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08年度総主事通信②

2008.06.04

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●ラルシュ<フランス語で、契約の櫃(ひつ)、ノアの「方舟(はこぶね)」の意>とは

 「ジャン・バニエは、1964年に施設や病院にいる知的ハンディを持つ人たちの苦しみに触れ、そこで二人の知的ハンディを持つ人を招き、フランスの一寒村トロリーに家庭(ホーム)をつくりました。たとえ施設でも色々面倒をみられても『何故私は、家庭で生活できないのか』という内面の大きな苦しみに答えるために生活を分かち合おうとしなのです。これがラルシュの始まりです。・・・2003年現在29カ国122のコミュニティに広がっています。・・・ラルシュの目的は知的ハンディを持つ人を迎え入れるコミュニティをつくることです。この人たちがコミュニティの中心で、ともに生活する人を招くのも、深い意味でこの仲間なのです(ラルシュの憲章より)。」(第1回海外保健医療勉強会資料より)

 岩本ワーカーは第1回理事会勉強会でも活動報告をされ、「ハンディのある子どもたちの『闇』ではなく、『光』について語りたい。私たちは問題解決のためにいるのではない。知的ハンディを持つ仲間の素晴らしさに気づき、『関係性』を生き、そしてただ寄り添うためにいる」と話されました。
 「捨てられていた」知的ハンディを持つ子どもたちのいのち、岩本さん・アシスタント・ブラザーたちの祈りと愛のわざが、彼ら一人ひとりの「いのち」を復活へと導きます。何より彼らの傍らに神様がおられます。
 昨年度からワーカーは派遣前研修の一環として、ラルシュかなの家(静岡)で生活をします。私も一度きりですが、訪れました。ラルシュのコミュニティでは、メンバーは「仲間」、スタッフは「アシスタント」。「ともに生きる」世界がそこにありました。互いの隔たりや違いはあります。けれど飾らず自然体で生きる。時にぶつかり合い、自らの弱さに気づき受け入れ、支えあってつながる命。本当に不思議な空間でした。知的ハンディを持つ仲間たちこそが、「平和をつくりだす人なのだ」と実感する体験であったとも言えます。

●「世界を不幸にするアメリカの戦争経済」(ジョセフ・スティグリッツ、リンダ・ビルムズ 徳間書店)

 「イラク戦争におけるアメリカの出費は、12年にわたったベトナム戦争をすでに上回り、負傷兵の治療費や退役軍人の手当てを考慮すると、少なくとも3兆ドルにのぼる。しかし、戦況は渾沌としたままで、復興の道は見えない―。この実りなき戦争に費やされた膨大な経費は、アメリカ経済、そして世界経済にいかなる衝撃をあたえているのか?ブッシュ政権によるコスト隠蔽操作をあばき、戦争という巨大ビジネスが引き起こす負の連鎖を看破する。ノーベル経済賞スティグリッツの衝撃作!」(同書より)

 「3兆ドル」というと日本円換算で約315兆円(08年5月30日現在)!しかもイラク・アフガニスタンのみにフォーカスを当てた試算です。昨年11月に出された「戦争の経済学」(ポール・ポースト バジリコ出版)は、「戦争はペイするのか?戦争は経済に貢献するのか?」と問うています(同書は、第1次世界大戦・ベトナム戦争・湾岸戦争・イラク戦争をカバー)。以前から、世界の景気後退の元凶がサブプライムローンであるとの指摘は、ある種のすり替えのように思えてなりませんでした。戦争は、それ自体「終結すれば終わり」ではなく、社会に、地域に、家族に、個人に、そして何よりも「未来」に、深く癒えない傷跡と負の遺産を残します。
 もう一冊「ルポ 貧困大国アメリカ」(堤 未果 岩波新書)は戦争という「モンスター」のもう一つの現実を訴えています。特に、「第4章―出口をふさがれる若者たち」「第5章―世界中のワーキングプアが支える『民営化された戦争』」は、戦争が多くの次世代を担う層に、より広い世界を巻き込んで、私たちが気づかないところで、貧困をさらに構造化させ、蔓延化させ、深刻化させている実態を描いています。
 今年7月に日本でG8サミットが開催されますが、G8諸国は、「世界の軍事費の70%を支出」しています。日本の軍事費は世界第5ないし第6位に位置しています。私たちを不幸へと追いやるあまりにも愚かな戦争をやめる勇気をもちたいと思います。言うまでも無く「いのち」はコストでは測れません。

 JOCSにとって、活動地の「平和」はまさに生命線です。たとえ地域に根ざし人々との信頼関係を築きながら地道な活動を続けても、「一発の銃弾」によって活動の命は絶たれてしまいます。「平和」は必要不可欠、平和は、“MUST”なのです。

●もう一つの戦争-カンボジアの内戦・・・
 「今、はじめて語られる歴史-クメール・ルージュ時代の性犯罪・女性に対する暴力」
  (中川香須美)

 「民主カンプチア政権時代には、信頼や愛情といった人間的感情が全て否定された。カンボジア社会が長い時間をかけてはぐくんできた伝統的な家族関係が、共産主義革命のスローガンの下で徹底的に破壊された。夫は妻と引き離され、子どもは親から隔離され、それぞれ別々の共同体での生活を強いられた。自由恋愛は一切許されず、夫婦は全て強制結婚によって作り出された。子どもたちは少年兵として訓練され、自分の親が革命に反対する思想を抱いていないかスパイするように教育された。個人は、自分や家族のためではなく、革命達成のために存在しているとのスローガンがうたわれ、個人の自由は不要として一切否定された。」(同報告書)
 「ずっと忘れたいと思ってきました。今でも、早く忘れてしまいたい。大変な時代でした。」(同報告書)

 カンボジアの内戦は、イラクやアフガニスタン、中東地域の戦争・紛争など、「今」の戦いとは異なる「かつての」と評されるものかもしれません。この報告書には「悲惨」としか言いようのない数々の実話が描かれています。沈黙を破って語られたその悲痛な体験に言葉を失います。まだ癒えることのない深い心の傷と歴史を背負って、カンボジアの今があります。しかし、これはカンボジアだけのことなのでしょうか?紛争や対立は一体何を奪い、何を生み出していくのでしょうか?後世に渡って。

 JOCS東京事務局が入る日本キリスト教会館の前にAVACOビルがあります。その2階には「女性と戦争の平和資料館(VAW)」があり、従軍慰安婦の方々の展示があります。お一人おひとりの女性の眼差しと叫びが私たちの生き方を鋭く問うています。諏訪さんもカンボジアに戻る前、VAWを訪れました。