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総主事出張レポート7月

2007.07.23

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初めてのタンザニア


初めてのアフリカ・タンザニア。
ダルエスサラーム空港に着陸後、乗客の拍手が起こった。着陸時に拍手、というのは初めてだ。確かに「もう着いたの?」と思えるぐらい振動のない、滑らかな着陸だった。その拍手はパイロットへの感謝なのか、あるいは無事到着したことの神様への感謝なのか。

ちょっと巻き戻して、ドバイ空港。豊かなアラブの国へのアジアのイスラム諸国からの出稼ぎのための人々の群れがあちこちに。出発時間が過ぎてもなかなか出発の気配無く、突然ゲート変更のアナウンス(しかも巨大なドバイ空港の端から端まで移動)。その後何の説明もなく3時間待ち。これが日常だろうか。

再びダルエスサラーム空港。
ついに降り立ったアフリカの地。ダルエスサラーム空港は、アジアの空港に見られる圧倒的な人々の数、ある熱狂とはかけ離れた静かで穏やかな空気が漂っていた。褐色の人々が、空港から市外への道路にもまばらでゆっくりと歩いている風景。これがタンザニアなのか。

東アフリカ共同体のメンバーであるタンザニア連合共和国。
ドイツ・イギリスの植民地から独立し、現在に至る。国土は日本の2.5倍。人口は約3500万人。宗教はイスラムが約3割、キリスト教も約3割、その他約4割が伝統宗教である。周辺8カ国に囲まれ(それらの周辺諸国では常に紛争が尽きず)、アフリカでも最貧国の一つでありながら、難民庇護国となってきたタンザニア。国民性の特徴は「受け入れる穏やかさ」なのだ、という。

7月6日シニャンガ空港に到着。滑走路は舗装されていない土のものだった。それにしてもほとんど着陸の衝撃のないランディング。見事なものだった。飛行機の窓に広がるのは見渡す限り地平線の彼方まで続く乾いた大地。これがアフリカか。
続いてタボラ大司教区のスタッフと車で移動しながら各地を訪れた。600キロを越える道中はほとんど舗装されていないでこぼこ道、さながらサファリ体験だった。果てしないサファリロードのあちこちで見たバオバブの木の風景。大地にしっかり根を張って生きている。かの「星の王子様」(サン・テグジュベリ著)のふるさとに小惑星にあったのは、バラとミニ火山とバオバブだった。私たちの「生」の原風景がそこにある。

タボラでは日曜日のミサに出席。その躍動感溢れソウルフルかつカラフルな礼拝に感銘を受けた。プロテスタントは「話す教会」、カトリックは「見る教会」であると以前牧師から伺ったことを思い出した。カトリックは見る教会でもあり、「体感する教会」でもあるのだろう。一週間の生活は教会に始まり教会に終わる。生活の中心に神様が息づいていて、常に神様と対話しつつ生きる生活。ミサでは聖霊に満たされ、日ごろの過酷な生活から神様と向き合い、教会共同体の中で人々とつながる。神様から離れつつある日本の宗教事情。それぞれ豊かさ・貧しさについて深く考えさせられた。タンザニアのキリスト教会の教勢はさらに伸びつつあるという。そういえば、日本のクリスチャン人口0.8%(その減少傾向止まらず)に比して、隣の韓国はクリスチャンが30%それも更に増加傾向にある、という状況にも思いをはせた。

タンザニアにおける保健医療施設の45%は教会の運営で、他の55%は政府によるもの、とのこと。保健医療面だけではなく、教育や地域福祉・開発におけるキリスト教会の働きは目覚しいものがあるという。いわば宗教がコミュニティの中心にあり、命と教育、そしてつながりの要となっていることがキリスト教会の勢いなのだろう。

それに比して(もちろん単純比較はできないが)日本の教会はどれほど社会とつながり、人間の問題と向き合っているのだろうか?「貧・病・争」と隣りあわせで神様の救いを求めざるを得ないから信仰篤いのか、私たちはそれと「異なる世界」に生きているから神様から遠ざかって生きていられるのか。南北問題の一端がそこにある。

このアフリカでも最貧国の一つとされるタンザニアの、しかもタボラの街から見える一部の先進国の繁栄は、あの「バベルの塔」のように映る。私たちはこのままでよいのか?地球の在り様は、私たちの日々の暮らしにつながっているのだ。「共に生きる」とは?このタンザニアの村でも考えさせられた次第である。

タボラ大司教区のFr.マリングムはいくつものことを熱く語ったが、その一つにニエレレ元大統領の話があった。ニエレレの素晴らしいのは、一部の人間が土地を占有するのではなく、みな平等に持つような制度を進めた。そしてスワヒリ語の統一にも努めた。土地の所有(居場所)とコミュニケーション、それは人々が生き、国を治める上で欠かせない重要なことだという。隣のルワンダは70ほどの部族語があるが、常に争いが絶えない。タンザニアは140以上の部族語があるが、争いは起こらない。それの事実が証明している。人々はニエレレを今も敬愛してやまないのだ。

タンザニアの初代大統領であり、国家の父であり、カリスマ指導者であったニエレレ大統領が、独立の一年前の1960年に語った言葉である。

「私たちタンガニーカの人々は、キリマンジャロ山の頂に灯りを点そう。それは国境を越え、絶望のあるところに希望を、憎しみの代わりに愛を、侮蔑しかないところに尊厳を届けよう。・・(中略)・・私たちは他の国々のように月にロケットを送ることはできない。しかし、私たちはどこであれ、同胞である人間がいるところに愛と希望のロケットを送ることができる。」(「タンザニアを知るための60章」栗田和明・根本利通編著:明石書店)

ニエレレの大統領引退後のエピソードをもう一つ。ロンドンからダルエスサラームへの機上のこと、当時の駐タンザニア日本大使が読書に没頭する見覚えのある老人に、「あなたは大学の先生ですか、それとも「政治家ですか」と話しかけたら。そうするとその人は「いや、元政治家ですが、今は小農民です」と答えたという。(同上)謙虚で飾らないその人柄が今もなお人を惹きつけてやまないのだろう。優れた人は様々なところに存在する。

以上、このような機会を与えていただいたことを神様に感謝しつつ、それを許し可能にしてくださった理事会・事務局お一人おひとりにこの場を借りて深くお礼を申し上げたい。

大江 浩(日本キリスト教海外医療協力会)