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東日本大震災・第3回看護チーム(2012年1月23日~28日)  山本貞子さんのレポートから(抜粋)

2012.03.02

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東日本大震災・第3回看護チーム(2012年1月23日~28日)  山本貞子さんのレポートから(抜粋) JOCSは、東本大震災の被災地である岩手県釜石で、昨年4月初旬から5月末までの約2か月間、避難所での巡回診療を続けていました。 その後地元の医療体制の回復状況を見ながら、8月以降(避難所から仮設住宅への移行期)は、看護師チーム(全国各地から協力くださっています)の訪問ケアにシフトし、今も続けています。 看護チームの主な活動は、約2か月に1回のペース(毎回約1週間)で、釜石地区の仮設住宅や孤立集落(箱崎白浜地区)の仮設及び在宅の被災者の方々を対象とする訪問ケアです。 この活動は釜石市地域保健課や医師会の了解を得て行っているものです。 地元の協力団体はカリタス釜石ベース(カトリック釜石教会)です。看護チームは上記の活動に加えて、釜石ベースが行っている「ふぃりあ」(教会)・「移動ふぃりあ」(2か所の仮設)という心のケア活動にも協力しています。 以下は、看護チームのリーダーである山本貞子看護師による第3回看護チームのレポート(抜粋)から活動の様子と被災者の方々の声をお伝えしたいと思います。 「・・・(カリタス釜石ベースに対し)地元社協からの要望は増える一方のようだ。社協からカリタスはとても信頼されている。それは震災直後から継続して活動されている伊瀬さん(コーディネーター)宇根さん(心のケアチームのリーダー)の存在があってのことだと思う。 今回、『移動ふぃりあ』(仮設住宅での傾聴ケア活動)が毎週4回から14回に増えていた。毎日2か所、釜石ベースを入れれば3か所になる。これ以上は増やすことができないギリギリの回数だと思う。 ・・・看護師チーム全員が参加することができた『支援者の心のケア』に関する現地講演会(主催:ジャパン・プラットフォーム、会場:カトリック釜石教会)は面白くわかりやすかった。気持ちが一杯一杯にならないために、支援者はどうすればいいか。傾聴で心がけることを、体験型講義でわかりやすく学べた。・・・ ・・・仮設訪問の前に電話を入れたが、I氏と連絡が取れない。 行ってみたがやはり留守。I.J.さんとは再会出来た。1時間半ほど色々お話を伺う。そろそろ腰を上げようとすると、震災で壊れた一眼レフのカメラを出してこられる。畳屋のHさんのことを心配されているので、今回こそ会ってみようと思う。 午後畳工場を探した。残念ながらHさんと会うことはできなかったが、近所の人から「Hさんは午前中仕事に来ていた。」と聞く、一安心する。 平田の仮設に住むI.K.さんは留守だった。盛岡に行かれたのかもしれない、と聞く。救急隊から、飲酒での病院行きは搬送を断られているそうだ。これからどうするつもりなんだろう、と考えてしまう。 ・・・午後はS.S.さん(84歳)を訪ねた。S.S.さんは海に近かったお宅で津波で奥様を亡くされた。40年間消防本部団長で矍鑠とされており、(自治会長の)Kさんを陰で支えている方である。「アメリカにいる2人の息子さんから一緒に住もうと誘われているが、白浜のことが気になり行きたくない。白浜の人がこれを機会に仲良くなってくれるのが夢だ。」と言われる。 「山の方に広い土地を持っている。市が売ってくれと言っても売らない。寄付ならする。」と。かっこいい老人である。S.S.さん宅でKさんを待っていたがなかなか戻られなかった。神社の仕事の後で飲み会だったようだ。最後に会えたが、Kさんは帰りがけに[寂しい。]と洩らされた。 鵜住居の仮設のK.S.さんは「(次回、看護チームの訪問ケアの)予定が早めに分かれば、談話室を借りてみんなを集めておく。」と言ってくれている。 仮設を回って感じたことは、皆さん一生懸命生きている。不安が一杯だがなるべく考えないようにして頑張っておられた。震災の話を聞いたり、一緒に笑ったり、今回も皆さんにエネルギーを頂く訪問だった。」  「よそ者ではできないこと」もありますが、「よそ者だからできること」があります。 一人ひとりを丁寧に訪ね聴く、看護チームの活動が、孤立する命を繋いでいるのだと思います。時折であっても、「傍らに居続ける」ことで。 JOCSは、2012年度も看護チームの派遣(約2か月に1回)を継続し、被災者の方々に寄り添い続けたいと思います。