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2014年度JOCS事務局長通信④/No.100

2014.09.08

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今月のコメント

● “切手1枚が支えるいのち”~JOCS切手運動50周年

  JOCSの切手運動が日本で始まって半世紀。そのルーツはドイツ、以下は約160年前の物語です。

  「140年前、ドイツのビールフェルトという町にフリードリヒ・デュッセルマンという神父がいました。この町には癲癇の子どもが多く、彼は子ども達が街角で発作を起こして倒れたまま放置されているのを見かねては教会に収容し、町の人々の協力を得て食べ物を与え、看護しました。それがベーテル(神の家)の始まりです。しかし、やがて蓄えも無くなってしまい、手元に残ったのは僅かな古い切手だけでした。

 イギリスの女王に『私の財産は200枚足らずの使い古しの切手だけです。けれどもこの町では毎日5人もの子ども達が癲癇の発作で倒れているのに、その患者を運ぶ車もないのです。車だけでもイギリスの古くなったものを頂けないでしょうか』と手紙を書きました。すると女王は、新品の馬車を10台送ってくれました。それが、切手が物に変わった最初の記録だと言われています。」(「みんなで生きる」1994年7月号)

 日本の切手運動は、JOCS元理事の住吉勝也医師の発案で、ネパール派遣の岩村昇ワーカーの医療活動を支えるべく1964年に始まりました。「切手200枚でネパールにBCGを送ろう」は、全国キャンペーンとなり、これまで集まった切手は約100億枚超、切手協力者は約170万人に及びます。“弱く小さくされた、病気や障がいのある子どもたちを救う”という切手運動の原点に、“みんなで生きる”の精神を見ます。

 

● “ネパールの赤ひげ”岩村昇~「サンガイ・ジウネ・コラギ」~“宇宙船地球号”

 “重病のお婆さんを背負って3日間歩いて山の上のタンセン病院まで届けてくれたネパールの青年が、「サンガイ・ジウネ・コラギ(みんなで生きるために)」と言葉を残して、岩村ワーカーのお礼を受け取らずに去って行った”。これは、岩村医師の伝説的な逸話です。それを機に、JOCS会報名は「医療の光」から「みんなで生きる」となりました。下記は「ネパールにBCGを」に纏わる、岩村医師の日本での体験談です。

 「つい一昨日も、山陰本線に乗っていたら、ドヤドヤと踏み込んできた担ぎ屋のオバさんたちの中に、かねて顔見知りのオバアさんがいた。彼女は戦争で二人の息子に死なれ、今は全くの一人暮らしであったが、私を見つけたオバアさんは、有無を言わせず私の腕をとらえて、仲間のオバアさんたちに紹介し、一席ぶったものだ。『ネパールにBCGを!!』。たちまち、オバさん連中は財布の紐を解きはじめた。ふところの温みの残っているような百円札が、中には千円札も、私の両手いっぱいに押しつけられて来た。 私は、たまげた。『ちょっと待ってごしないや、オバはん、これ、今日のもうけちゃろうが、大事にしもうとくだが』。『先生は、いらん心配せんでええけえ、これでネパールへBCG送ってごしなはい』。『ほんなら、あんたら、BCGいうて、なんか、知っとるんかいな』。『ああ知っとる、知っとる、結核に利く薬じゃろが』。『利く薬じゃあらせん。予防する注射じゃ』。『そげんこたあ、どうでもええ、ネパールのマヤちゃん(※)みたいな子供が、それで助かるんじゃろ』。私は、泣けてしまった。そしてネパールの山の中で何度も聞いた、『サンガイ・ジウネ・コラギ(みんなで-いっしょに-生きるために)』を思い出した。ネパールの底辺を支える人たちの口から、こぼれ出たこの言葉は、日本のこのオバさんたちの口から出ても、不自然ではないばかりか、どんぴしゃりのセリフであった」(岩村昇・史子著、「山の上にある病院-ネパールに使いして」)

 ※ マヤ・デビーさん⇒1歳半で栄養失調や小児結核を患い、母を重症の結核で、父を事故で喪ったネパールの孤児で、岩村夫妻が養父母として育てました。

  「日本は、ネパールのみならずアジアの『草の根』の人たちから、いかに生きるべきかを学び、アジアの一員として、『宇宙船地球号』の乗組員として手を携えて生きていかねばならない」(田村光三「岩村昇~ネパールの人々と共に歩んだ医師」)。現代に通じる、「ネパールの赤ひげ」岩村昇ワーカーの言葉です。

 

● 世界同時多発の感染拡大と気候変動~“見えない脅威”

 「感染症の脅威が世界を覆っている。西アフリカではエボラ出血熱が猛威をふるい、死者の増加が止まらない。サウジアラビアでは致死性の高い中東呼吸器症候群(MERS)が広がる。9月末から大規模化するイスラム教徒の巡礼が、感染拡大の引き金になりかねない。同時多発の様相を呈する『見えない敵』。日本でも約70年ぶりにデング熱感染が確認されており、決してひとごとではない」(朝日新聞2014.9.1)

 「人類の全歴史を通じ、蚊は偉大な指導者を倒し、軍隊を滅ぼし、国の運命を左右してきた-。米国の感染症研究者、アンドリュー・スピールマン氏らが著書『蚊 ウィルスの運び屋』でこう警告している。あの小さな虫はバイオテロ並みの脅威をもたらすというのだ」(日経新聞2014.9.3)。現状が示すように、感染拡大の脅威は、途上国のことだけではありません。世界同時多発の感染拡大には、地球温暖化や気候変動が影響をしています。「温暖化の暴走」(Newsweek 2014.7.22)は、警告しています。

 「『気温2度上昇』の世界が近づくにつれ海面の上昇も加速するだろう。・・・最大のリスクに直面しているのはバングラデシュかもしれない。地形のせいだ。・・・バングラデシュには世界有数の大河が流れているが、温暖化が進めば洪水時の水位も上昇するだろう。・・・アニスール・ラーマン村長は銀色に輝く川面を一緒に眺めながら、水かさを増したプラマプトラ川が『私たちの家はもちろん、その下の土地まで押し流している』と語った。『この村にはかつて239世帯が暮らしていた。それが今では38世帯だ』。 別れ際、ラーマンは1歳半の娘をしっかりと胸に抱きしめてこう言った。『この子が学校に行くようになる頃には、村はもうここにはないだろう』」(Newsweek 2014.7.22)

 西アフリカの“エボラ出血熱”や代々木公園等の“デング熱”の感染拡大の脅威が、気候変動というもう一つの脅威を接点としてJOCSの活動国“バングラの小さな村の消失”に繋がっている。グローバル社会の現実が、私たちの生き方を問うています。“見えない脅威”は、すぐそこ、身近にある危機でもあります。