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2014年度事務局長通信③/No.99

2014.08.08

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今月のコメント

●“被爆者が、消えていく”

 昨年の8月6日、私はヒロシマにいました。「8・6」を境に広島はヒロシマになり、「8・9」を境に長崎はナガサキになり、「3・11」を境に福島はフクシマになりました。今年の8月6日のヒロシマは、大変珍しく「雨の日」でした。広島が、日本が、世界の平和を祈る人々が、泣いているようでした。

 今や日本国民の約8割は、「戦争を知らない子どもたち」です。被爆の語り部の平均年齢は83歳。NHKが、「被爆者が消えていく」と報じていました。人類史上初の原爆を体験した人たちの、“平和を希求する魂の声”が、消えていく・・・。「8月6日が何の日か知らない」という地元の中学生が多くなった、とも報じられていました。今年は長崎で、平和学習で訪れた中学生が被爆証言者の方に、「死に損ない」と暴言を浴びせたと聞きます。ある被爆者の方が仰った言葉、「私たち被爆者は今や“絶滅危惧種”になりつつある。しかし“絶滅危惧種”は、生かされるために、存在している」(4月の本通信に記載済み)を想い起します。

 「夫は広島で被爆した。妻は長崎で被爆していた。だが、夫は44年間、被爆したことを隠し続けた。いわれのない『差別』を恐れて。北尾茂男(89)は69年前の8月6日朝、広島県西部の海軍潜水学校で訓練中だった。30キロ東の広島市上空で、キノコ雲が上がった。3日後、救援のために入った被爆地は死体ばかり。重ねられ、燃やされていた。/・・・『新型爆弾をうけた人のこどもは心身に悪い影響が出るらしい』。北尾は決めた。広島にいたことは隠そうと。・・・」(朝日新聞 2014.8.4)

 夫が44年間、妻にも言わず/言えなかった被爆。惨禍の記憶は遠く、しかし実像も残像も生々しく私たちに問いかけます。そして原爆も原発の悲劇もなかったか如く、原発再稼働への動きが始まっています。

 広島平和資料館で見た、赤子をおぶって立ったまま、被爆死した母親の写真が今も忘れられません。

●“苦しみに 敵味方はない”(Newsweek 2014.8.5)

 「イラクやパレスチナ情勢の激化ですっかり影が薄くなったシリアだが、内戦に終息の兆しは見えない。・・・人権団体によれば、内戦による死者は17万人を超えた。収束への見通しがつかないなか、犠牲者だけが増え続けている」(Newsweek 2014.7.29)。シリアの死者17万人超の内戦は今や忘却の彼方へ?

 「ガザは 地獄の淵にある」(Newsweek 2014.7.22)。「眠っている子供を攻撃するほど恥ずべきことはない」(同2014.8.12/19)。共に国連潘基文事務総長の言葉です。イスラエル軍の侵攻(7月8日)以降のガザの死者は1,600人超、負傷者は8,400人超。 “見えない檻”のようなパレスチナ自治区ガザ。断食月中も続けられた、学校・障がい者施設・避難所・民家への無差別攻撃によって廃墟と化しました。「イスラエル軍は、武器などが隠されていたとしてモスク(イスラム教礼拝所)や病院も空爆した」(朝日新聞 2014.7.25)。
 “絶望”とはこのこと。悲しみと憤りに震えながらも、しかし私たちは、“報道のこちら側”にいます・・・。

 「パレスチナ自治区ガザの底なしの絶望の中で暮らす170万人のうち、半数は女性と子供だ。・・・今回の戦闘が始まって最初の9日間で、パレスチナ人の子供59人が死亡。大半は12歳以下だった。今では、1時間に1人の子供が犠牲になっている。イスラエル軍の地上侵攻が始まると子供の犠牲はさらに増え、生後5か月の赤ん坊も巻き込まれた・・・『イスラエル人として、罪のないパレスチナ市民に同情する』と、クライン(ユニセフのイスラエル側の責任者)は言う。『自分たちの苦しみを考えたら、彼らの苦しみは想像を絶する』。」(Newsweek 2014.8.5)。
 “苦しみに 敵味方はない”。この言葉が、心に重く響きます。

●“許す”

 「・・・人間が生きる上で、『敵』と無援ではありえません。学校でも会社でも、ライバル、好敵手といった存在は必ずあります。しかし、その人たちに憎しみや恨みを抱けば、自分の心の自由が奪われます。
 聖書にも『汝の敵を愛せよ』と書かれています。『敵』と同じレベルに成り下がるのではなく、相手を許すのです。81年、広島を訪れたローマ教皇ヨハネ・パウロ2世も『許しなさい。許さないと、あなたはずっと相手の支配下にあります』と述べました。」(シスター渡辺和子、朝日新聞2014.7.11)

 「戦争が終わって14年たった1959年、精神錯乱だからと米軍の病院に収容されていた元パイロットに手紙が届いた。『私たちが、このお手紙をさしあげるのは、私たちがあなたに対して敵意など全然いだいていないことをはっきりと申しあげたいからでございます』。差出人は広島の少女一同。そして受取人はクロード・イーザリー。原爆を投下したB29エノラ・ゲイとともに作戦に参加した指揮官機ストレート・フラッシュの機長である。・・・78年に死ぬまで呵責に苦しんだイーザリーのような人も、証人であり語り部である。しかし、我々が広島、長崎から聞かねばならない声がある。世界に聞いてもらわねばならぬ声が、もっともっとある。」(日経新聞 2014.8.8)。
 シスター渡辺と“広島の少女一同”の、“許す”に学びたいと思います。