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2013年度 総主事通信 ⑧/No.80

2013.12.24

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今月のコメント

● 歩き続ける“巡礼者”~ブラザー・ギョーム(バングラデシュ・マイメンシン/テゼ修道士)
 
 「テゼ 巡礼者の覚書」(「黙想と祈りの集い準備会」編、一麦出版社、2013)から、元ワーカーの川口さん、そして岩本・山内両ワーカー派遣先のテゼのブラザー・ギョームの物語をご紹介します。

 「・・・30年前、川口さん(★)が日本から派遣されて初めてバングラデシュに着くと、手違いで空港には誰も迎えに来ていない。言葉もわからず、必死の思いで何とか船着場にたどり着き、さらにそこから小さな夜行船に乗って、やっと翌朝めざす地方の町に着いた。そこで彼女が案内されたのは粗末な小屋で、そこがこれから自分がずっと寝起きする場所だと教えられた。心身共に疲れ切っていた川口さんは、とりあえず麻を編んだだけのベッドに横になった。その時、戸を叩く音。最初の訪問者。開けてみると、サンダルを履いた40歳ほどの白人男性が立っていて、微笑みながら日本語でこう歌いだした。『キリストの平和が、わたしたちの心の隅々にまで行き渡りますように』。この男性はテゼのブラザー・ギョーム・・・」(「テゼ 巡礼者の覚書」)  ★川口恭子さん(前海外担当主事):1983年から延べ12年間、バングラデシュで活動

 川口さんの眼には、その瞬間、ブラザー・ギョームが“救い主”に映ったのでは?。その出会いがなければ、後の川口さんの人生は違うものになっていたかもしれません。ワーカーが窮した時に、それを現場で支える人・導く人が現れて、そうした出会いの中で神様の力が働くのかもしれません。

 「ブラザー・ギョームは歩き続ける。毎日毎日、スラムからスラムへ、村から村へ。修道会の朝の祈りの後、簡単な朝食を終えると、彼はその日の『巡礼』へと歩き出します。スラムの病人を訪ね、刑務所に入っている少数民族に薬を届け、それからもう何年も村から出たことのないという知的ハンディを持った子どもと親を訪問し、そして再びスラムへ。どこでも彼は子どものように微笑み、そして必ず歌います。修道会の夕の祈りに間に合うようにと急ぎ足で歩く帰り道でも、彼は大きな声で歌います。翌日彼は鉄道駅の周辺に暮らすストリートチルドレンを訪問し、そこでテゼが始めた寺子屋の教師たちに声をかけます。そして毎週水曜日には、この子どもたちを修道院に招いて一緒に食事を共にします。さらに彼は遠くの丘陵地帯に住む少数民族の村々も訪ね歩き、彼らの言葉を習得し、抑圧されている彼らの話に耳を傾けるのです。このような『巡礼』の日々をブラザー・ギョームはもう30年以上バングラデシュで続けておられます」(同上)

 この「テゼ 巡礼者の覚書」の編著者は、JOCS理事である植松功氏(黙想と祈りの準備会)です。

●子ども虐待の社会的コスト~子どもたちの“声なき声”
 
 「子ども虐待によって生じる社会的な経験や損失が、2012年度で日本国内では少なくとも年間1兆6千億円にのぼるという試算を、日本子ども家庭総合研究所の研究員がまとめた。子ども虐待の社会的コストは欧米では公表されてきたが、日本では初めて。・・・社会的コストは、(1)虐待に対する児童相談所や市町村の費用、保護された子どもが暮らす児童養護施設などの直接費用、(2)虐待の影響が長期的にもたらす生産性の低下などの間接費用の二つに分けられ、直接費用は1千億円にとどまった。
 間接費用としては、自殺による損失▽精神疾患にかかる医療費▽学力低下による賃金への影響▽生活保護受給費▽反社会的な行為による社会の負担―など様々な項目について、他国の研究事例を参考にしながら推計した結果、社会的損失は計1兆5,335億円になった。・・・米国の研究では、07年の同国での社会的コストは直接費用が約3兆3千億円で、間接費用が約7兆円・・・オーストラリアでは12年、直接費用を年約3千億円と公表している」(朝日 2013.12.7夕)

 JOCSは、「福島県の児童養護施設の子どもの健康を考える会」の支援を通じて、健康被害の問題を抱える入居児童の被虐待の問題にも接します。二重の受難です。虐待は、身体的虐待/性的虐待/ネグレクト(育児放棄)/心理的虐待の4つに分類されます。虐待は、深い心の傷(トラウマ)をもたらします。虐待は、日常的な災害/非常事態であり、社会的な病理です。私は、虐待のトラウマをケアするための研修目的で3度米国SFを訪れ、虐待の背景にある「関係性の貧困」の実態や献身的な人々の働きを学ぶ機会がありました。支援者に共通するのは、「子どもの権利尊重は、社会的責任である」という自覚です。
 少し飛躍しますが、2012年度の世界全体の軍事費(ストックホルム国際平和研究所)は、円換算で約173兆円、第1位米国は約67兆円、日本は第5位で5.9兆円です。そのほんの僅かでも、社会的コストに費やされれば、「弱い者いじめをする」社会を変えることができるはず。それは、虐待の連鎖を断つ“未来への投資”です。「最も小さき者の一人にしたのは、即ち私にしたのである」(マタイ 25.40)。子どもたちは、親も家族も、貧富も肌の色も社会も選べません。子どもたちの“声なき声”、それは主イエスの声です。

●“虹の国(Rainbow Nation)へ”~ネルソン・マンデラの遺言

 「アフリカでは雨は恵み。葬儀の日に雨が降るのは、天国の門が開かれている証拠だという・・・」(Newsweek 2013.12.24)。南アの故ネルソン・マンデラ元大統領(1993年ノーベル平和賞)の追悼式に雨が降り注ぎました。私も涙の雨に濡れました。マンデラ氏は、数々の伝説もさることながら、人間味あふれ、“マディバ(氏族長)・“タタ(父)”と慕われた人でした。追悼式には数万人の市民のほか、約100か国・機関の首脳級が出席し、式典ではキューバのラウル・カストロ国家評議会議長とオバマ米大統領の握手が実現しました。マンデラ氏の天の声が、二人の「宿敵同士」を引き合わせたのでしょう。
 ウォルター・シスル、オリバー・タンボ、デスモンド・ツツ大司教、スティーブ・ビコ・・・、マンデラ氏と共にアパルトヘイトと闘った人たち。そして無数・無名の闘士たちが暗黒の時代を生きました。スティーブ・ビコは、映画「遠い夜明け」(Cry Freedom、1987)の主人公で、1977年に31歳で獄死した優れた運動家でした。和解による憎悪の克服を夢見たマンデラ氏は、国家反逆罪・テロリストと糾弾された人です。映画「マンデラの名もなき看守」(2007)では、ロベン島での18年の囚人生活(合計27年の収監)、マンデラ氏の故郷のコーサ語を話す看守と白人のアフリカーンス語を学ぼうとするマンデラ氏との対話が描かれています。

 マンデラ氏は、最愛の息子をエイズで喪いました。南アのエイズ撲滅コンサート2003のテーマは“46664”。マンデラ氏は、「私は、人間ではなく、46664という(囚人)番号だった」と語りました。英国でのマンデラ氏90歳の誕生日記念コンサート2008のテーマは“Free Nelson Mandera”でした。人種融和に生涯をかけたマンデラ氏は私たちに、“憎しみに囚われてはいけない。赦しを諦めてはならない”と、問いかけています。クリスマスの前に、混迷する世界に対して、多人種共存の “虹の国を”との最大の遺言を残して、ネルソン・マンデラは、神の御許に帰られました。「みんなで生きる」、その大切さを今噛みしめています。