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12年度総主事通信 ⑦<No.67>

2012.11.22

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今月のコメント

●“彼の名は 「今日」”-His Name is “Today”

  私たちは 多くの過ちや間違いを犯している
  しかし 最大の罪は子どもたちを見捨てていることだ
  この生命の泉を 無視していることだ
  多くの必要なことは 待つことが出来る
  しかし この子にはそれが出来ない
  今 彼の骨が造られ 血が造られ 感覚が育っているのだ
  この子に対して 私たちは“明日ね”ということはできない
  彼は “今日”なのだ   
                              ガブリエラ・ミストラル(チリ)

 ラテンアメリカ初のノーベル文学賞受賞者で、女性詩人・教育者のミストラルの詩です。子どもたちは、この一瞬一瞬にも成長し、「今日を生きる存在」です。生命の泉である彼らの明日を奪っているのは誰か?
 子どもたちは戦場と化した街でその尊い命を無惨に奪われ、あるいは兵士として殺戮に駆り出されています。子どもたちは、貧困を生きながら、搾取され、多くの愚かな行為によって虐げられています。

 今、最も心痛めている、身近なことの一つは、福島の子どもたちが放射能汚染の危機に晒されていることです。福島県の県民健康管理調査により、福島市を含む県北地域の18歳未満の子どもたちの43.1%(42,060人中18,199人)が、「20㎜以下の嚢胞・あるいは5㎜以下の結節のあるA-2判定」となり、1人に甲状腺がんの発症が確認されました。子どもたちは、この一瞬一瞬にも血肉が育っています。しかし、、、。小さく弱くされた子どもたちを、更に苦しめている当事者は誰か?私たち大人一人ひとりです。
 JOCSは、NPO法人「福島県の児童養護施設の子どもの健康を考える会」(代表 澤田和美氏)の活動を支える形で、この問題と向き合っていきます。

●“最後の砦”-支援者のケアについて

 11月、「被災地で活動するNGOスタッフのためのメンタルヘルスケア ワークショップ」@仙台があり、協力者の一人として参加しました。岩手・宮城・福島からの参加者の約半数は、被災当事者であり支援を続けている方々でした。心身の不調のある方、使命感ゆえの無力感や葛藤を持つ方、中には「2度、自死を考えた」という方などの切実な想いも分かち合いました。それはかつて、私自身も経験したことでした。
 参加者の感想⇒支援者のケアなどは、考えたこともなかった/震災以降、じっくり振り返る暇すらなかった/皆同じような悩みや課題を抱えていることが分かった/メンタルヘルスの深さ・大切さがよくわかった、など。支援者の惨事ストレスや燃え尽きの症状は、本人も自覚なく見過ごされ、静かに進みます。

 昨年末の調査では、「看護師を対象としたストレス調査で、1/3が心的外傷後ストレス障害(PTSD)が懸念される状態にあることがわかった。うつなどにつながりかねない『精神的不健康』度の高い人も約2/3に及んだ」(朝日2011.12.29)。あれから約1年、状況は深刻化しています。これは保健医療職に限らず、警察・消防、行政職員や支援団体スタッフやボランティアにも言えること。また、災害のみならず日常的に対人援助に関わる人(福祉や介護・子育てを含め)にも通じることですが、顧みられないのが現状です。
 先日、被災地の生活支援相談員の方が語っていました。「挨拶しても『うるさい』と怒られ、人間関係を作ろうとしても拒否される。『私の仕事は一体何?』と自問自答の毎日」。孤立と板挟みが、そこにあります。
 
 「トラウマについての話を聞く者は、無力感と自責感を感じます。話を聞くことによって聞く側も傷つきます」(小西聖子著「犯罪被害者と心の傷」白水社)/「心的外傷体験の核心は、孤立と無援である。回復体験の核心は、エンパワメントと再結合である」(ジュディス・ハーマン著「心的外傷と回復」みすず書房)
 「ともにいることは、援助の最初の一歩であり、最後の砦である」(小西聖子著「同上」)。私たちは、限界を知りつつも、被災され、死別・喪失を体験された方々の悲嘆に寄り添いたいと願っています。同時に、支援者のケアの大切さを切に訴えたいと思います。支援者は、被災者と共に歩む「最後の砦」だからです。

●「隣の難民」を巡る想い

 今年の夏、仙台から1年間米国滞在することとなった友人(宣教師)から、先日お便りを頂きました。

 「私は今、ペンシルベニア州ランカスターという町にいます。私たちが通っている教会は、平日にブータンの難民に英語をはじめ、生活支援をしています。ここに来て知ったのですが、ブータンは2006年にネパール系ブータン人の市民権を没収し、国から追放したようです。国民の1/6がネパール系だったようです。それで100,000人を超える難民がネパールの難民キャンプに溢れたようです。
 国連は難民問題を最大のプロジェクトとして、第三国に移すように動いていて、ランカスターにも3か月前に沢山のネパール系ブータン人が移り住みました。彼らを見ているとまるでネパールにタイムスリップしたようです。私たちの子どもの学校にもネパール系ブータン人がいます。アムネスティーのサイトを見るとブータンの人権侵害が書いてあります。こんな所でアジアの人々の苦難と出会うとは思いませんでした。しかし教会は率先して彼らを支えようとしています。ここに神様の活きた働きを感じずにはいられません」

 ブータンは、国民総幸福量(GNH)で有名な「幸せの国」。しかしこの話に「もう一つの姿」が見えます。
 難民(Refugees)とは、「拒絶(Refuse)された人々」です。世界中には4,370万人もの人が難民となり(2010年末統計)、過去15年の中で最も多い人数です。しかし日本に住む「隣の難民」は、見えない存在です。日本が「難民鎖国」であることも、一部の問題に留まっています。
ちなみに世界の難民受け入れ国のトップ3は、「パキスタン(190万人)、イラン(110万人)、シリア(100万人)」。日本はかつて約11,000人のインドシナ難民を、そして今「第三国定住」(2010年から開始)によるビルマ難民(目標:90人)の受け入れが始まっています。日本には毎年1,000人以上の難民が世界各地(ビルマ、トルコ、スリランカ、エチオピアなど)から逃れてきますが、その多くは知られていません。

 私たちは、「隣の難民」、即ち複合災害によって被災難民となった人々、この冬に孤独のうちに凍死をする恐れのある路上生活者、そして過去最大の213万人となった日本の生活保護者/困窮する「生活難民」の、「隣人」でもあります。私たちの祈りが、そうした方々を包む温かさ、降り注ぐ光となりますように。