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HOME>ニュース>総主事通信⑨コメント
2007.01.26
第1に、2006年を振り返って。 2006年4月からのJOCS総主事就任は、私にとって「コペルニクス的転回」でした。新しい世界―団体の歴史も活動も組織形態も異なる世界での仕事は、「日々発見」の毎日でした。まずは「現場を知ること」から、ということで5月のバングラデシュ訪問を皮切りに、6月にカンボジア、8月にネパール、9月にインドネシア、12月に再度カンボジアへ、というスケジュールでした(詳細はそれぞれの訪問レポートに書き記しております)。それぞれの現場からのリアリティは私のそれまでの価値観を大きく変え、アジアの現実の厳しさに圧倒された経験でした(もちろんそれはある断片を垣間見たに過ぎませんが)。わずかではありましたが、YMCA時代に国際協力での活動に携わったことはありましたが、(当たり前のこととして)まだまだ知らぬことが多々あること、痛感させられました。「私たちに何ができるか」ということ、そしてキリスト教を基盤とするNGOとして、その保健医療協力の有り様について自問自答の日々であったといわざるを得ません。
第2に、JOCSの存在理由とその使命を見つめ直す、ということ。 言うまでもなく、人は一人では生きられません。見えないところでつながりながら生き生かされています(事実、人は家族を構成し、地域に属し、社会を形成し、世界に連なっています)。JOCSももちろん、様々なつながりの中で生きている存在です。その存在理由と使命について、歴史的な視点(縦軸)・世界的な視点(横軸)に立ち、更に激変する社会と時代のうねりを捉えた第三の視点(これまでとは異なる立ち位置)から、「今、そしてこれから」を位置づけてみる(ポジショニングを行う)ことが求められているのではないでしょうか。 しかし基本は現場からの声に他なりません。「一人の人間が置かれている状況に世界の縮図が投影され、同時に世界の現実から一人の人間のあり方に結びつく何かがそこにある」というリアリティ。改めて「Think Globally. Act Locally.(世界を見つめながら地域に生きる)」という見地から、多元的に私たちの組織と事業を捉えてみたいと思います。そしてそれは「今後5年間の方針」に沿った、ビジョンとミッションを紡ぎ出す作業にも通じることでしょう。
第3に、在カンボジア日本大使館の遠藤領事の印象的な言葉。 「私は小さい頃に、岩村昇医師の活動を知り、国際協力を目指したのです。JOCSのために一生懸命使用済み切手を集めました」 これは一例に過ぎませんが、一つの出会いが一人の人生を変える、決定付けることを表しています。私たちの知らぬどこかで「種が蒔かれ」、JOCSの働きが生きていたのでした。しかし、それは結果として、です。あくまで私たちは「草の根の人々と共に生きる」そのことにこだわりたいと思います。そこにJOCSの命があります。今この瞬間にも苦しみあえぐ人々の命に思いをはせながら、そのことに関わる重要性と難しさを心深く刻みながら使命を果たしていきたいと思います。
第4に、スピリチュアルケア、ということ。 今や、「スピリチュアル」は、流行となりました。「心のケア」も同様に大衆化しました。世が「癒し」を渇望しているようです。言葉が流行れば流行るほど、それが一人歩きし、大事なことが「空洞化」していっているような気がするのは私だけでしょうか。JCMAのシンポジウムで印象に残った言葉をご紹介したいと思います。
● Spiritとは「命の息」(創世記第2章7節)、Spiritualityとは「生きていく力」(柏木哲夫氏) ● ポール・ティリッヒによる「スピリチュアルな痛み」の定義 1) 自分の存在が否定されてしまうことに対する痛み(存在的自己の否定) 2) 無意味と虚無に対する痛み(精神的自己の否定) 3) 罪責に対する痛み(倫理的自己の否定) ● 「―特に人生の終末に近づいた人にとっては、自らを許すこと、他の人々との和解、価値の確認などと関連していることが多い―」(WHOのスピリチュアルの定義:1989からの抜粋)
スピリチュアルな痛みへの「対応は、『痛みに傾聴し、共感的に受容すること』に尽きる」という学びに、聖書「喜ぶものと共に喜び、泣くものと共に泣きなさい」のメッセージが重なりました。「共に生きる」の姿がそこにあります。
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