HOME>ニュース>11年度総主事通信 ⑨

ニュース

11年度総主事通信 ⑨

2012.01.20

シェア ツイート

今月のコメント

●“Click for HOPE”~1枚の写真が繋ぐ希望  http://clickforhope.manfrotto.jp/
 「・・・ここ(東京・丸の内の行幸通り)でいま『希望』をテーマに掲げた写真展が開かれている。素人写真家が被災地で写した作品も多い。大地にすくっと立つ2歳の女の子の姿がある。壊れた街を見て沈む親に『私がみんな直してあげる』と語ったそうだ(⇒①)。マヨネーズで笑顔を描いたお好み焼きの写真もある。食糧不足の(被災地の)病院で職員が患者のために作ったものだ(⇒②)・・・」(日経 2011.12.11) 

 ①写真題:「誓い」のコメント
「母親の3回忌で東北の実家に戻りました。変わり果てた故郷の海を見ていると、2歳の娘が一言『パパ 心配しなくていいよ。大きくなったら、文美がみんな直してあげる』。未来の世代だけでなく、今の現役世代も頑張らなくちゃいけないですね。」

 ②写真題:「なけなしの材料で作った笑顔」のコメント
「海沿いの病院で被災し、病院自体が食糧難になりました。小麦粉と少しの野菜しかなくなった時に作ったお好み焼きです。体力もなくなってきた患者さんへ、少しでも元気になって欲しくて、スタッフが(お好み焼きにマヨネーズで)笑顔を書きました。それを食べた患者さんの笑顔が忘れられません」

 実物の写真なしではそのインパクトは伝わらないので、一度Websiteへアクセスしてみてください。「普通」の人の日常の営みの中の「さりげない」行為や工夫に、“Hope”が存在することに励まされます。

●星野道夫~「星のような物語」

 2011年は、自然の驚異と原発事故という名の人災の脅威という「二つの警鐘」を体験した年でした。
自然と動物をこよなく愛した写真家で知られ、1996年にロシアのカムチャッカ半島クリル湖畔でヒグマに襲われ急逝した星野道夫さん(当時44歳)の珠玉の言葉を、いくつかご紹介したいと思います。

 「人間の歴史は、ブレーキのないまま、ゴールの見えない霧の中を走り続けている。だが、もし人間がこれからも存在し続けてゆこうとするのなら、もう一度、そして命がけで、ぼくたちの『神話』をつくらなければならない時が来るかもしれない」(星野道夫 「星のような物語」より)
 ⇒この『神話』という言葉は、【地球】、あるいは【平和】に置き換えて考えることもできます。

 「目の前にあるすべてのものの存在は、はるかな時を超え、今ここに在る」(同上)
 ⇒目の前にある「今」は、歴史の連続の中の一点です。未来は、「今」を起点として築かれていきます。

 「浅き川も深く渡れ」(同上)
 ⇒“いつも「深き」川を「浅く」渡っている”我が身を戒め、実存に迫る問いとして心に刻みたいと思います。

●「援助する側」から「援助される側」へ

 日本は、世界第5位の支援国から、東日本大震災を契機に世界最大の被支援国になりました。日本はそれまで毎年95億ドルの支援金や貸与を行ってきましたが、3.11以降2カ月で受け取った支援額は、コンゴの1年の総額を超えました。復興には総額約2,350億ドルが必要と見積もられています。
 このたびの海外からの多くの支援は、「これまでのODAのお蔭」だと、恩返しとしての世界163カ国からの支援の申し出なのだ、とする向きもあります。一理あるかもしれません。しかし、私たちはそれよりも「援助・支援・協力の在り方」そのものを考える機会として捉えたいと思います。
 加えてそもそも日本の国際協力は、第2次世界大戦後に被害国への国家賠償から始まったという歴史も押さえておきたいと思います。

 「援助する側」から、「援助される側」へ。これまで「援助」は外にあり、「内」の問題ではありませんでした。援助される側の気持ち・痛み・苦しみ、援助の意味や有難さを知り、またその難しさを身を以て学ぶときです。私たちがなしたことは「一方通行/上から目線」ではなかったのか?援助の主体は一体誰なのか?
 「国際協力」は「対人援助」に似ています。支え方次第では、依存関係を生み相手の自立を損ないます。相手側に立ち、敬意を払い、信頼関係を築くこと、無しにはあり得ません。「援助と自立」、そして「共生とは何か」という根源的な問いがそこにあります。私たちは、「協力」の意味を問い直す場が与えられました。