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活動内容

奨学金事業

ワーカーの派遣、協働プロジェクトと並び、JOCSの活動のもう1つの柱となるのが奨学金事業です。保健医療を学びたいと願う人たちに奨学金を支給することで、その地域の保健医療レベルの向上に協力しています。

地域にとどまって働く人材を育成します

アジアやアフリカの国々では、都市部と地方の経済格差が大きく、地方の病院から都市部への人材流出が問題となっています。JOCSでは、地元にとどまり、その地域の人々のために働きたいと願う人を奨学生として選びます。
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顔の見える関係づくりを心がけています

毎1回のレポート提出や、現地モニタリングでの対面ヒアリング、JOCS会報「みんなで生きる」で紹介するためのメッセージ執筆などを通して、奨学生とのつながりを大切にしています。

奨学生の紹介

フリッツ・レキシ・モンテジャイさん(インドネシア/GKSTシナルカシ病院)

2007年~2013年:奨学金を支給

フリッツ レキシ モンテジャイさん私が育った地域は、いまだ多くの人が伝統医療に頼り、病院には行きません。私の家族同様、宗教紛争で土地を追われ財産を失った難民が多く、経済的に困っている人が多いことがその理由の一つです。病院も医師不足で、すべての患者に対応できていません。数少ない医師も皆50歳を超えているため、後継者の問題もあります。 子どもの頃からこの国の医療を何とかしたいと考えていましたが、人々に仕えなさいという召命を受け、医師になることを決めました。JOCSの奨学金をいただいて医学部で学び、現在はGKSTシナカルカシ病院で働いています。 ここまでくることができたのは皆さんのおかげなので、とても感謝しています。JOCSの奨学金は次世代を育てています。皆さんに神様の豊かな祝福がありますようお祈りしています。

アン・グレース・ナムビルさん(ウガンダ/リーチアウト・ムブヤ)

2005年~2006年:奨学金を支給

私はリーチアウトで初のJOCS奨学生です。1996年にHIVに感染していることがわかり、リーチアウトには患者としてサービスを受けに来ました。しばらくしてボランティアとしてピアカウンセリング(当事者同士のカウンセリング)に関わりはじめました。そんな私をリーチアウトがJOCSに奨学生として推薦し、そしてJOCSのみなさんが私を受け入れてくださったのです。なんという恵みでしょう。
「HIVに感染しても、人生が終わるわけではない」。
私はこのことを自分自身の歩みを通じて多くの人に伝えたい、そんな思いから活動を始め、今年で16年になりました。奨学金でカウンセリングの専門教育を受けて、今は「ディスコーダント・カップル・カウンセリング」と呼ばれる、どちらか一方がHIVに感染している夫婦向けのカウンセリングの責任者を務めています。ウガンダではもともと家庭内暴力が多いのですが、特にディスコーダント・カップルの間では顕著です。適切なカウンセリングは、そうした夫婦間の不和を大きく改善できます。現在、150組ほどの夫婦にカウンセリングを行っていますが、これからもディスコーダント・カップルをいち早く見つけ、寄り添っていきたいです。夫婦ごとのカウンセリングの他に、ピア・カウンセリングや当事者支援にも乗り出しています。また個人的なことですが、親戚のエイズ孤児3人を預かり、養育しています。このように公私ともに充実した日々が与えられているのは、JOCSの皆さん、そしてリーチアウトの同僚の支えのおかげです。心から感謝しています。
  (注)ご本人およびリーチアウトの承諾を受け、氏名・写真を掲載しています。

マグレス・ニャミズィさん(タンザニア/TAHOキパラパラ診療所)

2009年~2012年:奨学金を支給

マグレス・ニャミズィさん私の暮らす地域には、HIV/AIDSやマラリアなどの深刻な疾病に加え、不潔な水が原因で下痢症や寄生虫病にかかる人たちが多くいます。遠くから診療所に来る患者の多くは、すでに重症化しており、そのまま命を落とす人も少なくありません。
私はこの地域の診療所で看護助手として、投薬や点滴などを行っていました。しかし、短期研修を受けただけだったので自分の働きに自信が持てずにいました。
そのような中、私はJOCSの奨学金を受け、看護学校で3年間勉強することができました。それまではシスターになるための勉強をしていたので、看護学校の勉強についていくことは本当に大変でした。その日々を乗り越え、看護師の資格を手にできた時はとても嬉しかったです。
神様のお導きと御加護、そして遠く離れた日本から私の学びを支えてくださったJOCSの支援者の皆様に心より感謝いたします。
卒業後は診療所に戻り、看護師として働いています。看護学校で学んだことで、自分の働きに自信が持てるようになりました。今後は、遠隔地の人に対し、病気の予防や応急処置の方法を教える場をつくりたいと考えています。そして、シスターとして、看護師として、地域の人たちのために働いていきたいと思っています。

マリア・トリプラさん(バングラデシュ/PIMEシスターズ)

2011年~2014年:奨学金を支給

マリア・トリプラさん私は2010年に高校を卒業し、バングラデシュのPIMEシスターズ(ミラノ外国宣教会)に入りました。そして僻地の村で、シスターたちが貧しい病気の人々の診療に尽くしている姿を多く目にしました。貧しく病院に行くことができない人々にとって、シスターたちの診療所はとても大きな存在になっていました。
このような、貧しく虐げられた人々に対するシスターたちの愛にあふれた行為に、私は強い感動を覚えました。そして、自分も看護師になって同じように仕えたいと思うようになりました。私のこの願いをかなえてくれたのは、JOCSの奨学金制度でした。
看護学校での勉強は、とても難しいものでした。私はそれまで理系の勉強をしたことがなかったため、理論的なことを学ぶのにとても苦労しました。私は自分のもてる全ての気力とエネルギーを勉強に費やしました。そして、ついに3年間の勉強を終え、看護師の資格を取得することができました。
私は今、バングラデシュの地方の村の診療所で働いています。
JOCSの支援者の皆様、私を経済的にも精神的にも支えてくださり、ありがとうございました。私は、JOCSがバングラデシュで長年行ってきたような、貧しい人のための保健医療支援に深い感銘を受けています。皆様に神様の豊かな祝福がありますよう、お祈りしています。

ソックリー・チャンさん(カンボジア/診療所兼薬局)

2003年~2010年:奨学金を支給

私はカンボジア北東部の山岳地帯ラタナキリ州に生まれ、母親と妹1人の貧しい家庭に育ちました。 祖父の代から通う地元のカトリック教会の神父の支えがなければ、学校にも行けませんでした。厳しい生活を送るなかで、貧しい人々が虐げられるかたわら、裕福な人は何でも手に入れ、それが「正しい」とされる光景を見続けてきました。貧しい人々が医者に診てもらえないのを目の当たりにし、幼い頃は「医者」が好きではありませんでした。
そんな状況を変えたいと、弁護士か医者を目指そうと決意し、高校生の時、神父から進路を決めるように促され、医者を選びました。道路が舗装されておらず、首都プノンペンに出るのに23日かかっていた当時、ラタナキリの貧しい村人には適切な治療を受ける術がなかったからです。もし弁護士になっていたら、農民から土地を奪って不正に所有権を主張する金持ちや権力者と闘い、村人を守りたかったです。
JOCS奨学金と教会の支援で、医学部の7年間、インターンの1年間をプノンペンで終え、ラタナキリに戻った2013年に小さな診療所兼薬局を開きました。村に病人は多いのですが、最初のうちは地域住民の信用を得られず、閑古鳥がないていました。年配者から「若い医者は嫌いだ」と面と向かって厳しいことを言われ、もうやめよう、とさえ思っていました。母親から「そのうち患者さんが来るから」と励まされ、なんとか持ちこたえました。
現在の患者数は多い時で189人。まだそう多くありませんが、中には片道45時間をかけ、ここを頼りにバイクでやってくる人もいます。
貧しい人からは診療費・薬代を受けとらず、支払い能力のある人からの診療費によって生計をたてています。政府系病院での勤務資格の取得に必要な費用が工面できず、ラタナキリ州の医師のなかで、私だけが政府系病院で働けません。このため人脈や情報源が少なく、住民から信頼を得るのに苦労しています。首都の病院で患者に向き合った時の充実感を思い出すと、もっと臨床経験を積みたいと焦る気持ちもありますが、今はできることを一つひとつ積み重ねています。エコー診断の技術を学んで診療所に導入することと、山から下りて来ることができない人々を巡回診療することが、今の私の夢です。