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釜石訪問レポート(2013年8月~11月)

2013.11.28

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JOCSから釜石に毎月派遣して頂いて、2年4カ月になります。その間、正直、心折れそうなこと、辞めようかと思うこともあり・・・ここしばらく、報告も出来ませんでした。 ・・・が、今、原稿を書かせて頂くにあたり、思い巡らしていたら、♪主に感謝~という歌が、頭の中に流れてきました。心に残るふたつのことを書かせて頂きます。

東日本大震災お茶っこサロンの様子

8月、お盆の月のことです。ボランティアのミュージシャンの御家族が、カリタス釜石にいらして下さいました。 聴きにいらした地元の方の中に、全盲の御兄弟が白い杖をついて来て下さいました。 素晴らしい演奏をみなで喜んで聞かせて頂いておりましたが、途中から、マラカスが配られ、私たちも歌に合わせて、マラカスを振りました。 そのお兄さまの方は、特に音楽好きらしく、見えない目を歌っている方の方に向け、全身で愉しんでおられ、盛り上がってくると大きく強くマラカスを振り、曲の調子に合わせて強弱をつけ、静かになると一心に聴きいっておられました。 満足なさったご様子で、お帰りになられると言うので、ふたりで送らせて頂くことになりました。 私の肩にその方は手を置き、私が道路の状況を説明しながらご一緒に歩きます。 おふたりのご希望で、ご両親のお墓参りに行くことになりました。

集合写真

実際、そこに行ってみると、地域の方々のほとんどのお墓がある巨大な墓地で、おふたりの御先祖様のお墓が一体どこにあるのか、たどり着くのは容易ではありませんでした。 ・・・にも関わらず、毎年こうやって、おふたりでお墓参りにいらしていたと言うのです。 「たどり着けないで、帰ったこともあったなあ・・。 今年はたどり着けてよかった。」と笑いながら仰り、何度も感謝の言葉を仰いました。こちらの方こそが・・・この与えられた境遇を受け入れ、誠実に生きておられる生き様に共に居させて頂けて、ひれ伏すような思いで、感謝でした。 厳しい境遇に加えて、被災されて尚、真っ直ぐ生きておられる健気さに、このような生き方もあるのかと、本当に魂が揺さぶられました。 もうひとつは、あるボランティアの青年との出会いです。 彼は、元々パチンコをする方で、3.11のその当日もパチンコをしていたそうです。 その賑々しいパチンコ屋さんの騒音の中で、お店のテレビが状況を放映しているのを、アナウンサーがヘルメットをかぶって何か伝えているなあと、ちらっと横目で見て、自分はパチンコの方が忙しかったそうです。 家に帰られてテレビをつけて、事態が尋常でなないことを悟り、自分はいったい「あのとき」何をしていたんだろうと、自分の中で「どうしようもない」思いが沸き、その思いが消えなくなったそうです。被災地のために何かしないではおれなくなって、けれど、お金はパチンコに使いたいので、献血に行かれたそうです。 ・・・が、彼は、今の日本にあって「栄養失調」で、血が充分取れなくて、やっと取れたのがヤクルト一本分くらいで、貧血でふらふらしながら、結局取られた血も役に立たず、現場に行くしかないと思われたそうです。 そして、インターネーットを調べ、釜石ベース(カリタス釜石)にたどり着き、初めのころに、瓦礫撤去を一週間くらいして、うれしかったと仰いました。 こちらに来ると、色々な方に出会います。「聴かせていただく」ことで、本当に人の中にある美しいものに、触れさせて頂きます。 神様が、この想像を超える災害を通して、その青年の魂を揺さぶり、その方の中に眠っていた「愛」を目覚めさせて下さったように思え、私も何か懐かしいものに出会わせて頂いたような不思議な感動を覚え、お互いに分かち合って下さったことを喜び合いました。  私をこのように遣わしてくださる、JOCSと神様に感謝です。 JOCS派遣カウンセラー  白石仁美