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総主事通信07年度④今月のコメント

2007.08.01

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●タンザニアを訪れて(「初めてのタンザニア」by 大江―からの抜粋)
 私にとって、生まれて始めてのアフリカ体験でした。「地球を歩いた」気分です。大江メモの抜粋をご紹介。
 
 「周辺8カ国に囲まれ(それらの周辺諸国では常に紛争が尽きず)、アフリカでも最貧国の一つでありながら、難民庇護国となってきたタンザニア。国民性の特徴は『受け入れる穏やかさ』なのだ、という。
 ・・・タンザニアにおける保健医療施設の45%は教会の運営で、他の55%は政府によるもの。保健医療面だけではなく、教育や地域福祉・開発におけるキリスト教会の働きは目覚しいものがあるという。いわば宗教がコミュニティの中心にあり、命と教育、そしてつながりの要となっていることがキリスト教会の勢いなのだろう。
 ・・・貧しいタンザニアの、片田舎タボラから見える一部の先進国の繁栄は、あの『バベルの塔』のように映る。私たちはこのままでよいのか?地球の在り様は、私たちの日々の暮らしにつながっているのだ。
 ・・・タンザニアの初代大統領であり、国家の父であり、カリスマ指導者であったニエレレ前大統領が、独立の一年前の1960年に語った言葉である。
 『私たちタンガニーカの人々は、キリマンジャロ山の頂に灯りを点そう。それは国境を越え、絶望のあるところに希望を、憎しみの代わりに愛を、侮蔑しかないところに尊厳を届けよう。・・(中略)・・私たちは他の国々のように月にロケットを送ることはできない。しかし、私たちはどこであれ、同胞である人間がいるところに愛と希望のロケットを送ることができる。』(『タンザニアを知るための60章』栗田和明・根本利通編著:明石書店)」

 タンザニアの乾いた大地にしっかり根を生やしたバオバブの木。あの「星の王子様」(サンテグジュベリ)の故郷の小惑星にあったのは、バラとミニ火山とバオバブでした。地球の「原風景」がそこにあったのです。

●「生かされて」(イマキュレー・イリバギザ著:PHP)
 原題は、Left to tell-Discovering God amidst the Rwanda Holocaust(語るために生き残ってールワンダ大虐殺の中から「神様」を見出して)です。タンザニアの隣の国のルワンダ。臨場感あふれるホロコーストの描写。その惨劇の只中にあって、神様に祈り神様と対話した著者の凄絶な信仰の書とも言える本です。彼女は1994年の大虐殺の時に、最愛の両親と兄、弟を失いました。ルワンダ大虐殺に関しては本や映画などでも紹介されていますが、事実は私たちの想像を遥かに超えたものでしょう。私たちはここまでの信仰に立てるか、自身の信仰の薄さを恥じ入ります。これはフィクションではなく説得力に満ちた「実話」として、そしてアフリカの現実として、私たちが今どのような世界に生きているのか、強いメッセージを持っています。彼女は今、虐殺や戦争の後遺症に苦しむ人たちを癒すことを目的とした「イリバギザ基金」を創設しようとしています。

●ラルシュ・かなの家と、そこで出会った本「3歳でぼくは路上に捨てられた」
 ほんのわずかな期間でしたが、静岡のラルシュ・かなの家を訪れました。ラルシュのコミュニティのことは折に触れ紹介されていますので、ご存知の方もおられると思いますが、ジャン・バニエという神父が始めた知的なハンディのある「仲間たち」とアシスタントとの祈りと作業を共にするコミュニティです。とても温かく迎えてくださり、楽しくかつ豊かな時を過ごすことができました。
そこで「3歳でぼくは路上に捨てられた」(ティム・ディナール著:Soft Bank Creative)という本を見つけ、むさぼるように読みました。本の帯には、以下のように書かれています。

 「母親の手によって電柱に縛り付けられ捨てられた3歳。父親に殴られ全身骨折、意識を失った5歳の誕生日。障害を負ったまま2年半の闘病生活を終えた7歳。病院に閉じ込められ、つらい思い出と闘った8歳。引き取られた家でも虐待され2度目の自殺を図った9歳。でも“愛”を知ったことで、ぼくの人生は変わった」

 ルワンダのそれとは異なるもう一つの地獄―「最も愛する人から虐待され、生きる価値を奪われた孤独」を生き抜いて、“ぼく”は、ラルシュのコミュニティで“愛”を見つけたことで、生きる意味と力を取り戻しました。
 “愛”とは、“つながり”だったのかもしれません。神様とのつながり、大切な人とのつながり、自分は一人ぼっちではなく誰かと共に生きている、丸ごと自分を受け止めてくれる誰かがいる、生きていて良い存在なのだと。
 私たちは、生きるためのHow toよりもWhyを見出すために神様と向き合い・祈り・共に生きるのだ、ということを深く考えさせられたラルシュ・かなの家での体験と本との出会いでした。