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13年度総主事通信 ③<No.75>

2013.07.26

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今月のコメント

●JOCSとアフリカ その2/アフリカの“名医の診察”(元ワーカー/ナイジェリア派遣 宮崎 亮医師)

 「・・・(アフリカの医療現場では)『小児科は地獄である』と言う人がいた。患者をみていると、なるほど、そうかもしれないと思った。よりによって選ばれた『病気のつわもの』たち。外来で診療をしている間に息をひきとる赤ちゃん。入院手続きをしている間に、冷たくなっている子もあった。・・・『地獄』の意味はもう一つあった。それは医師の側である。外来だけで400人の患者がくる。時には500人以上。今年のイースター(復活祭)直後のある日には、実に685人がやってきた(入院患者が60~80人、緊急患者もきりがない)。

 ・・・日本の医学部の偉い教授先生がおっしゃった。『一人の患者に1時間はかけないと、良心的な診察をしたとは言えない』-ここでは、1人の患者にかける時間が平均30秒、長い時で2分。世界で最も非良心的な、非人間的な医師である。でも、こうも言う。『患者が診察室に入ってきた時、診断がついていなければ、名医とは言えない』-アフリカの診察は、『名医の診察』である。
 『ジョゴ』(お座りなさい)。「ジデ」(ハイ終わり)。『ジョゴ』 から「ジデ」まで、わずか2分」(宮崎亮著「密林の生と死と愛」新教出版社1972」。

 飢餓にありながらお腹が膨らんだ子どもの写真で、世界中に衝撃を与えたビアフラ戦争(1967~70年)を経験したナイジェリア。宮崎医師の壮絶な医療現場の記録です。

●「希望と勇気」~“でも、私は後悔していない(世界は、変えられる。きっと)”

 「世界各国から集まった少年少女500人以上が見守るなか、マララは『テロリストは私の志を断とうとしたが、逆に私の人生から恐れや絶望感が消え、力と勇気が生まれた』と語った。そしてすべての人たち、特に『タリバンやテロリスト、過激派勢力の子どもたち』にとって教育が必要だと訴えた」(Newsweek 2013.7.30)。昨年10月に武装勢力に襲撃されたマララ・ユスフザイさんは、頭部に重傷を負いながら、回復し、自身の16歳の誕生日(7月12日:国連は「マララ・デー」に指定)、NYの国連本部で演説を行いました(2007年に暗殺されたパキスタンのブット元首相が使っていたピンクのショールをまとって演壇に)。

 「・・・何千もの人がテロリストに殺され、何百万人もが負傷させられた。私もその一人だ。・・・私は誰も憎んではいない。・・・1人の子ども、1人の先生、1冊の本、そして1本のペンで世界を変えることができる」(朝日 2013.7.14)。“言葉が力を持つ”、とはこのことでしょうか。
彼女以外にも、地元に留まって迫害の危機に晒されながらも声を上げ続ける少女たちがいます。マララさんと共に銃撃で負傷した友人のカイナート・リアズさんやマララさんと同郷のヒナ・カーンさんたちです。

 「・・・でも、私は後悔していない。この国にはマララのような境遇の少女が何百人も何千人もいる。一人一人は普通の少女でも、勇気をもってマララと力を合わせれば、いつかこの国は変わるかもしれない(ユネスコによると、パキスタンの小学校学齢期の女子の約1/3にあたる300万人以上が未就学)」(ヒナ・カーンさん談 朝日 2013.7.13)。この“普通の少女”の、力強いエールは、私たちにも向けられてます。

●原発~深刻なリスクと膨大なコスト、命と未来に対する責任

 「甲状腺被爆者 公表の10倍」(朝日 2013.7.19)⇒がんが増えるとされる100ミリシーベルト以上の甲状腺被曝をした作業員が2,000人以上、半数は検査受けず/「東電 汚染水の海へ流出認める」(朝日 2013.7.23)⇒海水1リットル当たり2,300ベクレルの高濃度の放射性物質が検出、が明らかになりました。 前者は命の危機への警鐘、後者は地球という生命体・運命共同体への脅威です。福島では、ゴーストタウン化した原発事故の避難区域での変わり果てた家畜の姿、そしてネズミやイノシシの繁殖や動物の野生化による被害拡大という故郷の危機など、もう一つの痛ましい現実もあります。

 世界の原発の現状⇒「世界の原発(1万kW以上)は583基。うち運転中は434基、廃炉で止められた原発は149基」、「1兆1,510億円⇒政府・第三者委員会が試算した福島第一原発1~4号機の廃炉にかかる費用(15兆円に膨らむとみる民間シンクタンクも)」(朝日 Globe 「廃炉の時代」 2013.7.21)。

 「1986年4月、旧ソ連のチェルノブイリ原発で、史上最悪の事故が起きた。・・・発生から10日間で福島第一原発事故の約6万倍にあたる520京(京は兆の1万倍)ベクレルの放射性物質を放出した。・・・事故から27年たった今も、4号機の原子炉には、溶けて固まった核燃料が残る。人が近づけば即死するほどの放射線量なので、ロボットを開発しないと手がつけられない。核燃料はとうてい取り出せず、鉄筋コンクリートの『石棺』で建物を覆って放射能を外に漏らさないようにするのが精いっぱいだ・・・」(同上)

 原発の新規開発や再稼働を急ぐ人々は、この深刻なリスクや膨大なコストをどう説明するのでしょう?命と未来に対する責任は?原発が支える経済は危機と隣り合わせ、砂上の楼閣のように思えます。被造物であるこの世界、自然、命。神様の深い嘆きが聞こえるようです。

 私たちは、世界大の問題を解決する知識も力も技術もありません。しかし、福島の児童養護施設の子ども達を憂い、彼らの家庭や支援者を取り巻く環境から見える事実と問題を考え続けることはできます。