失うということは、世界が暴力的になっていくということである」(筑紫哲也氏、「週刊金曜日」)とも。

 

 「苦界浄土―わが水俣病」(1969年)の作家 石牟礼道子さん(86歳)は、今年7月に故・鶴見和子さんをしのぶ会で美智子皇后と会われた後、手紙を送付されました。「今も認定されない(水俣の)潜在患者の方々は苦しんでいます。50歳を超えてもあどけない顔の胎児性患者たちに会ってやって下さいませ」と。

 

 ここに深く考える「ことば」があります。ことばが力を持つ、ということはこのことでしょうか。真のことばが力を持つとき、世界が暴力化するのではなく、平和へと歩み出すのだと信じます。