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12年度総主事通信 ③<No.63>

2012.07.20

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今月のコメント

●「最初の火が燃え続けるよう祈ってください」~ネパールの山岳の村での聖書翻訳にかけた42年

 日本ウィクリフ聖書翻訳協会の鳥羽季義先生(74歳)・イングリットご夫妻が、ネパールのヒマラヤ山麓のカリン村に入り、42年かけて取り組んだカリン語の新旧約聖書翻訳がついに完成しました。鳥羽先生ご夫妻は、JOCS元ネパールワーカーである岩村昇医師、伊藤邦幸医師とも親交が深い方です。2年半前の、ネパールでのJOCSワーカー&リトリート会議2009の基調講演で、「翻訳完成まであと2年ほど」と語っておられました。穏やかな、しかし説得力に満ちた言葉の重みに圧倒されたことを覚えています。

 鳥羽先生ご夫妻のライフワークであるカリン語の新旧約聖書翻訳完成の報せは、みすず書房の「ピダハン~『言語本能』を超える文化と世界観」(ダニエル・L・.エヴェレット著、屋代通子訳)の書評の読後だったので、とても印象に残っています。
「ピダハン」は、キリスト教伝道師兼言語学者としてアマゾンの奥地の村に移り住んだ著者による「神を持たない民族との日々」の貴重な記録です。「・・・『彼らの言葉を話すのは、彼らの文化を生きることだ』と、布教するために入ったはずの著者は、そんな文化を持つ彼らを理解するようになるにつれ、無神論者になっていった」(日経書評2012.6.10)。「無神論」云々は別として、「ピダハン」という未知の世界、「共に生きる」現実と苦悩、それに生涯を賭けた著者の真実は、まさに衝撃でした。

 さて再び、鳥羽先生のお話へ。1970年、ご夫妻がカリンの村に入った時、クリスチャンは1人もいませんでした。村人の信仰は仏教とヒンズー教の間のような、土着の自然宗教です。ネパールではキリスト教は迫害の対象でした。更にカリン語には文字もなく、まず言葉をネパール文字に起こす、という作業との苦闘も続きました。開拓者の働きとそのご苦労は想像を絶します。そして今、「村に入って42年の現在は、カリンには11の教会堂が建ち、500人を超える村人がクリスチャンになった」(クリスチャン新聞 2012.6.3)。

 東京での出版記念感謝会での鳥羽先生の言葉です。「皆さん、これまではネパールのために祈って下さいましたが、今はカリンの人々が日本のために祈っています」(同上)。続いてイングリット夫人も語りました。「働きはまだ終わりではありません。村の人々がこの聖書で伝道できるよう識字教育が必要ですし、聖書を読むための手引書を作らねばなりません。最初の火が燃え続けるよう祈って下さい」(同上)。
 これは一つの奇跡です。しかし鳥羽先生ご夫妻のライフワークは、“to be continued/まだ続く”です。

●「脱原発 怒りの炎天下」(朝日 2012.7.17)と「沈黙の春」

7月16日、「さよなら原発10万人集会」(代々木公園)は、過去最大規模の17万人(主催者発表)が集まりました。各紙の取り上げ方は様々でした。ちなみに朝日では、著名人3人のコメント・・・
「たかが電気のためになんで命を危険にさらさないといけないのでしょうか。(この美しい日本や国の未来である)子どもを守りましょう。」(音楽家:坂本龍一氏)、「私らは侮辱の中に生きている。政府のもくろみを打倒されなければならないし、それは確実に打倒しうる。」(作家:大江健三郎氏)、「冥土のみやげに皆さんの集まった姿を見たかった。」(作家:瀬戸内寂静氏 90歳)・・・に加え、

参加者の一人、福島の関久雄さんの「私たちは汚染された土と共に生きていかねばならない」との言葉がありました。関さんは、自宅の庭から掘ってきた約300グラムの土を持参して、参加したのでした。「汚染された土」は、傷つきながらも黙したままの大地の悲鳴です。他人事ではありません。首相は、官邸前の抗議行動に対して「大きな音だね」と語ったそうです。「声」ではなく「音」だと、、。「福島では、放射能の話をすると人間関係が引き裂かれていくような状況」との現場の声を聴きます。それは実に重く痛いです。

炎暑下の大集会に、対照的なレーチェル・カーソン著「沈黙の春/Silent Spring」を思い出しました。同書は1962年の作品です。坂本氏曰く、「福島のあと沈黙していることは野蛮だ」と。この夏、静かな事実は人を動かし、沈黙は破られ、大きな声に。声の上げ方は、「人の数」だけあってよいのではないでしょうか。それぞれの場・それぞれの仕方、トーンで。しかしすべての始まりは、「知る・関心を寄せる」ことから、です。

●「平和を目指す。砂漠の旅人のように」~アウン・サン・スー・チー氏

ミャンマー(ビルマ)は、私も数回訪れたことのある、特別な思いを抱く国の一つです。
ビルマの民主化運動指導者であるアウン・サン・スー・チー氏が6月17日、1991年に授与されたノーベル平和賞受賞演説@オスロに立ちました。現在67歳、実に21年ぶり、それは奇跡に近い出来事です。

 「完全な世界平和の実現は到達できない目標だ。でも、私たちは救いの星に導かれる砂漠の旅人のように、平和を目指して旅を続けなければならない」と訴えました。ノーベル平和賞の授賞式に出席できなかった受賞者はスー・チー氏を含め5人。1人目は、ドイツの平和運動家であるカール・オシエツキー(1935年)で、ナチスの収容所に収容中でした。「平和」は、死の淵を生きる人の「祈り」だったに違いありません。

 私たちは、砂漠の旅人のように“オアシス”のような「平和」を求め彷徨う存在です。命の水に渇き、途方に暮れることもしばしばです。しかし救いの星は一つ、それを見上げ続ける旅人でありたいと思います。