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2013年度事務局長通信⑪/No.83

2014.04.16

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今月のコメント

 

  • “与えることによって、与えられる”~人と人とを繋ぐ支援

 JOCSの諸活動は、会費・募金や寄付・使用済み切手などの協力によって成し得るものです。日頃の私の大事な仕事の一つに、寄付者の方々へのお礼状の「一筆添え」があります。自らの拙い字に赤面しつつも、相手先(個人・グループ・教会・学校・団体など様々)の方々のお顔を想像しながら、心を込めて数行書き添えます。

 ご丁寧なお便りなどを頂くこともあり、教えられ、励まされることもしばしばです。少し前に、福島在住の匿名の方からご寄付を頂きました。原発事故からの復興が進まぬ福島で、今も苦しい日々をお過ごしと想像しつつも、お名前も連絡先もないためお礼状をお出しできず、心の中で深く手を合わせた次第です。

 寄付者の方々それぞれに人生があり、ご家族があり、命があります。そしてJOCSの活動地の人々にも、それぞれに人生があり、ご家族があり、命があります。その大切な結び目として私たちの働きがあり、私たちの支援は人々の命と命を繋ぎ合わせることなのだ、と日々実感の365日です。

 JOCS理事の植松功さんが、会報「みんなで生きる」に、1月に天に召されたブラザー・フランクのJOCS50周年礼拝でのメッセージを紹介しています。「貧しい人々が、JOCSの進むべき道を示してくれます。JOCSはひたすら与えることによって、限りなく与えられるのです。JOCSは、貧しい人、障がい者、病人の傍らに留まり続けることによって、新しい力を得、新たな出発を日々生きるのです。」(「みんなで生きる」2014年4-5月号より)

 ある寄付者のお話「受けるより、与えることが幸い」を想いました。戦前・戦中・戦後を生きた体験から、「戦後、最も窮した時に海外からの援助を受けました。今、“受ける”より“与える”ことは幸いに思えます」と。その方は3.11の後、「被災地の方に代わって、海外協力のために寄付します」と募金を捧げて頂いた方でもあります。

 

  • 十字架、孤独、復活、希望の物語

 今は受難週。最後の晩餐(17日)、十字架の金曜日(18日)、聖土曜日(19日)、復活の日(20日:イースター)と続きます。イエス・キリストは、最後の晩餐の後に弟子たちと共にオリーブ山麓のゲッセマネの園で、刑死の前夜、祈りを捧げました。聖書には「イエスはひどく恐れてもだえ・・・『わたしは死ぬばかりに悲しい。』・・・できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと祈り・・・」(マルコ 14.33-35)とあります。この記述にあるごく人間的なイエスの姿に、祈りの時はまさに絶望的苦悩と暗闇の中にあったのでは、と想像します。

 弟子たちはイエスが最も窮した時に離れ、裏切りによってイエスは磔刑に処されました。聖書には十字架上のイエスの最後の言葉が書かれています。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか・・・」(マタイ27.46/マルコ15.34)、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているか知らないのです・・・」(ルカ 23.34)、「渇く・・・」(ヨハネ19.28)。ちなみにマタイ・マルコ・ルカの福音書に共通して「(十字架上で)大声で叫ばれた」とありますが、ヨハネ福音書にはありません。

 私は、実は聖書に書かれていない“大声の叫び”もあったのでは?と思えてなりません。ひょっとすると、母マリアに向けて「助けて!」と叫んだ?または、孤独に耐え切れず、嘆きと共に救いを希(こいねが)った?あるいは、人間の罪深さ・愚かさと自らの孤独という、二重の苦しみからの解放を願った?それとも、無情な世の中に激しく渇き、命の水を求めた?いずれも信仰薄い私の、勝手な“想像”に過ぎませんが。

 イエスの孤独は、“関係性の貧困”という現代の病として今も存在します。私たちは3.11の受難を通して、共に生きるとは?を深く考えさせられています。3.11は宗教をも揺るがし、その在り様を問いました。地球規模の貧困、紛争、環境破壊や核問題に目を移せば、聖書の時代から今も受難が続いていて、まだ「復活の日」を迎えていないのでは?とすら思えます。それでもなお、イエスは自らの死により意味が与えられ “復活”しました。救われたのは私たち、でした。何故人は生きるのか、に繋がる“希望の物語”として考え続けたいと思います。

 

  • 「日本が世界を救う~核をなくすベストシナリオ」(スティーブ・リーパーさん/平和活動家)

 3月に、気候変動に関する政府間パネル会議と核保安サミット、4月に、非核保有12ヵ国による核軍縮・不拡散イニシアティブ外相会議が相次いで開催されました。私たちは、3.11以降、核は「兵器」という側面だけではなく、“放射能汚染”という身近な脅威と地球規模の環境破壊をもたらすものであると、フクシマはヒロシマ・ナガサキに繋がる問題であると、気づかされました。遅まきながら、、、。

 さて、スティーブ・リーパーさん(前広島平和文化センター理事長)との出会いは2004年秋、スティーブさんが世界各地の紛争地のYMCAの若者たちと共に全国ピースキャラバンのリーダーとして横浜を訪れた時でした。3月末、数年ぶりにスティーブさんと新著「日本が世界を救う」(燦葉出版社)の出版記念会で再会しました。

 まず出版記念会での、スティーブさんと共に活動をしてこられた広島の被曝者の方の言葉をご紹介します。

 「被爆地の広島平和文化センターの理事長に米国人が就くことは、真珠湾攻撃で撃沈された戦艦アリゾナの慰霊施設であるハワイのアリゾナ記念館の日本人館長就任と同じ。“ありえない”画期的なこと。・・・私たち被曝者は今や“絶滅危惧種”になりつつある。しかし“絶滅危惧種”は、生かされるために、存在している」と。「“絶滅危惧種”は、生かされるために、存在する」。とても重い言葉です。

 スティーブさんは新著で、核兵器と原発を熱く語り、環境破壊にも触れています。少しご紹介します。

 「・・・核戦争防止国際医師会議(IPPNW)共同代表・核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)共同代表のティルマン・ラフ博士の『暗闇につまづき、光を求めて』(2013年7月)の一部です。

 現在、地球上に存在する核兵器のわずか1%、威力で言えば広島に投下された原爆100発分が都市をターゲットに炸裂したならば、500トン以上の煤(すす)と煙が上空に広がります。攻撃を受けた都市の甚大な被害・放射能汚染に加えて、そこから放出された500万トンの煤と煙は気候分野に大変動を起こします。・・・食糧は高騰し、次には『買い溜め』が行われ、食料騒動・紛争へと発展します。さらには、必然的に栄養失調によって伝染病が広がり、農業用機械、燃料、種子、肥料、殺虫剤などの国際貿易の供給システムは崩壊していくでしょう。・・・人類が未だかつて経験したことがないような大規模な飢饉は、核爆発とは無関係の地域で生活する貧しく栄養不足の人々に、さらなる苦しみを与えることになるのです。・・・」(「日本が世界を救う」)

 ラフ博士が述べているのは、1983年に宇宙物理学者カール・セーガン氏が発表した「核の冬」(地球上のどこかで核兵器が使用されれば、地球レベルの壊滅的な天候異変を引き起こす)のことです。核の問題に抗う、国境を越えた医師たちの存在を初めて知りました。希望の見えない世界にあっても、まだ望みはあります。