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2014年度事務局長通信⑧/No.104

2014.12.24

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今月のコメント

●“タツエさんとの出会い”~柴田恵子さん(看護師/釜石看護チーム)

 JOCSは、震災後、釜石の避難所で医師や看護師が医療活動を行った後、今も看護チームが定期的に仮設住宅や孤立集落の被災者の方々の訪問ケアを通して、被災者支援を続けています。看護チームの柴田恵子さん(元JOCSワーカー)の会報「みんなで生きる」への寄稿から、釜石の様子を紹介します。

 「釜石活動に参加する私たちにとって、タツエさんとの再会は特別です。震災を経て今年5月、92歳を迎えました。震災当初JOCS看護チームの釜石活動拠点となった避難先『釜石体育館』で、私は初めてタツエさんに会いました。・・・そこにはベッドはなく、一日中布団に横たわる生活が続いていました。トイレには毎日娘さんが車椅子を押して通い、3度の食事には狭い1畳ほどの布団の上にきちんと正座され、手を合わせて静かに召し上がっておられました。・・・避難生活が長くなり、先の見えない不安に駆られる中、タツエさんは一度も弱音を口にすることなく静かに手を合わせ、周りの人に感謝の言葉を繰り返す日々でした。支える側の私たちの方がいつも笑顔に癒され、励まされて元気をいただきました。
 ・・・この9月も(タツエさんの住まいのある)白浜を訪問。そこにはタツエさんの姿はありませんでした。娘さんに連絡をすると、入院して療養中であるとのこと。驚いてみんなで夕方病院を訪問しました。タツエさんと目と目を合わせた瞬間、ことばを越えて心が通じ合うものがありました。顔を寄せ合い左手でかたく握手して再会を喜びました。」(「みんなで生きる」2014年クリスマス特集号より)

 タツエさんには私も何度かお会いし、会う度に穏やかな笑顔に癒されました。被災地は、4度目の長く厳しい冬を迎えています。仮設住宅の入居者の高齢化・孤立と共に健康問題が深刻化しています。災害復興住宅の完成は、数年遅れる見通しです。取り残され、耐える被災者。看護チームの方々が、被災された人たちと私たちを繋いでくださっています。被災地にある“人の温もり”に、私たちの心も温まります。

●クリスマス~「きよしこの夜」と平和、そして小さな“奇跡”について

 「きよしこの夜」(作詞:ヨゼフ・モール、作曲:フランツ・グル―バー)の初演は、1818年オーストリアの聖ニコラス教会でした。「きよしこの夜」は、世界で300以上の言語で歌われている讃美歌です。TVの特集で、103歳の日野原重明先生(聖路加国際病院名誉理事長)が、幼い頃から教会で歌い続けている「きよしこの夜」を語っておられました。「日本人で私ほど多くこの歌を歌った人はいません。この歌は私の体に染み込んでいるのです」と。日本で歌われている「きよしこの夜」は3番まで。しかし原曲は6番までです。由木康の訳詞は、戦時中の検閲のために3・4・5番の訳が削除され、順番も1・6・2番と変えられ、現在のものになりました。削除の理由は、世界中の人々が皆、平和に生きることを願う詞であったためとのことです。

 さて、イエス・キリスト降誕についての、私の勝手な“想像”です。
 ヨセフと出産間近のマリアは「住民登録」のため、ナザレから故郷ベツレヘムに旅をしました。その距離は約150km、高低差600mを上りゆく旅でした。道のりは平坦ではなく、夫の支えがあっても身重のマリアに歩けるのは(徒歩であれ、ロバに乗ってであれ)、一日10~20km程度でしょう。全行程は1週間以上、幾つも夜を過ごし、身の危険も伴う険しい旅だったことでしょう。けれど道中、二人が窮したり、疲れ果てた時に気遣い・労わってくれるような“善き人たち”がいたのではないか、と期待を込めて想像します。
 聖書には、二人はベツレヘムで泊まる“宿屋”(“客間”との説あり)がなく、幼子は家畜小屋で生まれ、「飼い葉おけ」に寝かされたとあります。しかし故郷ベツレヘムには、親戚や知り合いもいたはず。出産は自力では困難、男性の介助も無理でしょう。衛生状態の悪い家畜小屋での出産は危険が伴います。見かねた隣家の女性たちが介助をしたのでは?。旅の道中や出産前後にも、聖書に書かれていない人々の手助けがあったのでは?救い主の孤独な誕生を救った“名もない善き人”がいたのでは?と想像します。
 イエス誕生の最初の報せは、羊飼いに届きました。羊飼いは、蔑まれていた底辺の仕事でした。凍える夜中、見張り番をしながら、救い主の誕生を知った彼らが歴史の始まりです。歴史(History)は“His/Story”。クリスマスにまつわる名もない人々による小さな“奇跡”が織りなす物語を今、想像しています。

●“「終わり」を始めましょう”~ノーベル平和賞2014 受賞演説から

 マララさんとカイラシュさんが望んだ対立する印パ両国首相のノーベル平和賞授賞式への出席は、実現しませんでした。以下は二人の受賞演説、パキスタンでの学校襲撃テロという悲劇の直前のことです。

 「私の人生の唯一の目的は、全ての子どもたちが自由に成長し、食べ、眠り、笑い、泣き、遊び、学校に行けるようにすること。そして何より、夢を持てるようにすることです。・・・マハトマ・ガンジーは『本当の平和を教えるのであれば、子どもたちから始めなければならないだろう』と言いました。・・・親の借金のために働かされてきたインドの8歳の少女を救ったとき、彼女は『なぜもっと早く来てくれなかったの』と言いました。怒気を帯びた質問は、私を揺さぶり、世界を揺さぶる力がありました。・・・」(サティヤルティさん/朝日新聞 2014.12.11)

 「どうして『強い』といわれる国々は戦争を生み出す力がとてもあるのに、平和をもたらすにはとても非力なの?なぜ銃を与えるのはとても簡単なのに、本を与えるのはとても難しいの?戦車を造るのはとても簡単で、学校を建てるのがとても難しいのはなぜ?・・・『最後』になることを決めた最初の世代になりましょう。空っぽの教室、失われた子ども時代、無駄にされた可能性。こうしたことは、私たちで最後にしよう。/男の子も女の子も、子ども時代を工場で過ごすのは終わりにしよう。少女が児童婚を強いられるのは終わりにしよう。罪のない子どもたちが戦争で命を失うのは終わりにしよう。・・・女の子が、『教育は罪で、権利ではない』なんて言われるのは終わりにしよう。・・・この『終わり』を始めましょう。」(マララさん/同上)

 “「終わり」の始まり”は、“「平和」の始まり”です。2015年をその始まりの年にしましょう。私たちの手で。