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総主事通信09年度⑤

2009.09.02

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今月のコメント

●「地面の底がぬけたんです」~日経新聞シリーズ「『ハンセン病療養所』に住んでみる⑨」by 原田記者より

 「光明神社参道に碑。『地面の底がぬけたんです』と刻まれている。何だろう?『目が不自由な藤木としという文学者がいた。碑文は随筆集のタイトル。ハンセン病と知らされた時の絶望感でしょう』と邑久光明園盲人会の藤原作夫会長(81)。
 ハンセン病文学といえば・・・1914年生まれ、23歳で夭折した作家、北条民男が最も有名だろう。・・・その『いのちの初夜』で文学界賞を受賞した。『あなたのあらん限りの想像力を使って醜悪なもの、不快なもの、恐るべきものを思い描かれても、一歩この中へ足を入れられるや、忽ち、如何に自分の想像力が貧しいものであるか、ということを知られるであろう』と当時の療養所の実相を描いた・・・
 病気と戦い、無念の思いで逝った北条。病気を受け入れ、安寧の世界に遊んだ藤本。ふたりの人生の航跡は対照的である・・・」(日経・夕刊 2009.8.27)

 私が初めてハンセン病患者の方にお会いしたのは、ほんの4年前。バングラデシュのチャンドラゴーナキリスト教病院ハンセン病センターでした。知らぬことあまりに多い我に、今も恥じ入ります。
 藤本さん(87年に86歳で召天)の「地面の底がぬけたんです」は、後に一人芝居にもなって、光明園に演じられたとのこと。「ハンセン病を超越し、人として魂を生きた、本当の生命を生きた」人の存在に心打たれます。

●Dr. スマナ・バルアとDr. 色平哲郎-“人間として人間のお世話をすること”

 WHO医務官のDr.バルアのことは、以前「いのちはレントゲンには写らない」でご紹介したことがあります。Dr.バルアと佐久総合病院のDr. 色平が先日JOCSに来会されました。Dr.バルアの東大医学部大学院博士課程の指導教官であった若井医師(元JOCS総主事)ご夫妻との感激の再会のときとなりました。前日のDr.バルアの講演「人間として人間のお世話をすること~金持ちより心持ち」は、医療者の原点・人間としての医療者のあるべき姿について、がテーマでした。講演では、地域医療の先駆者としてネパールの赤ひげ・故.岩村昇ワーカーや元佐久総合病院長・故若月俊一医師が紹介され、JOCSの働きに通じる多くの示唆に富む内容でした。

「・・・最近、ある医学部を見学した人が驚いていた。『患者ロボット』を相手に問診の訓練をするのだという。なぜロボットなのかと聞くと、人との対話が得意でない学生もいますから、などと説明があったそうだ・・・」(朝日2009.8.28)この天声人語の一つのエピソードからも、一人の人間としての患者・一人の人間としての医療者、その魂の触れ合いに欠かせない心の通った対話の大切さについて深く考えさせられます。

 Dr.バルアは、アイデンティティについて触れ、「自分の中にある自分の声を聴くことの大切さ」を語り、「たくさんの困難や壁にぶつかって人間として育っていくことの大切さ」を訴えました。
 Dr. バルアの博士論文は「ミャンマーにおけるハンセン氏病への対処プログラム」。アジア地域のハンセン病対策に関わった畑野医師・石田医師両元ワーカーとのつながりなどJOCSとの関係の深さを嬉しく思います。

●「奇跡は奇跡的に訪れるものではない」(金大中・元韓国大統領)
 韓国の金大中元大統領の悲報が届きました。まさに「波瀾万丈」、筋金入りの民主主義に捧げられたその一生は、多くの人々の記憶に深く刻まれています。どんな逆境にもめげずに信念を貫く不屈の精神の人でした。

 「日本の統治時代に朝鮮半島南部の島で生まれた。以来、死刑判決などで5度にわたって殺されかけたという。6年を獄中で過ごし、40年もの間、軟禁と亡命を監視の中で生きてきた。その来し方は、平和と民主主義に守られて暮らす者の想像を超える・・・やはり政治犯から大統領に就いた南アフリカのマンデラ氏と並び称され、ノーベル平和賞にも輝いた・・・」(朝日 2009.8.19)

 「私はここ半世紀間の政治生活の間、5回も死の危機を免れた。6年間を獄中で送り、10年以上も自宅軟禁と亡命生活を強要された。暴力をほしいままにした軍事独裁と、命をかけて闘いながら人権と平和の尊厳さを悟った。奇跡は奇跡的に訪れるものではない(98年10月、来日国会演説にて)」(朝日 2009.8.19)

 「初志貫徹」の影には血の滲むような努力があったに違いありません。堅い信仰と導きをも見ます。揺れ動く不透明な時代の中で、私達は一体誰のため、何のために、誰と共に歩むのか?50周年の戸口の前に立って、強く問われているのだ、と実感し、かつ「奇跡は訪れる」と確信して日々励め、との声と受け止めた次第です。