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11年度総主事通信 ③

2011.07.20

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今月のコメント

●「なでしこジャパン」~Blue Miracle(青色の奇跡)

 被災地を復興に導くどころかその言動によって被災者の心を踏みにじったあの大臣は、就任後9日でレッドカードを突きつけられました。初パフォーマンスは岩手県庁前でのサッカーボールのキックでした。
 絶望的なニュースの連続に辟易していた毎日、救われたのはなでしこジャパンの歴史的勝利でした。強豪のドイツ・スウェーデンを連破し、これまで21敗3分けの戦績だった世界ランク第1位の米国相手に劇的勝利というフィナーレ。普段は、非正規社員やアルバイトで生計を立てている選手たちもいます。欧米列強に体格とパワーで劣りながら、彼らは耐え粘りそして奇跡を起こしました。余りにもドラマチックな結末、しかし「この優勝はイングランド戦の敗北があったからこそ」との沢主将の言葉が印象深いです。

 「・・・(ドイツ戦)決勝点を挙げたFW丸山桂里奈には、東日本大震災への強い思いがあった。・・・(佐々木則夫監督は)選手たちに声をかけた。『私たちのプレーが被災者の方のプレーにつながる。苦しい時は被災者の方のことを思って頑張れ』。福島第一原発の事故処理に追われる東京電力は、丸山が1年半前まで所属したチームだった。多くの知り合いが、必死の作業に当たっているのに胸を痛めた・・・」(朝日 2011.7.11)

 選手たちはドイツ戦の前日、被災地のビデオ映像を観て臨んだそうです。それぞれの人生を背負ったW杯での彼らの活躍は、被災地への大きな大きなエールとなりました。
試合の前後に“Thank you for your support”と世界の人々へ支援感謝の横断幕で周回したなでしこジャパン。海外では日本の政治のニュースなどはほとんど報じられない昨今。小さななでしこたちが日本を、世界へ繋ぎました。一人ひとりの“Never Give Up”の精神に惜しみない拍手を送りたいと思います。

●「黒い海」の記憶(月刊「世界」2011年8月/山形孝夫氏(元宮城学院女子大学長・宗教人類学者)
 「・・・時代の記憶がよみがえる日付がある。・・・先には今世紀初頭の9.11がそうだった。今度は3.11が、それに代わる。・・・改めて思うのは、3.11のあの黒い海にさらわれた死者たちの無念である。その無念の思いを、生き残った者は、どのように受け止め、どのような仕方で死者の魂を優しいくに(※)へ送りとどけることができるのか。・・・」(岩波書店 月刊「世界」特集「人間の復興を!暮らしの復興を!」)
 ※山形孝夫氏の“優しいくに”とは、仏教でば極楽浄土、キリスト教でば天国を指すのだと思います。

 「・・・見たこともない生きた魔物のような黒い海だった。黒い海は校庭の車を一呑みにして、1階から2階へ侵入してきた。・・・ひとりの生徒が屋上のフェンスにしがみつき、涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら、『じいちゃーん』と叫んでいる。・・・残りの子たちも、泣いている。見えない母に、見えない父に、叫び続けている。立ちすくむ子、しゃがみこむ子、祈りの届く余地はなく、黒い海はひとりひとりの未来を確かめることもせず呑み込んでいった。この生と死を切り裂く一瞬の光景を、多田さん(※)も子供たちもただ茫然と眺めていた・・・」(同上/記憶その1)   ※多田さんは、仙台市立荒浜小学校6年生のクラス担任でした。

 同誌のルポ「震災を生きる子どもたち」では、チャイルドラインへ届いた子どもたちの「声」を太田久美さん(チャイルドライン支援センター事務局長)が紹介しています。子どもは大人に比べ、言葉も表現力も十分ではなく、内面の悲痛な叫びが見過ごされがちです。屈託のない笑顔、何気なく遊ぶ姿を見て大人は、「子どもは元気だ」と自分に言い聞かせます。いえ、違います。子どもたちの中に、黒い海の恐怖は深く刻まれており、寄り添う誰か必要です。私たちの聴く力が問われているのです。

●フクシマ、“ディアスポラ”、自分事

 「福島県の震災による死者・行方不明者は宮城県に比べ7分の1である。しかし、避難者は約10万人と宮城の4倍になっている。なぜなら、原発から30キロ圏内の避難者が88,000人に上るからだ。しかも5分の4が県外。その他不明者となっている。今、福島では転々と移住する住民と、一緒に町村役場も漂流する事態が起きている・・・」(ビッグイシュー日本 2011.7.15) 

 「見えない恐怖」に脅かされるフクシマの苦難は深刻です。“ディアスポラ(離散)”を余儀なくされて。

 NIMBY(ニンビー)という言葉があります。Not In My Backyardの略、「(必要な施設であっても)自分の裏庭だけはNo」の意味です。政治的・経済的理由(それとも利害関係?)から「必要」と言いつつ、本音ではNIMBYという人は少なくないように思えます。苦しみを人に押し付け、その足を踏んでいても知らんぷりを決め込む。痛みは他人事、という人の言葉に重みはありません。これはオキナワの基地問題にも通じます。自分を安全地帯に置きながら、受難を強いられる人々に「お願い」し、そして「よろしく」という態度。
 しかし、私たちは自問自答しなければなりません。これは私たちの「無関心」が生んでいることだと。チェルノブイリやイラクでの劣化ウラン弾のこと、あるいはミナマタなどの公害といった社会問題に至っても、です。「愛の反対は、無関心」だと、マザー・テレサは言いました。真実を追求し、自分事とし、見て見ぬふりをせず、少数者の側に立つ少数者になることも厭わぬ芯の太さを持ちたいと思います。