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2014年度事務局長通信⑦/No.103

2014.12.12

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今月のコメント

●“不自由を、自由に”~障がいと共に生きる

 今年11月のJOCS会報「みんなで生きる」子ども号の特集は、「みんなで生きるために、障がいについて考える」でした。同号に、仙台JOCSのメンバーで会員の有田憲一郎さんの寄稿が載っています。
 
 「・・・僕は、生まれつき障がいを持って生まれてきました。『脳性まひ』という障がいで、身体が不自由です。身体が不自由なだけで、そのほかはみなさんと一緒。何も変わりません。
 ・・・僕は障がいがあり、だれかの手を借りながら生活していますが、逆に僕が仲間の支えになれることもたくさんあります。・・・旅行が大好きで、車イスでアジアなどを旅していると、僕のことがめずらしくてジロジロ見られたりします。『見られることが仕事だ。どんどん見てくれ』、そんな考えの僕は、『見てくれて、ありがとう』という気持ちになります。『ありがとう』という言葉。たった5文字の短い言葉ですが、この短い言葉の中には多くの深い意味がこめられているのです。」

 有田さんは、仙台の「太白ありのまま舎」(重度障害者・難病ホスピス)の入居者で、「ありのまま舎」の評議員をされています。JOCSの様々な活動に参加し、今秋はバングラデシュ活動紹介ツアーで、山内・岩本両ワーカーの活動地マイメンシンを訪れました。貧困や障がいなどの故に貧しく弱くされた人々と共に生きた故ブラザー・フランクが、JOCS創立50周年で来日し有田さんと再会した時に見せた満面の笑顔が忘れられません。有田さんは、故ブラザー・フランクにとってかけがえのない友でした。

 もう一人の方のことに触れたいと思います。ホームレスの人たちの自立を支援する雑誌「ビッグ・イシュー日本版」の人気連載コラム「自閉症の僕が生きていく風景」の執筆者 東田直樹さんです。

 「重度の自閉症者である東田直樹さん(22)のエッセー集『自閉症の僕が飛び跳ねる理由』が、英国や米国など世界各国で出版され、ベストセラーになっている。」(朝日新聞 2014.11.29)。
 「障害があるから不幸ではないのです。けれども、自閉症だから、普通の人にはない感性が僕に備わっているのは事実でしょう。ただし、一口に自閉症といっても、ひとりひとり違います。・・・僕がどんなに高く飛び跳ねても、それは一瞬のことで、すぐに地面に着地してしまいます。なぜなら、体というおもりがついているからです。しかし、思考は、どこまでも自由なのです。何の制約を受けることなく、空の彼方に舞い上がったり、深い海にもぐったりすることができます。」(東田直樹 「飛びはねる思考」 イースト・プレス)

 有田さんも東田さんも“不自由を自由に変える力”を持っています。“想像の翼”と言葉と行動によって。

●“未来を変革する若者たち”(世界人口白書 2014)

 「・・・5700万人という膨大な数の若者は、学校に通っていません/HIV新規感染のおよそ7件に1件は、10歳から19歳の思春期の若者です/少女を含む、3人に1人以上の女性はパートナーからの暴力に苦しんでいます/毎分、27人の少女が結婚を強要され、自身もまだ子どもであるにもかかわらず、出産することになります。そして、この点を強調したいと思います。人口の4分の1が権利を十分に享受できない世界というのは、変革と進歩のための基礎をもたない世界と言えます・・・」(世界人口白書2014)

 「『世界の若者 最多18億人~途上国に9割』・・・総じて環境は厳しい。5億人以上の若者が1日2ドル未満で生活し、途上国に住む若者の6割近くは就職も就学もしていない。また毎日39,000人の女性が18歳未満で結婚しており、15~19歳の女性が死亡する主な原因は自殺だ・・・」(朝日新聞 2014.11.19)

 12月10日のノーベル平和賞受賞演説で、カイラシュ・サティヤルティさんはこう語りました。
 「子どもたちの夢を否定すること以上の暴力はありません。・・・人類に迫る最大の危機は恐怖と不寛容です。しかしマララのような若者が各地で立ち上がり、暴力より平和を、過激主義より寛容を、恐怖より勇気を選んでいます。子どもたちのために、個人の思いやりを地球規模の思いやりに変えましょう。」(日経新聞 2014.12.11)。「・・・空っぽの教室、失われた子ども時代、生かされなかった可能性。これらを私たちでもう終わりにしましょう。」(マララさんの受賞演説/同上)。私たちは“微力”ではあっても、決して“無力”ではありません。私たちは若者たちを大切なパートナーとして、未来を変革していかねばなりません。

●“広島・長崎から人類は学んでいない”~フランシスコ法王

 「中東やアフリカなど世界各地で戦乱が続く状況を『私たちは断片的に【第3次世界大戦】の中にある』と強い懸念を示した。その上で『広島と長崎から、人類は何も学んでいない』と、核廃絶が進まない現状を批判した。・・・法王は『第3次大戦』について、『人よりお金を中心に置く思想』が、戦争の背景となる政治経済の問題や敵対を生んでいると指摘。・・・その後も、各国が核兵器を持ち続ける現状について『そんな文明は、新たな【無知】だ。【終末的】と呼ぶべきだ』。(朝日新聞 2014.12.1)

 ウィーンでの第3回「核兵器の人道的影響に関する国際会議」(初参加の米英を含む157ヵ国)の開会式で、被爆者のサーロー節子さんが「一発の爆弾が、69年たった今も被爆者を放射線の被害で苦しめている。人類と核は共存できない」と語りました。「・・・核兵器使用から70年たった今日においても、被爆によるがんや白血病の被害者を日本赤十字の病院が治療していることをそれ(被爆証言)まで想像することはできなかった」(赤十字国際委員会 マウラー総裁談/同上)。“広島・長崎”は、“チェルノブイリ”にも、“フクシマ”にも置き換えられます。「もし終末的なことが起きれば、人類は再び一から始めなければならない。広島と長崎がそうしたように」(同上)。法王の強い警告は、私たち一人ひとりに向けられています。