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HOME>ニュース>総主事通信コメント(①4月~⑦10月)です。
2006.11.10
<7月のコメント>
7月22日に、第28回京都JOCSのチャリティコンサートに参加させて頂きました。これまでのクラシック路線から、今回はタンゴアンサンブルと趣向が変わりましたが、会場は満杯(約500名)。チケットも600枚売れ、また当日のフェアトレードグッズも飛ぶように捌け、京都JOCSの方々のパワフルな働きに感激をしました。京都は、39年の中国難民救済施療団からJCMA、JOCSに至る歴史発祥の地。その伝統を実感いたしました。
翌日23日には、岡山の邑久光明園の家族教会の礼拝に出席させて頂きました。歴代の総主事では初めてだそうです。家族とも社会ともつながりを分断され、言われ無き差別と偏見に生き歩んでこられた方々(約240名の入居者の方の平均年齢は、ほぼ79歳)に胸がつまる思いでした。JOCSの活動は、邑久光明園の方々からも尊い募金によって支えて頂いています。教会員の方々は「神の家族」としてつながっておられました。皆さんとの交わりの中で、96年に及ぶ邑久光明園と家族教会の歩みを伺い、感銘を受けた次第です。
畑野常務理事のガイドにより、同園内及び長島愛生園も見学させて頂き、改めて明治時代のキリスト教のミッションを帯びて、社会事業を切り拓いたパイオニアの方々の働きの大きさと苦悩を思わせられました。
邑久光明園の方々との出会いは、ほんのひと時でしたが、「奪われたもの」を深く考えさせられる体験でもありました。奪われた時、奪われた人生、奪われた家族、奪われた人生、奪われた命などなど。しかしその人生は、私たちの想像を超え、かつ遥かに深いものであったでしょう。私たちは「得ること」に一生懸命になり、奔走しています。「得ること」は、(誰かから)「奪うこと」でもあるとも言えます。「奪うことと奪われること」、そしてその「格差拡大」という世界の潮流であるグローバル化の構造にも思いをめぐらせる機会となりました。私たちは、今一度「与えること」の意味と大切さを問い直す必要を考えさせられた次第です。
既にお知らせ済みですが、5月にはバングラデシュのハンセン病患者や集落の方々とも会う機会がありました。半世紀近く生きてきましたが、まだまだ知らぬことの多さと学びの浅さを思い知らされる毎日です。生きることの意味、そして私たちが問われていることの重さ、そして命に関わる仕事の尊さと難しさをかみ締めたいと思います。
最後になりますが、JOCS中高生プログラム「釜ケ崎で見つめなおそうー私の生活と目に見えない労働(7月29日―30日)のことをご紹介したいと思います。中高生5名のうち、2名はリピーター参加でした。プログラムは、日雇い労働従事者である吉岡基さん(釜ケ崎キリスト教協友会共同代表)による街探検とお話、生田武志さん(野宿者ネットワーク代表)の導きによる夜回り体験、本田哲郎神父(近著「釜ケ崎と福音」(岩波書店)が反響を呼んでいます)による聖日ミサ、そして全体をコーディネートしてくださる入佐明美さん(80年より釜ケ崎で労働者のケースワーカーとして活動)の協力を得て、実施されました。参加者個々に多くの発見・驚き・学び・気づきが得られたようです。
故岩村昇さんの言葉-「ネパールに行く前に釜ケ崎と出会っていたら、『ここにとどまった』」が思い起こされます。限られた時間ではありましたが、超教派的に、貧しく小さいものとされた方々とともに生き仕える働き人との出会い、そして語られる言葉の一つひとつは、実践に裏打ちされた説得力を持つものでした。 旅路の里(イエズス会社会司牧センター)で頂いた釜ケ崎キリスト教協友会のパンフレットに「人を人として」とのメッセージがありました。超教派的(エキュメニカル)な働きに大切な意味を見出し、かつそこにJOCSの「今後の5年間の方針」につながる精神を知ることができました。心から感謝をし、また尊い業に祈りたいと思います。
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