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2014年度事務局長通信⑩/No. 106

2015.03.06

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今月のコメント

●平和を実現する~映画「日本の青空」:日本国憲法誕生の物語から

「戦後70周年」の今年、JOCSは日本国憲法誕生に纏わる映画を選びました。昨年の映画「いのちの山河~日本の青空Ⅱ」は、全国でも最悪の乳幼児死亡率だった岩手県沢内村(現:西和賀町)村が、憲法25条に基づく老人・乳幼児医療無料化によって、全国初の乳幼児死亡率“ゼロ”を達成する物語でした。
「日本の青空」は、現憲法はGHQの押し付けではなく、憲法学者 鈴木安蔵を中心とする民間人による「憲法研究会」の憲法草案をモデルとしたGHQ案と、日本政府とのやりとりによって成立したことが描かれています。「8月15日は、あの青空は希望のはじまりだった・・・」(映画会チラシ)が映画の題名の由来です。戦後70年、日本は他国との戦争をせぬ、世界で稀有な存在として生きてきました。現憲法誕生がその礎となりました。
JOCSの原点は、1938年、日中戦争当時の中国難民救済施療団の活動です。中国・江蘇省太倉で難民救済に尽くした京大YMCAのキリスト者医学生たちはJOCSの歴史の開拓者です。敵対する苦難にある人々を、国境を越えて救済する。その根底に、戦争の贖罪と償いの意識があります。医療を通して平和を創り出すために日本キリスト者医科連盟が、そしてその後JOCSが生み出されました。持続的な活動を通して築かれる人と人との信頼は確かなものです。しかし平和は、「一発の凶弾」で砕き散る、脆いものです。一人ひとりの命が大切にされる「平和」を信じて、祈り働くJOCSでありたい。この映画を選択した理由は、そこにあります。

様々な違いを越えて共に生きる平和、それは岩本直美ワーカーが活動するイスラムの国・バングラデシュ・マイメンシンの知的障がいのある人々のラルシュ共同体のリアリティから、それが可能であることを私たちは知っています。ラルシュ・マイメンシンの創設者である故ブラザー・フランクと親交のあったマザー・テレサは言いました。「私は、【戦争反対】という運動には参加しない。でも【平和賛成】という運動なら喜んで参加する」と。
さて明日3月7日は、キング牧師が組織した「セルマ大行進」(1965年)の「血の日曜日事件」から50周年です。非暴力による平和を訴え、公民権運動をリードしたキング牧師も後に凶弾に倒れました。平和は、“願い”でなく“実現”すべきものです。今日3月6日は「世界祈祷日」。平和への一致の祈りを捧げたいと思います。

●「今こそ、祈りの時」~釜石の春は、まだ遠し

昨年の3.11以来、約1年ぶりに釜石を訪れました。その訪問レポートから現地の様子をお伝えします。

 1)釜石の仮設住宅には、2015年2月時点で約2,600世帯(約6,000人)が暮らしているが、仮設住宅並びに在宅の被災者の高齢化が進み、「取り残され感」が強くなっている。第1期復興住宅(150世帯)に既に入居した方の中には、「仮設時代の住民のつながりが失われ、仮設に戻りたい」という方がおられる。環境の変化や新しい人間関係に馴染めず、孤立化する人もいる。

 2)「復興に出口がない」、「仮設(住宅)は、『終の棲家』だ」との言葉を聴いた。「忘れられ、過去になっていく自分」への想いを深めるご高齢の被災者の言葉は重い。復興住宅の扉は「鉄の扉」のように外界と分け隔て、これからの「孤独死」の問題が深刻化することが懸念される。

JOCS看護チームは震災後から支援を開始し、4月で5年目に入ります。「被災地が、被災地という形容詞が消えるのはいつのことでしょう?私達の訪問の必要がなくなる時期は、と思うのですが、これだけ行っている私達にもまだ見えてきません。」(看護チームの山本貞子さん談)。これは、JOCSの途上国での働きにも通じる言葉です。 JOCSは、神様から「もういいよ。ご苦労様」との言葉がかかればそれがミッション終了の時です。しかし、現実はその逆・・・。いつまで・どこまで関わるべきか、それは答えの無い、悩ましい問題です。

仮設住宅で、あるお年寄り(元の住まいは両石地区)の涙ながらのお話を伺いました。その方は、JOCSが避難所で巡回診療を行っていた時の被災者のお一人です。両石地区は、津波被害が最も激しかった地域の一つで、百数十世帯のうち、家が残ったのはたった4世帯のみでした。

 「私は震災発生時、財布も位牌も何も持たずに逃げました。はっと気が付いてもう一度家に戻り、何故か「バスタオル」一枚だけ持って、再度高台に駆け上がりました。高台ではひ孫(生後8ヶ月)の家族と合流し、寒さに震えていたひ孫をバスタオルで包んで、奇跡的に助かったのです。」

生き残ったが故の罪責感を抱え、それぞれの物語に生きておられます。新生釜石教会には震災後から「今こそ、祈りの時」という看板が掲げられています。祈りの時は、終わっていません。震災は現在進行形。被災者の心の中は、まだ癒しにプロセスに入っていません。支援者にも言えること。釜石の春は、まだ遠し、です。

●キリストの証し人~“今井鎮雄”氏が遺したこと

今井鎮雄・神戸YMCA名誉顧問が、昨年11月に93歳で帰天されました。私の神戸YMCA入職時の総主事で人生の師、2月のお別れ会には国内外から約1,000人が参加されました。今井氏は、世界のYMCAメンバーやロータリアンから「日本のイマイ」として敬愛され、“Think Global. Act Local”を地で行く方でした。
JOCSとの繋がりで言えば、今井氏は故塩月賢太郎JOCS元総主事の盟友であり、その創立から帰天されるまで30年以上、PHD協会理事長としてネパールの岩村昇医師が提唱したPHD運動=Peace(平和),Health(健康),Human Development(人づくり)を支えた方でした。その功績は、青少年活動・教育・福祉・国際協力など、実に広く深く大きいものでした。
JOCSが今取り組む障がい児・者支援に結びつければ、今井氏の日本初の「肢体不自由児のためのキャンプ」(1953年)が挙げられます。肢体不自由の子ども達を対象に、医療者の協力を得て実施したキャンプ(YMCA余島キャンプ場)は、障がい児・者福祉における先駆的な実践でした。小さくされ、顧みられることのなかった子どもや家庭と共に生きようとしたキリストの証し人、それが“今井鎮雄”の生き方でした。
私が神戸YMCAを離れる際に、「YMCAにとって国際交流・協力とは何ですか?」と尋ねたところ、「それはアジアに対する責任だ」と。「アジアの困難にある人々と、共に生きる」という今井氏の哲学は、JOCSの「アジアの呼び声に応えて」と相通じ合うものです。「自分の若い頃は“いかに生きるか”ではなく、“いかに死ぬか”の時代だった」とも添えられました。戦争体験者として、キリストの僕として、平和に捧げ尽くした人生でした。