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JOCS50周年記念感謝礼拝におけるブラザーフランクのお話

ブラザー・フランクのお話 JOCS50周年感謝記念

主よ、渇くことがないように、その水をください。(ヨハネ 4.14)

直美さんと章子さんは、JOCSワーカーとして、バングラデシュのマイメンシンに派遣されました。
それは、貧しい人々、中でも障碍をもった貧しい人々の中で働くためです。
この二人が、スラムに暮らす障碍者たちを訪問するとき、それは、彼らに何かを与えるためではありません。
それは、障碍者に、自分に与えられている賜物(おくりもの)に気づくようにと促すためなのです。

二人はこう語りかけます。
「今までみんなが、あなたは役に立たない存在だと言い続けてきましたね。
でも今、あなたは気づかねばなりません。
あなたの中にこそ、人類に与えられた賜物(おくりもの)が豊かにあり、あなたには多くの可能性があるということを。
それに気づいたとき、あなたは新しい人になるのです。
内側に宝を持ち、それを人と分かち合う新しい人です。
多くの人の目には見えないあなたの宝に気づいてください、そしてあなたが気づいたその宝に、『はい』と言ってください。」

本当に重要なことは、しばしば目には隠されています。
しかしわたしたちは、目に見えるもの、触れることのできるもの、個人の生活や社会の進歩に「役に立つ」と思われるものに、多くの時間とエネルギーを注いでいます。
そして、霊的な、スピリチュアルな側面に心をむける時間はとても少ないのです。
保健医療の分野においてさえも、霊的な側面に注がれる時間はけっして多くないのです。
わたしの存在の意味はいったい何なのか。わたしに命をもたらすものは、根本的に何なのか。

イエスさまは、のどの渇きを覚え、サマリアの女性に水を求められました。
そして、わたしたちも確かに水を必要としています。
しかし、イエスさまがその後で、彼女に向けた問いは、心の渇きをいやす水、人生を充満させる水、わたしたちを変容させる水についての問いかけだったのです。

今日、これは一人一人にとって、とても大きなチャレンジです。保健医療の分野でも、技術伝達の分野でも、人々は、実に多くのことに貢献できます。
そして、JOCSの多くのワーカーの方々が、アジア・アフリカの困窮する状況の中で今までなさってきたことを思い、今日わたしは神さまに心から感謝します。

JOCSのこの働きを通して、わたしたちはいったいどのようにして、単に水を与えてくださるだけでなく、ご自身が命の水そのものである方を指し示すことができるのでしょうか。
わたしたちは、単に癒すだけでなく、その癒しをもたらす方、身体と精神と魂の全体を回復させてくださる方をどのように指し示すことができるのでしょうか。
ここに今日の大きなチャレンジがあります。どのようにイエスさまと来るべき神の国を示すのかというチャレンジです。

イエスは、10人の重い皮膚病の患者を癒やされました。この10人すべての病が癒やされたと、聖書は述べています。
しかし、イエスさまのところに戻ってきたのは、たった一人でした。真実に癒され、新たな人間に変容されたのはこの一人だけだったのです。
心が変容されるとき、わたしたちの日々の生き方は、福音のすばらしさを人々に伝えます。
直美さんと章子さん、そしてまだ存じ上げていない多くのJOCSワーカーたちは、貧しい人々の友として生き、彼らのただ中で祈り、その日々の生活は神の国の美しさを示しているのです。

技術、それも優れた技術は確かに必要です。しかし、わたしたちにとって、それ自体が目的なのではありません。
能力や日々の献身、それらは確かに神の栄光を現すものかもしれません。しかし、今わたしたちは、自分の生き方を通して、本当に大切なことは伝えたいのです。
本当に大切なこととは何か、それは神の国の現実です。すなわち、愛すること、あわれみ深いこと、赦すこと、そして喜びと平和です。
友情と心の深いつながりです。人々がお互いの人生を美しくさせることを学ぶ生き方です。

バングラデシュの南部で、長い間、農業の分野で働かれたキリスト教NGOの方がこう話しておられました。
「みんな、以前よりたくさんの収入を得るようになった。住む家も立派になった。こどもたちも学校に行くようになった。
でも村人の間には、以前と同じように嫉妬、貪欲さ、喧嘩、わがままが絶えない。わたしたちはいったいここで何をしてきたのだろう。」

わたしが属する修道会テゼを創立したブラザー・ロジェは以前このように記しています。
「新しい科学技術が、これほどの速度で進化を遂げる中、いのちの根本的な価値にいつも気づいていることが大切です。
根本的な価値とは、人の悲しみや弱さに寄りそうあわれみの心、単純素朴な心、シンプルな生活、神さまへの謙遜な信頼、澄みきった喜び。」
そしてブラザー・ロジェはこう続けて記しています。「愛することを選択しなさい」と。

キリストはわたしたちを変容させます。聖霊を通して、キリストはわたしたちの内で祈っておられます。
ご自分と同じようにわたしたちが愛する者になるようにと、わたしたちの心がご自分と同じ心になるようにと。
わたしたちは祈りによって日々新たにされ、その生活のあり様は変容されてゆくのです。
そして、キリストの内に、友情のコミュニティー・共同体が生まれます。
そこではイスラム教徒、キリスト教徒、ヒンズー教徒、仏教徒が互いに尊敬しあい、貧しい者とそれほど貧しくない者が結び合わされ、ハンディを持つものと持たない者が共に住み、東と西の者が出会います。
貧しい人々のただ中に歓迎され、友情と深い交わりと喜びの輪に迎え入れられるとき、いのちの水であるキリストがわたしたちの存在を新たにしてくださいます。
そのときわたしたちを通してキリストが現れるのです。

直美さん、章子さんは、そして最近わたしたちの近くにJOCSから派遣されてきた乾真理子医師は、非常に貧しい人々の間で一生懸命働き、彼らと一緒に生活しています。
彼女たちはその能力を分かち合い、それによってたくさんの小さな奇跡が起きています。
彼女たちから輝き出る喜びの秘密はなんでしょうか。知的な障碍をもった貧しい少年少女たちが体験する癒しの秘密とはなんでしょうか。
身体的な障碍をもった人たちや医療的ケアが受けられない村の貧しい人々の間で生きる彼女たちの秘密は何でしょうか。
彼女たちは祈るのです。いのちの源である復活されたキリストにすべてをゆだねる信頼の祈りです。

イエスは、貧しい人としてわたしたちに近づかれます。弱く、傷つきやすく、隠れた者として近づかれます。先ほど読まれた聖書の物語に描かれたように、すべてを与えることができる方、ご自身いのちの水である方が、弱い者となって近づかれ、わたしたちに助けを求められるのです。そしてわたしたちが弱い人に手を差し伸べるとき、彼らを癒し、支えるとき、飢えた者に糧を与えるとき、キリストは、ご自身を現します。

主よ、愛するのはわたしではありません。わたしの中におられるあなたです。主よ、癒すのはわたしではありません。あなたがわたしを通して癒すのです。主よ、新しい力を注ぐのはわたしではありません。わたしの中のあなたです。

貧しい人々が、わたしたちの進むべき道を示してくれます。JOCSは、ひたすら与えることによって、限りなく与えられるのです。
JOCSは、貧しい人、障碍者、病人の傍らにとどまり続けることによって、新しい力を得、新たな出発を日々生きるのです。
のどの渇きを覚え、貧しい女性に水を求めた貧しいイエスさまが、今いのちの水をわたしたちに注ぎ、人に仕える力と人を愛する力を溢れんばかりにわたしたちに注いでくださいます。
豊かな方が、その豊かさを与えるために貧しくなられました。そして今、わたしたちも貧しくなるようにと招かれています。
自分の働きではなく、復活された主が明らかになるためです。これがJOCSです。
つまり弱く、限界をもった人々が、貧しい人々に導かれながら、復活された主の溢れんばかりの愛を明らかにしようとする働きです。
そして日々わたしたしたちは新しい歌を歌ってゆくのです。わたしは今日、JOCSのすべての人々のゆえに、心のかぎり、主に感謝したいのです。ハレルヤ!

わたしと一緒に二人の方が日本にやってきました。(木彫りの人形を二つ取り出しながら)
まずこの方は、わたしたちの住むマイメンシンにもたくさんおられるガロ族を代表してここにやってきました。
JOCSの50周年を祝い、みなさんに感謝を伝え、ともに歌い踊るためです。もう一人のこの方は、イスラム教徒を代表してやってまいりました。
JOCSの働きに心から感謝し、みなさんにアッラーの祝福を伝えるためです。
わたしはバングラデシュに戻りますが、このお二人は日本に残ります。それではこのお二人を小島会長にお渡しします。