HOME>ニュース>2014年度JOCS事務局長通信⑤/No.101

ニュース

2014年度JOCS事務局長通信⑤/No.101

2014.10.10

シェア ツイート

今月のコメント

●鳥羽季義先生と“ネパールの赤ひげ”岩村昇医師との出会い

 先月、JOCSのネパール派遣ワーカーと親交の深かった鳥羽季義先生からお手紙を頂きました。
 「切手や岩村先生のことはネパールにおいて忘れ難き存在です。岩村先生の書かれた本をネパール語に訳そうとの運動があり、・・・切手運動からネパールへ繋がった女性で、ネパール語を勉強した方が協力するといって下さいました。いつかきっと、ネパール語版がネパールに届くでしょう。
 私たちは、(カリン語訳)聖書完成後、辞書(Khaling-Nepalii-English Dictionary)を作り、出版しました。823ページもあるので、村に届けるのは大変でしょうが、この秋ネパールへ戻り、持って行きます。カリンという少数民族も、これから誇りをもってネパール国民として生きるでしょう。村人は聖書を読み、教会が12箇所に建ちました。賛美の声があの谷に響き、ヒマラヤを揺さぶることでしょう。シェルパ族の原語には、韓国の同僚が新約聖書を完成させました。この人々はカリンの隣人です。」(鳥羽先生のお手紙より)

 鳥羽先生ご夫妻(日本ウィクリフ聖書翻訳協会)は、1970年、エベレスト南麓のカリンの村に入り、2012年まで42年をかけて、文字を持たないカリンの新旧約聖書を翻訳されました。入村当時、村には誰一人クリスチャンはいませんでした。鳥羽先生は聖書の後、カリン語の辞書制作に挑まれ、完成。その道のりは、ネパールの前人未到の険しい山々の頂きを目指し、一歩一歩、歩む姿と重なります。“世の賞賛”から遠い処で、地の塩として、何十年もの年月をかけて成し遂げていく開拓者の働きに、神の祝福をと祈ります。

 もう一つ、そこに至るまでの鳥羽先生の物語をご紹介します。
 「私の父は中国の南京攻略の時、医療の仕事中、戦死しました。終戦日をよく覚えています。・・・私は、(外国人宣教師のお話は)信じませんでした。外国の宗教など信ずるものかと思ったからです。しかし、高校の教師で立派な方がおられて、訪ねていくと親切に勉強の話をして、いつも終わりに聖書の話をしてくれました。聖書の”せ”の字も知らなかった私は、お話を聞くようになり、1956年の冬、洗礼を受けました。
 大学の時代、ヘボンの伝記を読み、海外での奉仕を考えました。1966年、岩村先生が東京で講演された時、聞きに行き、ネパールに関心を持ちました。1970年にネパールへ行くと、その岩村先生が飛行場に来て下さいました。本当に驚きました。到着時間も知らせていなかったので。先生のお姿を見て、自分はネパールでどのように奉仕すべきかを学びました。人々の処へ行って学ぶことから始め、伝道はそれからだと」。
 キリスト教との出会い、ネパール岩村医師との出会い、神様の力が働いたとしか思えません。

●ラッセル(ラルシュ・マイメンシン)、岩本直美ワーカー、そしてブラザーフランク

 岩本さんが深く慈しんだラッセルが天に召されました。僅か20年、難治性癲癇や重度の障がいと共に生きた人生でした。彼は幼い頃、詳細不明ですが、刑務所で5年半過ごし、専門病院での一時保護を経て、推定年齢10歳の時に、ラルシュに迎えられました。岩本さん曰く、「路上に捨てられたままであれば、生き延びれなかったはず。刑務所の人たちが彼のお世話をしていたのでは」と。数奇な運命でした。全てにおいて介助が必要で、病と障がいの故に、「生きていること自体が奇跡だった」と岩本さんは言います。

 「7月23日にラッセルを亡くしました。彼が息を引き取ったとき、『ブラザーフランク(今年1月に帰天)が、やっぱり寂しくてラッセルを手元に引き寄せたのだ。』と、自然にそう思いました。ラッセルがいなくなったことの深い寂しさは今もありますが、それ以上に『よく、ここまで生きてくれた。』とその感謝の思いの方が強く自分の中にあります。そして、彼をブラザーフランクが天国で迎えて下さり、今は平安のうちに二人が一緒であることへの、深い安堵と感謝の思いがあります。ラッセルは、彼を迎え入れた10年前から私の平和の源泉でしたが、その死後も私に深い平安と癒しを与えてくれました。・・・
 彼の最期の看取りと、死後のケアをアシスタントと共に行いながら、その一つ一つの行為のうちに自分の魂が徐々に癒されていくのを感じていました。ブラザーフランクのためにして差し上げたかった一つ一つの行為、あの時に出来なかった一つ一つの行為を、私はラッセルのために行うことが出来ました。何ヶ月も抱えてきた深い痛みが、少しずつ解けていくのを感じました。ラッセルは、私の痛みを良く理解してくれていたと思います。私の心が癒されるよう自分の身体を差し出してくれました」(岩本さん月例報告)

 ワーカーの現場での、宝物のような“共に生きる”物語です。今頃、ラッセルと、彼の4倍ほど長い人生を貧しく弱くされた人々と共に生きたブラザーフランクは、天国で何を語らっているでしょうか。

●「憲法9条をノーベル平和賞に」実行委員会~署名41万人

 「・・・2014年のノーベル平和賞の受賞予測に、『憲法9条を保持する日本国民』が浮上した。受賞予測を毎年発表し、的中の実績もあるオスロ国際平和研究所(PRIO)が3日、ウェブサイト上の予想リストを更新し、それまで『欄外』だった『憲法9条』がトップに躍り出た。これまで、同リストはフランシスコ・ローマ法王を筆頭候補としていたが、3日付で『憲法9条』が法王に取って代わった。」(朝日新聞 2014.10.4)

 受賞云々は「神のみぞ知る」。それより平和憲法の存在が国際社会に知られることのインパクトが重要でしょう。「イスラム国(ISIS)」やシリア反政府組織の戦闘に、欧米のみならず、日本の若者が「就活うまくいかず」とか「戦争を体験したい」と入隊願望を抱く、深い心の闇の時代を迎えています。
 一方、著名人ではなく、一市民の発案が人々の心を動かし、静かなムーブメントとなって繋がっていく。その「平和的な広がり」が大切に思えます。集団的自衛権の閣議決定を受けて、ある日本人の学生が語りました。「僕たちの平和を願う声は小さいけれど、ネットを通じて人々に想いが届き、それが“クモの巣”状に広がっていけば、必ず何かが変わっていくはず」と。いつか、「平和を!」と叫ばなくてもいい時代が来ますように。
 「握り拳と握手はできない」(インディラ・ガンジー)を想い出しています。地球は、“Web of Life”-くもの巣状に繋がる生命体です。地球の隅々にまで、“共生と平和の文化”という命の水がいき渡りますように。