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13年度総主事通信 ②<No.74>

2013.06.26

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今月のコメント

●“フクシマ”からの声~日本キリスト者医科連盟 会報「医学と福音」2013年3月号から

“私は福島を恥としない”(富永 國比古氏/福島県在住 医師)

 「原発事故から2年、福島は表面には顕われない『精神の危機』 に直面しています。それは、放射性物質によって汚されたという感覚(be stigmatized)に由来するものです。具体的には、自尊心の低下、無力感、見捨てられ不安、孤立無援、人間不信という気分です。
 また、福島県外の人には理解しにくいかもしれませんが、放射性物質に対する各々の『感覚』の相違から、人間関係の離開が生じています。深刻な事例をたくさん見聞きしました。・・・」(「医学と福音」2013.3)

“Presence”(澤田和美氏/「福島県の児童養護施設の子どもの健康を考える会」共同代表・看護師)

 「・・・私には、アジアやアフリカの子どもたちと福島県の児童養護施設の子どもが置かれている状況は、共通しているように思えました。保護してくれるシステムが限られ後回しにされる、その間にも成長していて、そのために不利益を何重にも被る可能性があります。
 ・・・私は何もできない無力感を感じながら、感じ考えることの重要性を改めて感じています。『寄り添う』という言葉がよく使われますが、私は、寄り添うは“presence”だと思います。看護の技術の一つに、“presence”があります。そこにいて、何も語らなくても、共に時間を感じ、同じ目線で、タイミングよく必要なことをやっていきたいと考えています。」(「医学と福音」2013.3)

 「調査報告 チェルノブイリ被害の全貌」(岩波書店)の共著者アレクセイ・ヤブロコフ博士は、「チェルノブイリで起きたことは福島でも起きる」(「週刊金曜日」2013.6.14)と語っています。私たちは、これからもフクシマをWatchし、弱い立場に置かれた子どもたちの「声なき声」に耳を傾けていきたいと思います。

●JOCSとアフリカ~“神様はここにはおりません”

 6月初旬、横浜で第5回アフリカ開発会議(TICAD Ⅴ)が開催されました。テーマは、「成長著しいアフリカの活力と未来への希望」。主題は、ビジネスの“最後のフロンティア”、“10億人の市場価値”を持つアフリカへの援助(投資?)であったようで、人間の問題、開発の問題はどこまで語られたのでしょうか・・・。

 JOCSとアフリカとの関わりは、1967年に遡ります。同年、宮崎亮(外科医)・安子(小児科医)ご夫妻をナイジェリアへワーカーとして派遣したのが始まりです。宮崎先生ご夫妻の第1期はイレシア病院で活動を開始し、その後ビアフラ戦争後のオボボで1年間働き、帰国しました。その後、JOCSのアフリカでの活動は、北川恵以子ワーカー(小児科医:2000~2005年/ウガンダ)、清水範子ワーカー(助産師:2007~2010年/タンザニア)、倉辻忠俊ワーカー(小児科医:2011~2012年/タンザニア)へと続きます。

 宮崎亮医師は、ナイジェリアでの医療活動での経験を以下のように記しています。
 「アフリカの僻地に、新しい未来の萌芽を求め、人間らしい生き方を探した。1回目、無惨な敗北。密林の中で吐血。いのちからがら逃げ帰った。2回目、ビアフラ戦争の最中。家族ぐるみであった。貧困・病の蔓延と戦い、自由を求め、人間としての権利を主張する苦悩の人々と、共に笑い、喜び、悲しみ、そして泣いた。3回目、ビアフラ戦争後。目的地に着いたが住む家は空き家。ミズガホシイと叫ぶ我が子に与える水がなかった。コレラにレプラ(ハンセン病)、ハゲタカに毒蛇が待っていた。だが・・・最も生きがいのある日々であった」(宮崎 亮著「密林の生と死と愛」新教出版社、1972)。

 宮崎医師はこうも書かれています。
 「愛する皆様。あなた方が教えて下さった神様はここにはおりません。骨と皮ばかりになり、あっという間に死んでいった子どもの目の中に・・・・痰と大便と尿でどろどろになった母親の着物の上に・・・破傷風で全身が棒のようになった小さな新生児の上に・・・神を探しました。でもそこには神様はおりませんでした。神はあなた方のもとにあるだけです。美しい教会の中に、静かで豊かな家庭の中にいた神は、ここにはいないのです」(同上)。この宮崎医師の呻きと、アフリカの過酷な現場に、語る言葉が見つかりません。

 ちなみにJOCS創立を導いた日本のキリスト者医療者に影響を与えたのは「密林の聖者」アルバート・シュバイツアーです。野村実氏(元JOCS会長)は日本人で唯一、シュバイツアーに師事した医師でした。

●世界難民の日(6月20日)~“難民申請者、ホームレスに”

 世界中で約4,250万人(UNHCR 2011年統計)が、内戦や治安悪化によって難民や国内避難民として故郷を追われ、強制的に移動しなければならない状態にあります。しかし日本の難民申請者の状況は、あまり知られていません。難民(refugee)は、アジアや中東、アフリカや中南米にいるのだと。
「日本で難民認定を申請した外国人が2012年は2,545人となり・・・12年中に難民と認定されたのは18人と少なく、日本の基準の厳しさは変わっていない・・・」(朝日 2013.3.20)。

 日本の難民認定率は、0.7%と極めて低く、他の条約加入国に比べて2桁も3桁も少ない数字です。2,545人の難民申請者の国籍は50カ国、国籍別順位では1位がトルコ(423人)、2位がミャンマー(368人)、3位がネパール(126人)となっています。2003~2011年まで1位だったミャンマーをトルコが抜きました。
 昨冬の新聞記事ですが、「政府による生活費や宿泊施設の提供が遅れ、ホームレスとなって野宿を強いられる人が続出している・・・『命にかかわる異常事態だ』・・・以前は数日程度でアパートに入れたのが、最近は短くても1ヶ月半~2か月、待たされるようになった。この間に所持金(1日1,500円の生活保護費)を使い果たし、路上で寝泊まりせざるを得なくなる人が続出。」(四国 2012.12.11)

 今は、路上で凍え死ぬような季節ではなく、仮に行き場がなくとも生きられるかもしれない。けれど難民認定の結果は平均2~3年を要します。難民申請者と支援者にとって最大の問題は、日本の厚い法律の壁と無関心です。命を賭して母国を離れ辿り着いた第三国日本。しかしrefuse(拒否)され、人として生きる権利を奪われた人がすぐ隣に居ても「他人事」。難民問題は、世界の縮図、日本の縮図なのですが、、、。