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総主事出張レポート(5月、6月、8月、9月)

2006.11.10

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<8月:初めてのネパール(20060821)>

初めてのネパール。
故岩村昇先生のお話の中で「ネパール」と出会ってから26年後。ついに訪れたネパール。飛行機が着いたカトマンズ国際空港は、牧歌的で、今まで降り立ったどれよりも途上国のそれを思わせる空港(玄関口)だった。その国の国力が推し量るに十分だった。

ヒマラヤとは、サンスクリット語で「ヒマ・アラヤ(雪の住処)」という意味だという。カトマンズからラムジュンへ向かう(車で約5時間)山々の向こうにヒマラヤ山脈の頂が聳え立っていた。これがネパールか。神々の頂を仰ぎ見つつ、緑の渓谷に囲まれ「(物質的には)何もない」生活にありながら、地に足をつけて逞しく生きる人々の姿、支えあう姿に触れた。そこに人々を魅了する何かがあるのだと思う。
王族にまつわるクーデターや恐怖政治。マオイストによるゲリラ活動など政情不安と血なまぐさい殺戮が続いたネパール。4月には「無血革命」が起き、その後国王が王政から民主化への移行を示したことにより、事態沈静化の様相を示しているが、予断は許されない。構造的な貧困、根強いカースト制度(30以上とも言われる)、長く続いたテロ活動など、苦しみにあえぐ状況は絶えない。ストリートチルドレンなど様々な危機にさらされている子どもたち(Children at Risk)は、児童労働で、あるいは児童売買の対象として「搾取」され、人権を蹂躙されている。これは「静かなる緊急事態」に違いない。子どもたちが発するSOSとその現実に、世界の縮図があり、その命を見つめるところから問題を掘り下げていく必要性も痛感した。

今回の滞在での収穫の一つに、8名の奨学生とこれからの奨学生希望者に会ったことだった。ネパールでは医学部を卒業するのに総額約250~300万ルピー(日本円で約400~480万円)かかると聞いた。貧しい人は医療従事者を目指そうにも全く機会が与えられないし、都会の裕福な子女は仮に医者になっても、過疎地を省みることすらない。貧しい人々がより貧しくなるという社会構造である。そのような中、JOCSが支援している奨学生たちは、まさに地域にとって重要な人材(Human Resource)であり、未来を築く人々である。NGOの原則に“Let the People DO.”(彼ら(の主体性)に任せよ)という言葉がある。彼らの未来を彼らの手で。私たちは謙虚にそのことを受け止め、ニーズに沿った働きをする、そのことに徹したい。奨学生といってもハンセン病患者を家族に持つもの、そこで働きながら将来のドクターやナースを目指すもの、様々な背景をもっている。確かなのは、彼らを取り巻く現実が彼らを「命に近い仕事へ」と駆り立てているリアリティだ。「持続可能な開発」に欠かせない人材を支援し養成することの意味と意義、そして重要性を再確認した。

カトマンズには、住んでいる人間の数より多い神々が祭られているという。駆け足の旅のため、じっくりネパールの人々と接する機会が得られなかったが、宿泊先近くの世界遺産となっているパタンのダルマール市場を散歩する機会があった。早朝から祈祷に来る人々の姿から、宗教は日々の暮らしにしっかりと根を張り、天空の遥かかなたに神が存在するのではなく、「すぐそこにいる」存在であることが伺えた。人々それぞれの宗教に深く根ざし、祈りに支えられて生き抜き、死んでいくのだ。
ネパールはJOCSにとっても開拓の地。故岩村昇さんの「サンガイ・ジュネ・コラギ(共に生きるために)」の精神が、今も生きているこの国。私たちが求められていること、できることを深く考えさせられ、また「まだまだ足らない」と感じた次第である。

5月のバングラデシュ、6月のカンボジア、そして今回のネパール。ワーカーの活動拠点への歴訪は、その国の息遣いとワーカー及び協力団体が直面する諸課題を皮膚感覚で知る良い機会となった。アジアの国々の「叫び」-SOSが、存在すら忘れ去られ、排除されている人々の“Save Our Ship(船)”ではなく、“Save Our Soul(魂)”であると受け止めたい。今回の旅を豊かに導いてくださった楢戸ワーカーへ心から感謝しつつ。

大江 浩(JOCS 日本キリスト教海外医療協力会)