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2011.06.09
東日本大震災 釜石出張報告(2011年6月2日~4日) JOCSは、3月下旬より岩手県・釜石の、①避難所3か所での巡回診療、②新生釜石教会の前の仮設テントでの「街角保健室」、③孤立集落での在宅被災者の方々のケアなどを行ってきた。 外部からの医療協力が徐々に収束し、地元主体の医療体制に移り始める状況下で、 JOCSはこれまでの活動に一区切りをつける時期に来たと判断した。 これらのことを受け、JOCSはこれからの継続的な活動(6月以降)に向けた協議を行うべく、6月初旬に、今後連携を取っていく予定のカリタス釜石(カトリック釜石教会)を訪れた。 ちなみにカリタス釜石は、カリタスジャパン(CJ )→CJ 仙台サポートセンターのバックアップを受け、地元社会福祉協議会とタイアップする形でボランティアセンターを担っている。 以下に、出張報告からの抜粋を紹介する形で現地の様子などをお伝えしたい。 1.カリタス釜石との協働 ・カリタス釜石は、地元釜石や吉里吉里地区のニーズに応える独自の活動、地元社協 からの要請を受けてのボランティア派遣を行っている。 カリタス釜石の活動→http://caritasjapan.jugem.jp/?eid=15 ・カリタス釜石では「心のケア」チーム(当初はJOCSの巡回診療チームと共に活動) が夜間巡回 活動を続けている。 カリタス釜石は、「心のケア」のための喫茶スペースも開設した。1日延べ約40~60 名の来訪があり、物資の提供や自然な形で傾聴も行っている。避難所では「話さな い・話せない」ことがあるから、である。 ・ニーズは、「メディカルからヘルスへ、ヘルスからケアへ」というように変化して きている。JOCSは、カリタス釜石の協力を得て、今後も「細く長く、出来る範囲」 で保健やケアを念頭に人材を派遣していく予定である。 2.いくつかのエピソード <山本貞子さん(看護師)の働き> ・避難所に常駐して看護に携わってくてくれた山本さんは、2006年から毎年ネパール で医療奉仕を続け(1年間のうち約180日)、このたびの大震災では3月下旬から釜石 で支援に従事してくださっている。 ・山本さんたちと白浜地区の在宅被災者を訪問し、山本さんを歓迎する地元の人たち の姿にその人柄や皆さんとのつながりの深さ、そして継続的な関わりの大切さを痛 感した。 白浜地区は沿岸部の入り組んだエリアの孤立集落である。 釜石市内から、車で40分以上かかる。大きな防波堤が壊れ、途中の海沿いの道が崩 れている箇所もあり、波が高いと行き来が難しい。 <避難所の様子> ・釜石市民体育館の避難所(主に白浜地区出身)は規模縮小し、避難者は約90名。 徐々に自宅へ戻られ、抽選が当たって仮設へ移られる方々も出始めている。ただ し、避難所の統廃合の影響で、今後他の避難所から移ってこられる模様で、避難所 は8月頃までは続く見通し。 ・ダンボールの仕切りの無い避難所、仕切りがあっても低い避難所、高い避難所など 様々で、それぞれの人間模様がある。避難生活が長引き、不眠症その他ストレス障 害も見られる。 ・中妻体育館(主に両石地区出身)に避難されている方々は全壊が多く、市民体育館 は全壊・半壊・一部損壊など被害の度合いがまちまちだという。 ・援助の格差―「在宅避難者には支援は届かず、仮設入居者は自立を求められ、避難 所は手厚く」が悩ましい。 ・仮設への入居が始まっているが、比較的便利なところに入れるか否かが明暗の分か れ目。現在建設中の仮設は立地が不便なところも多く、転居がスムーズに進むか否 かは不透明。 <カリタス釜石の避難所での巡回に参加して> ・「心のケア」チームの夜の巡回では、肩揉み・マッサージと傾聴のお手伝いをし た。同チームは最初JOCSの巡回診療にジョイントする形で始まり、現在は週3日 (月・水・木)回っている。避難者の方々が待っておられ、活動が根付いている様 子が伺えた。 ・揉んだ肩や背中がいずれも強張っており、その方の人生とご苦労を物語っていた。元新日鉄釜石の職員だった方(独居の高齢男性)からは1時間近くお話を伺った。「鉄の町 釜石」のスポーツ全盛期の自慢話(ラグビーチームの全日本七連覇、野球チームの全国準優勝、LAオリンピックの水泳選手金メダルなど)は、その方の光り輝いた時代の誇りだった。私には、「阪神大震災、そして全日本連覇を続けた神戸製鋼ラグビーチーム」という共通点があった。 3.最後に 今回の訪問の際にも、余震があった。海に近いエリアでの支援活動は、防波堤がないため津波には十分警戒が必要である。被災者の方々の不安とストレスが増すばかりで、心が痛む。 余談だが、カリタス釜石の近くにある銭湯に入る機会があった。その日は「無料サービスの日」だった。地元の方々と共に銭湯に浸かった。温かさが身に染みた。 山本さんは「釜石病」(釜石へまたいつかきっと)なのだという。宇根さんも同じだと。その気持ちがとてもよくわかる。かくいう私もカリタス釜石を離れる時、皆さんに見送られ、涙が止まらなかった。 かつてYMCAの駐在キャンプ長時代、キャンプサイトを離れる時の想いを思い起こした。 各所で頂いたJOCSの支援活動への感謝の言葉に恐縮し、「JOCSの存在のそのものが有難い」との言葉に大変励まされた。JOCSネパール短期ワーカー楢戸健次郎さん(現在、ネパール)や山本さんはじめ、これまで協力してくださったすべての方々のご奉仕のお陰様である。 帰り際に、釜石駅近くの市場に寄った。店のオープンはまだ部分的だ。地元の人たち同士が会話をしていた。「ツナミ」だけは聞き取れたが、それ以外は分からなかった。 「津波が襲った時に間一髪逃げた。あなたは?」という内容だと推察する(言葉の理解が足らず、もどかしい)。阪神大震災を経験したものも、複数集まれば、やはりあの16年前の震災の話になる。時計は止まったままだ。 大震災発生から3か月足らず立つ今、未だ行方不明者が8,191人(6/8現在。ただし、推測では+数千人とのこと)。被災地で見たTVニュース映像の「政争に明け暮れる政治家たち」に心から怒りがわく。彼らに不信任を突きつけたい。 まだ光の見えない日々が続く。懸命に被災者を支える人たちの奮闘が続く。 JOCS総主事 大江 浩
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