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HOME>ニュース>2013年度 総主事通信 ⑨/No.81
2014.02.10
今月のコメント
●ブラザー・フランクの帰天~地上を歩む巡礼者 JOCSバングラデシュワーカーの岩本さんと山内さんの活動地マイメンシンのテゼ共同体の責任者ブラザー・フランクが1月16日、帰天されました。ブラザー・フランクのJOCS50周年記念礼拝(2010年)で頂いた深く心に響くいのちの言葉~和解と赦し、平和と共生へのメッセージと柔和な笑顔を覚えています。
「1950年代から、テゼは苦悩する人々の現場にブラザーたちの小さな家を作るビジョンを持つようになり、最初は近くの都市でそのような家が始まり、そして1960年代になると世界各地でその可能性を探るようになりました。その模索のために最初に各地に派遣されたのはブラザー・フランクでした。彼はオランダの農家に生まれ、祈りや聖書の学びが豊かにあるプロテスタントの家庭で育ちました・・・」(テゼ~巡礼者の覚書/黙想と祈りの準備会編/一麦出版社)。以下は、ブラザー・フランソワによる弔辞です。
「・・・(ブラザー・フランクが)人生の中であれほど多くのことを成し遂げることがどのように可能だったのでしょう。私にはほとんど想像できません。シカゴ、アトランタ、フィリピン、そして一人の牧師(※)の招きにすぐ応えて訪れた日本、韓国と当時のソウルの枢機卿との深い友情、マザー・テレサのごく近くにいたインド。そして彼がその後選んだのは、当時ハイチと共に世界の最貧国であったバングラデシュでした。 彼が訪れた全ての場所で、フランクは先駆者でした。・・・そしてどこにおいても、全ての働きは、最も不利な立場に置かれている人々のため、排除され、孤立している障がい者のためのものでした。 フランクは、ほとんど何も持たずに旅立つ人でした。・・・彼が、旅の途上で私たちの所から去っていかねばならなかったことに深い意味があります。彼は地上を歩む巡礼者だったのです。・・・彼はどんな犠牲をはらっても境界を越えて進まねばならなかったのです。何故なら神がもっと先で待っておられるからです。神は、私たちがたどり着いたそのさらに先で待っておられます。神の愛は、私たちがまだ到着していないところで私たちを待っておられるのです。」
日本へテゼを導かれた、ブラザー・フランクの魂の友 大前幸正牧師(※)からお便りを頂きました。 「・・・荒野を駆け、熱砂をくぐり、風雷雨を避けず、主の道を歩いてきたブラザー・フランクでした。私は悲しみません。むしろ主が御手に迎えて安らぎと憩いを与えて下さったことを感謝しております。・・・何の見返り(金銭的にも)も求めず、与え続ける修業の業は、過大評価されることも、栄誉も求めず。それは、ブラザー・フランクには必要のないことです」。ブラザー・フランクは、天国でも休むことなく、何か誰かのためにすることはないか、と忙しく歩き回っておられるような気がします。
●JOCS横浜・寿地区セミナーから見えるもの~報告書・感想文集から JOCS海外保健医療協力セミナー2013は、「横浜・寿地区~草の根の人々と働く姿勢を学ぶ」(12/29-30)でした。テーマは、「国際協力を志す保健医療従事者が知っておきたい日本の課題-貧困・高齢化」。プログラムは、なか伝道所の礼拝、寿地区のお話、夜回り、医療班の活動参加、福島被曝労働者問題や越冬闘争についてのお話、ワーカー予定者のお話、炊き出しのお手伝いなど、でした。横浜市中区寿地区は、元町・中華街などの人気観光地、外国人居留・山手地区や横浜スタジアムに近い町の一角、野宿労働者の方々の地域です。 セミナーは日本基督教団寿地区センター・なか伝道所の協力を得て行われました。
「・・・夜回りは(午後)9時に集合。・・・膝をついて話しかけ、同じ目線で自然に話すことが重要だと教えられました。・・・野宿者は普段気のつかないコンクリートに挟まれたちょっとしたスペースに身を隠すように潜んでおられました。駅の地下通路では大部分の野宿者が快くスープや毛布、衣類を受け取ってくれました。しかしただ一人だけ若い人がうなだれるだけで何もいらないと蹲っておられたのは気になりました。 ・・・このセミナーでは渡辺英俊牧師(なか伝道所)から寿町について説明を受け、日本社会の冷たさに気づかされ、最も低い人の立場から、どこをどう変えればよいかを考えることが重要であり、人間にとって優しさが大切であることを教えて頂きました。また思いがけず『被ばく労働学習会』に参加でき、この地区からも原発事故の労働者として派遣されている人がおられ、その現状を知ることができました。 ・・・今回学んだことは開発途上国で働くワーカーの姿勢と通じるものがあります。これからタンザニアに派遣される弓野医師のお話も聞きました。ことぶき共同診療所で培った経験を生かして、タンザニアでも活躍されると思いました。」(JOCS横浜・寿地区セミナー2013 感想文より)
●19回目の「1.17」。3回目の「3.11」。 「あの日から19回目の今日。/忘れられない、あの日のこと。忘れてはいけない、あの日のこと。時間が止まったのに、歴史が流れている。/なぜ??あの日も理由をさがした。自然の力は創造も破壊ももたらす。けれど、恨みも憎しみも欲もない。そこに学ぶべきことはなんだろう。/あの日から19年。毎日を生きてきた自分をふりかえる。そして、今日も知らない人と微笑みを交わそう。」“ポーポキのピース・プロジェクトで平和に取り組むロニー・アレキサンダーさん(神戸大学教授)のメッセージです。
多くの「死と喪失」の上に立つ私たちの「生」、しかし私たちは、どれほどそこから学び、喪われた尊い命に応えてきたでしょうか。いたずらに時を重ねる自分。時に怒りや不平不満に囚われる自分。感謝と赦しと祈りから遠ざかる自分。欠けだらけの自分。しかしだからこそ、日々、微笑みを交わすことの大切を思います。そこから小さな平和が生まれます。それは、喪われた命への応答でもあります。 私たちは、1か月後に3回目の「3.11」を迎えます。今一度、その意味を噛みしめたいと思います。
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